

言いたいことの第一はもちろんまじめに作った良い映画だと言うこと。だが、なんというか健常者目線なのが気に入らない。駆けずり回る前田君が、多分自閉症をイメージしているのだろうが、違ーう!自閉症なら、あんな風じゃない。そもそも、だから、彼が健常者目線で役に立つ子だから偉いみたいな描き方が良くない。そんなこと言ってもしょうがないのだけれど。自閉症を知っている者としては、褒められて目が輝くとか、そもそも喜ぶとか、そうじゃない。映画として描くなら、褒めちぎって、でも前田君はすまーしていて、「なんだよ、褒めてるのに」「いや、すごーくうれしいみたいですよ、いつも見ている私にはわかります」みたいにできたらすばらしいのだけれど。米と水と届けに行って、これを持って来てくれたの?と聞かれて、「きゅうえんぶっしです。」とくり返すところはすばらしい。翔君がともかくすばらしい。障害者を描くのって本当にむずかしいよなあと思うが、もちろんこっちだってほんの少しの例しか知らない。
障害に関わる人たちの活動、役所とのやりとりや対応、あるいは支援や調査、そのための組織運営のこと、そんなにうまくいくわけねーだろう、と思ってしまうが、そうねえ、映画だからしょうがないのか。このリストに従ってしらみつぶしに、の後に、じゃあ、だれそれはここ、あなたはこちら、ちょっとまってください、それじゃあこれこれが困ります、などなど、実務は細々としたことの積み重ねなのだがなんにも描かれていない。でも役所(の上のほう)が動かなかったりすることは少し描いてあったか。
結局、良い映画だと言うこと、こういう映画の作り方の難しさを浮き彫りにしてしまっているのかもしれない、と言うことか。