Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

蛇行

2006-05-02 | 想い・雑感
 確か中学校の社会科で、平野を流れる川が蛇行することを学んだ。それが著しくなり湖として取り残されたのが三日月湖だったかな。水の作用には浸食、運搬、堆積があることも同時に学んだ。複雑な自然の営みだ。

 戦後日本の河川工事は、その河岸を固め、直線化することを是としてきたらしい。そのため上流で削られて流れてきた土砂は、途中で堆積することなく一気に下流まで運ばれ、河口近くで堆積するようになったようだ。

 釧路川河口に広がるラムサール条約登録湿地である釧路湿原では、釧路川から流入する土砂のために乾燥化がすすみ、2割の湿地が消失したそうだ。これはいけないと考えた官僚は、今度は蛇行させるための工事を計画しているとか。

 思考が単純すぎませんかね。

 科学的、とか論理的とか言う場合、事象をかなり単純化して考える場合がほとんど。人間の能力ではおそらくそれが精一杯。そのあたりを謙虚にとらえて、自然と向き合ってほしいものだ。これは人という自然に向き合うときも同様であろう。

2006-05-01 | 想い・雑感
 脳死を死と考える人が、医療関係者の4割未満との調査結果が報告された。欧米が8割~9割というのに比べてかなり低い割合だ。しかしだから日本が遅れている、というわけではないことはしっかり意識する必要がある。

 死をどうとらえるかは、極めて私的なものであり、本来法律で決めるものではないと思うが、日本の場合移植医療を前提として議論が進められてきた感があるので、ややこしい。細胞移植の研究に留学した私としては、移植医療を待ち望む方の気持ちもよくわかるが、だからどんどん話を進めて良いものでもない。

 確かに、脳が体のほとんどすべてをコントロールしているわけだから、そこの活動が極めて低下してしまえば、生体としたらほぼ死と同義であることは間違いない。しかし、死というのは生物学的にどうかという問題とは別に、深く心の問題に関わってくるものである。

 脳の活動がほぼ停止し、脳死の状態である証拠をいくら並べられても、それが死であることを受け入れられない家族や親しい人はきっといる。その感情に配慮せず、「ご臨終です。」と死を宣告できる医師がいるとすれば、それはすでに医療ではなくなる。医療とはあくまで人に提供されるものである以上、人の気持ちを無視して進んで良いはずがないのである。

 

コンチネンタル?

2006-05-01 | 想い・雑感
 ホテルの朝食メニューで”コンチネンタルブレックファースト”なるものがあります。飲み物と火を通していない食事からなるものを指しているらしいことまでは聞いたことがあります。でもどうしてコンチネンタルなのでしょうか。日本語にすれば「大陸の」という意味ですよね。

 メニューでは、コンチネンタルに対してアメリカンがある所からみて、ヨーロッパのあるユーラシア大陸を指しているのでしょうか。だとすると、アメリカンが卵料理などの火を通した料理がついていますから、大陸の朝食を少し揶揄しているようにも見えますね。

 現代人は一般的にカロリーの摂りすぎだから、コンチネンタルの方が良いのかもしれませんね。ただ一方では、朝食をしっかり摂らなくてはなりません!と目くじらを立てる人もいたりするのでややこしいのですが、要はバランス。一日を通しての栄養を考えるのが良いと思います。