手紙 & メール
毎日、メールで色々なやりとりが、ある。
何かのお誘いや、お礼、頼みごと、頼まれごと。
仕事もメールで済ますことが多い。
発注、予約、アポイントメント、クレーム処理・・・
高校時代の同期でまわすメールも楽しみのひとつ。
誰かが発信すると
次々と尾ひれがついて、
大爆笑メールと、なる。
みんな、超エリートなのに
中身は高校時代と変わって、ない。
自分の気持ちを話す時にも、メールを使う。
もちろん、
相手からも、メールで返信される。
そんなメール漬けの毎日だけれど
私はそれでも、手紙も日に何通か書く。
職場のデスクの2番目の引き出しには
毎夏、軽井沢のWoodmanで1年分買い溜めしておく
葉書やカードがびっしり入っている。
65~70歳以上の方とのやりとりは
お手紙が、多い。
折にふれ、頂くお手紙。
季節を感じさせる美しい便箋や葉書に
丁寧に綴られる文字。
お年寄りを敬遠する人が多いが
ご高齢でも少しも変わることなく
私達を導いてくださる方は、沢山いらっしゃる。
80代だろうが、90代だろうが、
美しい文字と思いやりにあふれる言葉、
そして
知性や品格も、すべて手紙には現れる。
そんなお手紙を頂くと
日本人でいて、よかった・・・と感じるし
私もお手紙を頂いたり、
何か目上の方から頂きものをした時は
ココロをこめて、手紙を書くようにしている。
・・・ふと、思う。
今は大事なやりとりもメールで済ませることが
多いけれど
よほどいちいち万全なバックアップをしていれば
別だけれど
メールの場合、パソコン(や携帯)に不都合が生じれば
あっという間にすべてが消えてしまう。
残っていたとしても
文字はすべて同じフォントで書かれたものだから
そのメールからは、その人柄なんかを
文字から感じ取ることは出来ない・・・
現代の偉人の”歴史資料館”みたいなものが
将来出来たときに、何か人物像が伝わらないだろうなあ・・・
デジタルの技術であたかも
本人がそこにいるような、そんな展示は出来るだろうけれど。
高知の坂本龍馬記念館なんかに行くと、
筆まめだった坂本龍馬の手紙がいっぱい残っていて
とっても坂本龍馬を身近に感じるし、
文字から本人の状態や、人柄を想像したりも出来る・・・。
綴られた文字から
その人自身を感じることの出来る手紙。
焼いたり、捨てたりしないかぎり
何年も、何十年も、百年以上の時を超えても
ずっと残る手紙。
メールよりも、すこし手間がかかるけれど、
私は手紙が、好きだったり、する。
メールに関しては、今の
中学生とか、
高校生とか、が羨ましい・・・
当時、好きな人とのやりとりは大変だった。
フツウ、家には電話が1台とか、
あっても子機があるくらいで
”今の誰” と必ず親や兄弟に聞かれるはめになる。
長電話なんか出来ないし、
気持ちを伝えることも出来かった。
だから、私は手紙が好きだった
中学生の頃、普段は寮生活だったけれど
夏休みなんかは、それぞれの家に帰る。
私は、東京。
大好きだったKevin君は、ロンドン。
手紙を書いて、返事がくるまで
どんなに急いでも10日はかかった。
毎日、キリンみたいに
首をなが~くして、手紙を待った。
毎朝、郵便配達のオートバイの停まる音がすると
ドキドキした。
赤と青のラインの入ったAir Mailの封筒を
見つけたときの嬉しい気持ちは
今もココロの中でとっておきの宝物だ。
今の恋人たちは
瞬時にメールでやりとりが、出来る。
たとえ、相手が南半球にいたとしても
たとえ、真夜中であったとしても
気持ちはすぐに伝え合うことが、出来る。
・・・それが、メールのいいところ
今この瞬間も
たくさんの人が、自分の気持ちを
誰かに伝えようと
メールや手紙を書いている。
人間って、自分の気持ちを
伝えることに、一生懸命なんだな・・・
貴方の気持ちのこもったメールやお手紙が
愛と光に満ちて
相手のココロに届きますように・・・
毎日、メールで色々なやりとりが、ある。
何かのお誘いや、お礼、頼みごと、頼まれごと。
仕事もメールで済ますことが多い。
発注、予約、アポイントメント、クレーム処理・・・
高校時代の同期でまわすメールも楽しみのひとつ。
誰かが発信すると
次々と尾ひれがついて、
大爆笑メールと、なる。
みんな、超エリートなのに
中身は高校時代と変わって、ない。
自分の気持ちを話す時にも、メールを使う。
もちろん、
相手からも、メールで返信される。
そんなメール漬けの毎日だけれど
私はそれでも、手紙も日に何通か書く。
職場のデスクの2番目の引き出しには
毎夏、軽井沢のWoodmanで1年分買い溜めしておく
葉書やカードがびっしり入っている。
65~70歳以上の方とのやりとりは
お手紙が、多い。
折にふれ、頂くお手紙。
季節を感じさせる美しい便箋や葉書に
丁寧に綴られる文字。
お年寄りを敬遠する人が多いが
ご高齢でも少しも変わることなく
私達を導いてくださる方は、沢山いらっしゃる。
80代だろうが、90代だろうが、
美しい文字と思いやりにあふれる言葉、
そして
知性や品格も、すべて手紙には現れる。
そんなお手紙を頂くと
日本人でいて、よかった・・・と感じるし
私もお手紙を頂いたり、
何か目上の方から頂きものをした時は
ココロをこめて、手紙を書くようにしている。
・・・ふと、思う。
今は大事なやりとりもメールで済ませることが
多いけれど
よほどいちいち万全なバックアップをしていれば
別だけれど
メールの場合、パソコン(や携帯)に不都合が生じれば
あっという間にすべてが消えてしまう。
残っていたとしても
文字はすべて同じフォントで書かれたものだから
そのメールからは、その人柄なんかを
文字から感じ取ることは出来ない・・・
現代の偉人の”歴史資料館”みたいなものが
将来出来たときに、何か人物像が伝わらないだろうなあ・・・
デジタルの技術であたかも
本人がそこにいるような、そんな展示は出来るだろうけれど。
高知の坂本龍馬記念館なんかに行くと、
筆まめだった坂本龍馬の手紙がいっぱい残っていて
とっても坂本龍馬を身近に感じるし、
文字から本人の状態や、人柄を想像したりも出来る・・・。
綴られた文字から
その人自身を感じることの出来る手紙。
焼いたり、捨てたりしないかぎり
何年も、何十年も、百年以上の時を超えても
ずっと残る手紙。
メールよりも、すこし手間がかかるけれど、
私は手紙が、好きだったり、する。
メールに関しては、今の
中学生とか、
高校生とか、が羨ましい・・・
当時、好きな人とのやりとりは大変だった。
フツウ、家には電話が1台とか、
あっても子機があるくらいで
”今の誰” と必ず親や兄弟に聞かれるはめになる。
長電話なんか出来ないし、
気持ちを伝えることも出来かった。
だから、私は手紙が好きだった
中学生の頃、普段は寮生活だったけれど
夏休みなんかは、それぞれの家に帰る。
私は、東京。
大好きだったKevin君は、ロンドン。
手紙を書いて、返事がくるまで
どんなに急いでも10日はかかった。
毎日、キリンみたいに
首をなが~くして、手紙を待った。
毎朝、郵便配達のオートバイの停まる音がすると
ドキドキした。
赤と青のラインの入ったAir Mailの封筒を
見つけたときの嬉しい気持ちは
今もココロの中でとっておきの宝物だ。
今の恋人たちは
瞬時にメールでやりとりが、出来る。
たとえ、相手が南半球にいたとしても
たとえ、真夜中であったとしても
気持ちはすぐに伝え合うことが、出来る。
・・・それが、メールのいいところ
今この瞬間も
たくさんの人が、自分の気持ちを
誰かに伝えようと
メールや手紙を書いている。
人間って、自分の気持ちを
伝えることに、一生懸命なんだな・・・
貴方の気持ちのこもったメールやお手紙が
愛と光に満ちて
相手のココロに届きますように・・・