北京 故宮散歩
北京での仕事は午後から。
午前中はゆっくり寝坊しようと決めていたのに
なんとも律儀なカラダは
いつもの起床時間6時ぴったりに
目を覚ます。
部屋ですこしゆっくり朝食を
とった後、
”行ってみようか
故宮の中まで、散歩しに。”
北京といえば・・・このショット
私の今回の宿泊先は
王府井の入り口にある新しいショッピングモール
<東方新天地>の一角にある
<北京 東方君悦大酒店>
これが、
グランド・ハイアット・北京の漢字バージョン。
地図の上では、”お隣り”のような
近距離でも、
ここは中国。
ワンブロックがとてつもなく広く、
一つの建物がどかん、どかんと大きい。
故宮までの広い広い、散歩道
すこん、と晴れ上がった空は
ニュースで報道されるような排気ガスに覆われたようには
到底思えず、
広い大地の、乾いた土地の、
ひたすらに続く、青い空だった。
”北京のルイ・ヴィトンには長蛇の列が
出来ている。”
”一家に車が3台はある。”
と日本にいる中国人から聞いていた。
それほどまでに経済発展がすごいのかと
思っていたけれど、
6月に上海に行った時同様、
今回も私の感想は
”そんなでも、ない。”
つまり、ベンツも走っていれば
ティファニーやら、コーチやら、
ダンヒルやら、すべてのブランドの店は
確かにいっぱいあるけれど
お化粧もせず、真っ赤に頬が日焼けした
親子やら、おじいちゃん、おばあちゃんやらが
それこそ
街中、いっぱい、いっぱいあふれていて
天安門広場にも、故宮にも
数十年前の日本の”農協ツアー”と
言われたのと同じような、同じ色の帽子をかぶった
農村からの観光客がごったがえしていた。
天安門広場は人で埋まっていた
20年前、北京に来た時は
確か6月頃で気温は40度あった。
今のように一般の観光客がいない
静かな故宮、
紫禁城は本当に神秘的で
行けども行けども、同じ建物が続き
赤い壁の迷宮に
時を忘れて、たたずんだ記憶があった。
ラッシュアワーの山手線のような
人並みに押されて、
やっとの思いで故宮の中に入る。
静かで、誰もいなく
ただひたすらに清王朝の抜け殻となっていた
以前の故宮を散歩したいと思っていた私は
ここでまた改めて
中国の人民の多さに圧倒される。
正月の新年一般参賀以外の皇居や
たとえば京都の御所に
日本人がこれだけ詰め掛けることは、ないだろう。
幾重にも幾重にも屋根が連なる。
歩いても歩いてもあの静かな回廊に
たどり着くことができない。
”ちょっと朝の散歩”
どころか
ホテルを出発してから、歩いて、歩いて
既に2時間半がたっていた。
・・・やがて、団体の観光客の
ざわめきが聞こえなくなり、
人もまばらになってきた。
ずいぶん、城の奥のほうまで来たのだろうか。
やっと、静かな赤い回廊が
めぐらされた場所にたどり着く。
ここは本当に迷路のようになっていて
入り込んだら、帰ってこられないような気さえ、する。
どこかからか
胡弓の音が聞こえてくる。
のんびり、煙草をふかすおじいちゃんや
ただ青い空をぼんやりながめているおじさん、
椅子に座ってなにやらおしゃべりに夢中な
女の子たち・・・
ぽつりぽつりと見える人影をみつけては
少し安心しながら、静かでひたすら続く
同じような建物の裏道を潜り抜けていく。
・・・ああ、私はここに来たかったんだ・・・
20年前の北京で一番好きだった場所に
再び来ることが出来て、
そこで、私は不思議なパワーを頂く。
そして、くるりと向きを変え、
来た道を戻る。
時計は既に正午を過ぎていた。
北京での仕事は午後から。
午前中はゆっくり寝坊しようと決めていたのに
なんとも律儀なカラダは
いつもの起床時間6時ぴったりに
目を覚ます。
部屋ですこしゆっくり朝食を
とった後、
”行ってみようか
故宮の中まで、散歩しに。”
北京といえば・・・このショット
私の今回の宿泊先は
王府井の入り口にある新しいショッピングモール
<東方新天地>の一角にある
<北京 東方君悦大酒店>
これが、
グランド・ハイアット・北京の漢字バージョン。
地図の上では、”お隣り”のような
近距離でも、
ここは中国。
ワンブロックがとてつもなく広く、
一つの建物がどかん、どかんと大きい。
故宮までの広い広い、散歩道
すこん、と晴れ上がった空は
ニュースで報道されるような排気ガスに覆われたようには
到底思えず、
広い大地の、乾いた土地の、
ひたすらに続く、青い空だった。
”北京のルイ・ヴィトンには長蛇の列が
出来ている。”
”一家に車が3台はある。”
と日本にいる中国人から聞いていた。
それほどまでに経済発展がすごいのかと
思っていたけれど、
6月に上海に行った時同様、
今回も私の感想は
”そんなでも、ない。”
つまり、ベンツも走っていれば
ティファニーやら、コーチやら、
ダンヒルやら、すべてのブランドの店は
確かにいっぱいあるけれど
お化粧もせず、真っ赤に頬が日焼けした
親子やら、おじいちゃん、おばあちゃんやらが
それこそ
街中、いっぱい、いっぱいあふれていて
天安門広場にも、故宮にも
数十年前の日本の”農協ツアー”と
言われたのと同じような、同じ色の帽子をかぶった
農村からの観光客がごったがえしていた。
天安門広場は人で埋まっていた
20年前、北京に来た時は
確か6月頃で気温は40度あった。
今のように一般の観光客がいない
静かな故宮、
紫禁城は本当に神秘的で
行けども行けども、同じ建物が続き
赤い壁の迷宮に
時を忘れて、たたずんだ記憶があった。
ラッシュアワーの山手線のような
人並みに押されて、
やっとの思いで故宮の中に入る。
静かで、誰もいなく
ただひたすらに清王朝の抜け殻となっていた
以前の故宮を散歩したいと思っていた私は
ここでまた改めて
中国の人民の多さに圧倒される。
正月の新年一般参賀以外の皇居や
たとえば京都の御所に
日本人がこれだけ詰め掛けることは、ないだろう。
幾重にも幾重にも屋根が連なる。
歩いても歩いてもあの静かな回廊に
たどり着くことができない。
”ちょっと朝の散歩”
どころか
ホテルを出発してから、歩いて、歩いて
既に2時間半がたっていた。
・・・やがて、団体の観光客の
ざわめきが聞こえなくなり、
人もまばらになってきた。
ずいぶん、城の奥のほうまで来たのだろうか。
やっと、静かな赤い回廊が
めぐらされた場所にたどり着く。
ここは本当に迷路のようになっていて
入り込んだら、帰ってこられないような気さえ、する。
どこかからか
胡弓の音が聞こえてくる。
のんびり、煙草をふかすおじいちゃんや
ただ青い空をぼんやりながめているおじさん、
椅子に座ってなにやらおしゃべりに夢中な
女の子たち・・・
ぽつりぽつりと見える人影をみつけては
少し安心しながら、静かでひたすら続く
同じような建物の裏道を潜り抜けていく。
・・・ああ、私はここに来たかったんだ・・・
20年前の北京で一番好きだった場所に
再び来ることが出来て、
そこで、私は不思議なパワーを頂く。
そして、くるりと向きを変え、
来た道を戻る。
時計は既に正午を過ぎていた。