脳死を死と考える人が、医療関係者の4割未満との調査結果が報告された。欧米が8割~9割というのに比べてかなり低い割合だ。しかしだから日本が遅れている、というわけではないことはしっかり意識する必要がある。
死をどうとらえるかは、極めて私的なものであり、本来法律で決めるものではないと思うが、日本の場合移植医療を前提として議論が進められてきた感があるので、ややこしい。細胞移植の研究に留学した私としては、移植医療を待ち望む方の気持ちもよくわかるが、だからどんどん話を進めて良いものでもない。
確かに、脳が体のほとんどすべてをコントロールしているわけだから、そこの活動が極めて低下してしまえば、生体としたらほぼ死と同義であることは間違いない。しかし、死というのは生物学的にどうかという問題とは別に、深く心の問題に関わってくるものである。
脳の活動がほぼ停止し、脳死の状態である証拠をいくら並べられても、それが死であることを受け入れられない家族や親しい人はきっといる。その感情に配慮せず、「ご臨終です。」と死を宣告できる医師がいるとすれば、それはすでに医療ではなくなる。医療とはあくまで人に提供されるものである以上、人の気持ちを無視して進んで良いはずがないのである。
死をどうとらえるかは、極めて私的なものであり、本来法律で決めるものではないと思うが、日本の場合移植医療を前提として議論が進められてきた感があるので、ややこしい。細胞移植の研究に留学した私としては、移植医療を待ち望む方の気持ちもよくわかるが、だからどんどん話を進めて良いものでもない。
確かに、脳が体のほとんどすべてをコントロールしているわけだから、そこの活動が極めて低下してしまえば、生体としたらほぼ死と同義であることは間違いない。しかし、死というのは生物学的にどうかという問題とは別に、深く心の問題に関わってくるものである。
脳の活動がほぼ停止し、脳死の状態である証拠をいくら並べられても、それが死であることを受け入れられない家族や親しい人はきっといる。その感情に配慮せず、「ご臨終です。」と死を宣告できる医師がいるとすれば、それはすでに医療ではなくなる。医療とはあくまで人に提供されるものである以上、人の気持ちを無視して進んで良いはずがないのである。