Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

広州・中山へ、出発!

2011年03月10日 | 日中友好
広州・中山へ、出発!



恒例になった、出発直前に書き込むブログ。

今日は成田空港 ANAラウンジから。


すっかり羽田空港国際線に慣れた私は
成田が無駄に遠いように、感じる。


しかし広州行きのフライトは成田発しかないので
久しぶりの、成田。 おそらく去年の3月にやはり広州に行く時以来かも。

ということは
最近の私はほとんど<中国>にしか行っていないということに、なる。


来年こそは、とひそかに
久しぶりのヨーロッパ、を狙っている。



昨日、夕方ANA中国フォーラムで講演会だったが
時間より少し早めに汐留についたので
スターバックスでコーヒーを飲みながら
時間をつぶした。


・・・と横をみると
いかにも、就職活動中、という服装の女の子が
一生懸命ノートに何か書いている。


ちらり、とのぞいてみると

・プレゼンはうまくできたと思う。
・~は反省。

とか、面接時のこととか(っぽい)ことをちゃんと
記録していた。


えらいなぁ。
一生懸命だなぁ。

そうやって、どこかに就職して
気の遠くなるような、社会人生活が始まるのだなぁ。。。。


かたや私は
ちょっと偉そうに、講演会の下準備だ。


おそらく、就職活動をして、
社会人のスタートを切って、

そうして今の私みたいに

ひょいひょいと海外に出張に行ったり
得意分野での講演会をしたり

なんていうのは
もしかしたら、彼女たちにとって理想的な、女性としての、<社会人>なのかもしれない。と思った。

少なくても
私だったら、そう思うだろうなぁぁぁ。

しかし、

私は就職した当時は、キャリアウーマンっぽくなるなんて実は
ぜ~んぜん、思っていなかった。

2~3年働いたら、海外出張する人の奥さんになって
海外で素敵なマダムをやるのを夢見てたし、(まさか一人で懸命に子供を育てることになるなんて思いもしなかった

そうぢゃなければ、海外にまた留学したいと思っていた。

普通の主婦ではもしかしたら退屈してしまうから
お花を教えて、お小遣いをかせごうと思っていた。


20年後の私、ぜ~んぜん違う。

あらためてあまりに違いに愕然とすら、してしまふ。。。


でも結構、私は

石川遼くんや斉藤祐くんみたいに完璧ではないけれど、
私を選んで生まれてきてくれた息子と
大好きな仲間たち、
導いてくださる先輩たち、
そしておかげさま、生活が出来る仕事、
そして大いなるミッションを授かって


幸せだ。

あとかなえたいのは、ひとつだけ。(内緒。ははは。




さて、今回の広州・中山行きの目的は

3月12日、孫文先生の命日だが
孫文先生の生誕地、中山市で
この日に開幕する<孫文と梅屋庄吉展>のオープニングセレモニーに出席すること。


広州にはブログでおなじみの、
中国茶のヨシコ先生のご主人様が住んでいらっしゃり、
このたびの訪問では
広州総領事や広州の商工会議所の重鎮の皆様との
会食もセッティングしてくださった。


さあ、そろそろ出発の時間。

時間があったら、現地から報告ブログ、書きますね。


行ってきます



A Big Day

2011年03月10日 | 日中友好
A Big Day


今日(3月9日)もBig Dayであった。

ひさしぶりに
全ての過程を終えて、今、ほっとしながら
打ち上げのBeerをちょっとばかり飲みすぎたかな、と。


午前中はとてもプレッシャーのかかる
お客さま方が10名ほど自宅にいらっしゃった。


・侵華日軍第731部隊罪證陳列館主任館長
・中国人民抗日戦争記念館
・侵華日軍南京大虐殺遇同胞紀念館副館長
・日本近現代問題研究者

・・・・・・


などという肩書きの方々。


戦争の歴史は、体験こそしていないが
映画やドラマを観たり、話を聞いたり、本を読んだり
それらの中からいつも心がきしむような
夜眠れないようなつらい思いがわきあがってくる。

実際に体験した人々はいかばかりか。。。


南京に大虐殺記念館があることは知っていたけれど
そのほかにも日本軍にまつわる記念館があるのだな、と。


その方たちに、”あたたかい”歴史の秘話をご紹介する。

これが、私の仕事。ミッション、と言っても、良い。


会話はごく普通だ。

北京に来たときは是非、私どものところに来てください。
南京に来たときは是非、こちらに寄ってください。

でもそこは、
日本軍の残虐さを伝える、記念館である。


私たち、戦争を知らない世代でも、とても高いハードルが、そこにある。


しかし、私が梅屋庄吉関連資料をご説明している間、
始終、話題や関心や笑顔の絶えない訪問であった。
驚きと深い感動で、”身が震えました。”と言ってくださった方もいらした。









ひとつ、大きな仕事を終えた気が、した。




夕方はANA全日空で中国に携わる社員の方を対象にした
<中国フォーラム>が汐留ANAオフィスで開かれた。










ANAは中国路線を各地に結び、
中国での事業展開に成功している企業。

中国で実際に業務に関わっていたり
成田や羽田などで毎日、中国との関わりを持っている方対象に
いったい何を伝えればよいだろうか。。。










いただいた70分の時間の中に
辛亥革命の歴史の他に
上海万博をはじめ、今年の私の色々なプロジェクトもご紹介。












時間で計算すると、1分間に2年間分の歴史を
話していたことになるのだという。
1868年から2011年までの、日中近代の、歴史。


皆様、私よりはるかに中国通でいらっしゃるにも関わらず
熱心に聴いていてくださった。










受講者の中には
岡崎嘉平太財団での奨学金をいただいて
留学している中国人の学生さんもいらしていた。






そして、コメントもいただいた。

”私たち、中国人も知らない歴史です。
もっとこのことを中国の人にも伝えたいです。
私たちにお手伝いできることがあれば、
何でも言ってください。


上海万博日本館イベントステージでも
上海の学生さん30人がほんとぉに朝から夜遅くまで
ボランティアとして運営を支えてくれた。


やはり、
私は、

学生さん、そして、高校生、中学生、こどもたち。。。。


これから未来のアジアを生きる皆様に

戦争という暗く悲しい歴史もあったけれど
お互い海を越えて平和のために手を結んだ歴史もあることを、

伝えていきたい。。。。とココロから思った。










それは梅屋庄吉、トク夫妻の”陰徳”を
たまたま100年後に生まれた曾孫である私が

現世、肉体を持って生まれてきているので
それを伝えることが、出来る。


過去の戦争を伝える。
そして、
過去の友情も伝える。


そうして、やっと私たちアジアに生きる者は

はじめて”平和”について

同じテーブルで語り合うことが出来るのでは、ないだろうか。。。。




今日は、そんな、大きなことの
ほんの、いったんを担った

私なりの、Big Dayであった。


明日は、広州 中山へ出発します。







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