Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

スタンダード

2007-05-07 | 医療・病気・いのち
global standard (世界標準)
なる言葉をよく聞くようになってきた

戦後の学校教育のお陰か
私たちは 標準(的)という言葉に少し弱い

そこから大きくはずれることには ストレスを感じる

しかし 歴史 宗教観 文化 人種その他
が大きく異なる国々すべてをひっくるめて
標準的なるものを作ったとしても
その標準から大きくはずれるところもあるはずである

しかし日本では世界標準なる言葉を
金科玉条のごとく振りまく人たちがいる
標準が最も良いと信じているがごとくにである

医師の中でも
例えば抗がん剤治療を行う医師などの中には
これが世界標準の治療だ と大見得を切り
その標準に則って薬を使用することに固執するものもいる

大切なのは 標準を当てはめることではなく
標準を認識しつつも
目の前の個人にどのように適応していくのが良いのかを
考慮していくことであろう

静寂

2007-05-06 | 想い・雑感
今朝も鳥のさえずりを何となく聞いていたところ
様々な車の走行音が聞こえているのにも気がついた

いつも聞いているのだが
改めて 常に流れているこの
バックグランド ノイズ が気になった

それ以外にも 様々な人工音に 囲まれている
いま向かっているコンピューターのファンの音だって
電源を切ると如何に大きな音を出しているかと言うことに驚く

いつも刺激を受けている耳が
脳に 体に そして 心にどのような影響を与えるものなのか
ちょいと心配になる

静寂 という言葉が死語になるようなことがないよう
祈るばかりだ

今の時代に芭蕉が生きていても
蛙が飛び込む音に気がつきもしないかもしれませんね

刺激によって感覚が磨かれるという面はあるのかも知れませんが
刺激が少ないところでそれが研ぎ澄まされるという面もあると考える

限りなく刺激をなくした時間や空間を持つということは
必要なことと感じる

思考と実際

2007-05-05 | 想い・雑感
頭で考え想像している場合と
実際にそれを経験したあととでは
その間に大きな隔たりがあることに気がつく

交通事故の恐ろしさは
皆 頭では理解しているつもりでも
実際に当事者にならなければわからないことが山ほどある

テレビでいくら料理のおいしさを訴えたって
自分で食べなければわからない

私たちは
言葉では 戦争の悲惨さ
などと言って 多少はわかったつもりになっているのだが
実際に戦争下に置かれれば
想像を遙かに超えた世界になると思われる

今の日本では
子連れの若い両親が空を飛ぶ飛行機に気づけば
子供にそれを興味の対象として指し示してあげることだろう
しかしもし戦時下ならば
恐怖の対象として子供に伝えなければならないし
それよりも如何にその危険から逃れるかを考えなければならなくなる

ただそれだけのことを思っただけでも
えらいことではないか

いかにして戦争を避けていくか
それを必死に考え 追求していくところに
今の日本の存在意義があるのではないかと思う

特に政治信条など持ち合わせないが
命を慈しむという態度を
持ち続けたいと思っている

本来の力

2007-05-04 | 想い・雑感
小さな鉢に咲いた花を
土に植え直す
すると1日2日でぐっとその体に勢いが出てくる
いらぬ枠をはずすことにより
本来の生命力が発揮されるのでしょう

教育再生会議と名付けて
いろいろ議論がされているようですが
鉢という型にはめてしまい
勢いをそぐようなことのない教育をめざせるとよいですね

ここのところ
お偉いさんがやってきた
教育改革というのは
改悪ではないかという意見をよく聞きますので
すくなくとも悪くならない方向に
向かってもらえるとよいですね

どう見えてる?

2007-05-04 | 想い・雑感
学生時代だったと記憶する
何かの色が私には緑に見えるのだが
友人はどうみても紫だという
ということがあった

色一つ取っても
人によって違って見えることに
随分驚いた

世の中の同一な事象を
人は全く違う視点 感想 認識
をもって受け入れているのだろう

こうなると客観的というのがどういうものかわからなくなる
自分は他人と同一の知覚を持ち得ない
自分の知覚や感性を通して認識したものは
自分にとっては真実であり すべてである

多くの人がおいしいという料理が
自分にとってはまずいという場合
客観的というのはおいしいのだろうかまずいのだろうか

十人十色という事実を
もっと深く 強く 認識する必要がありそうだ

みつめる

2007-05-03 | 想い・雑感
私たちは
身の回りの様々なことを
理解しようとする
理解するために調べたり 考えたり 議論したり

ところが解ったと自分で思ったときから
それ以上考えなくなってしまうところがある
自分なりに結論を出してしまって
安心してしまうのだ

病気の診断をするときも
同様の事が起こりうる

診断がついたと思った瞬間から
治療のことに頭が向かってしまうのだ
当然治療のことを考えるのは必要なことなのだが
平行して診断が確かかどうかを確認していくことも大切だ
また診断が正しい場合も
他の疾患が隠れていないかも注意していく必要がある

昔々
恋人のことを更に深く知りたい 解りたい
と思った情熱を 持っておく必要があるのかも知れない

もう記憶の彼方となってしまったパッションではあるが

戻れる?

2007-05-03 | 想い・雑感
人は毎日様々な選択をして生きている
その決断の積み重ねが現在の自分である
そして今の決断がこれからの自分を作り上げていく

ある決心をして進んで行った場合
気が変わってやり直せることもあるが
やり直した事実も自分の中にきっちり積み上げられ
それが血となり肉となる

一方
point of no return
を過ぎるとやり直せなくなる

医療などというのは
これを過ぎると引き返せないぞ
もとの状態には戻れないぞ
という分岐点の連続という面がある

ある薬剤をつかったところ
滅多に起こらないアレルギー反応からショックになり死に到ったりすると
その薬剤をつかう前には戻れない

手術で器官の一部を切除してしまえば
切除前の状態には戻らない

そういうリスクを常に孕んでいるのが医療行為であることを
医療者 医療を受ける者 双方がしっかり認識しておく必要がある

動心

2007-05-02 | 想い・雑感
記憶に残るもの 残らないもの いろいろあるだろうが
さまざまな経験が積もりつもって 自信が身に付いてくる

手術でも慌てることはなくなってくる

そこで不動心なることばを持ち出す人もいる
おそらく慌てないだけの胆力 自信 を表したいのだと思われる

しかし考えてみると
何かが起こって慌てていない自分というのは
決して動かない心を持っているわけではなく
なすべき事を連続して考え 思い描き 実行に移しているわけであり
心は 精神は 素早く動いているのである

慌てている状態というのは
なすべき事がわからず 考えつかず
           立ち止まり 
           オロオロしてしまっているわけで
この状態こそが 動かざるこころ つまり不動心なのじゃないかな
と思ったりする

ちょっとひねくれているかな

下血

2007-05-02 | 医療・病気・いのち
排便時に出血をすれば
多くの方が痔だとおもうであろう

あるひとは様子をみる

ある人は薬局で買った痔の薬を使ってみる

中にはお医者さんにかかって
確かに痔と診断されその治療を受ける

それで問題ないこともあるのだが
直腸癌や大腸癌が隠れていることも少なくない
いや癌とすれば隠れているわけではなく
人間が勝手にないことにしているともいえる

数ヶ月前から出血があり様子を見ていたが
お腹が張るようになり
近所の医院を受診したのちに
紹介されてきた直腸癌の患者さん

肛門指診といって手袋をつけた指で肛門から直腸にかけて診察すると
肛門からすぐの所に硬いしこりがあり
直腸が狭くなってしまっている

直腸癌による狭窄でイレウスになりかけているのだ
人工肛門は避けられない

下血というのは
かならず出血源がある
その出血源も一カ所とは限らない

下血があれば機会をみつけて
大腸の内視鏡検査を受けることをお勧めする

かなしみ

2007-05-02 | 想い・雑感
実家近くの山裾が見える渡り廊下が
私のつとめる病院にある
両親に守られ 山に守られ 高校を卒業するまで過ごした場所である

診察を終えて その山すそを見やると
今でもふっと親のことを思い出すとともに悲しみが湧き上がる

喜びという感情は 時とともに薄れ発散 霧消していくが

悲しみという感情は 心の奥に向かって沈潜し
何かの拍子に ふと浮かび上がってくるものらしい

日常

2007-05-01 | 想い・雑感
自信には経験の裏打ちが必要

ベテランに自信の源を聞くと
○○という経験が大きな自信につながった
ということを言う
これにうそはないと思うが
それはその人の記憶に大きく残った経験である

そういう大きな経験が転機になることはあろうが
意識に上らない日常の瑣末事の積み重ねが知らずに積もり積もって
自信につながるものだと思っている
腹が据わってくるのだろうと思っている

結局大切に生きる今を積み重ねることが肝要なのだろう