何度も段落を入れなおして、空白を作ろうと試していたが・・・なぜか・・・段落が原稿というか原文では入っているのに・・・反映されない・・・・とても読みづらい文章になってしまっている・・・・なぜなんだろうか?
以下の文の内容のせいかもしれないけど、私の意図ではない。。。。。。。
私が足を踏み入れたビーチや場所では、暗い所、寂しい所は特になくて、どこも普通でした。山の中の戦跡ツアーなるものがあったり、戦時中の船が沈められているビーチもありますが、そんな所に立ち入ることもなかったからかもしれません。安心して素もぐりして、泳いで楽しんでいました。
どこに行っても、人の気配や人の念を感じることはありません。何も考えられないほど、ザ自然なのです。昔ながらの信仰や独自のカルチャーがないからだと思います。
パワースポットと言われるところの話も聞きませんでした。たぶん、各所にそれぞれの偉大なパワーがあり、特に誰ももてはやす必要性がないからでしょう。
神仏に頼る風土ではなく、天候と海の様子が島にいる人々には最大の関心事ですから。
人々の怨念が染み付く前に、天次第で生活する。自然や天候に逆らわない生活リズムとスタイルですから。
50km先にある硫黄島の激戦地ぶりが有名なので、さぞ小笠原も凄かったのだろう!と推測されますので、行く前はちょっと怖かったのは確かですが、10泊もするのに、山の中の「てつ家」にしたし、母島には全く行きたいと思わなかったのです。
1人でコテージに泊まっても、変な現象は一回もなく、普通に暮らしておりました。また、変なビジョンを観ることもなく、何も観ず、眠って、食べて、泳いでをシンプルに繰り返す毎日でした。
さり気なく、会う人、会う人に戦争の時のお話を伺いました。すると、硫黄島で激戦だったせいで、たまに残った爆弾を落とす程度で、死傷した人は少なからずいたかもしれないが、地上戦をやったこともなく、激戦地でもなく、ほとんどの敵機は素通りだったとのことです。なので、戦跡ツアーというのは、その地上戦に備えての準備跡だったりして、実際に戦った場所ではないのだと・・・。
なるほど・・・どうりで、1人でどこでも行けるし、何も特に感じません。
何人かの人に、そんなに長く居るのにどうして、母島に行かないのか?と尋ねられました。母島のある港というか海の写真を見て、「・・・」と思ったからです。なぜ、そう思ったのか、理由はありませんが・・・。
すると、ドルフィンスイムボートで一緒になった小笠原リピーターの男性が、以前、母島に行ってゴーストに会ってから、高熱が続いて続いて大変な目にあって、沖縄にいってユタさん(霊能者)に会って、とってもらった経験があるという話しになりました。どうもその人の周囲には、何人もゴーストを母島で見たという人が多く、それは普通みたいな感じだそうです。
母島の悪口を言っているわけではありませんが、敏感な人は必ずと言っていいほど、経験されるというお話でした。彼は、なので、もう行けない!と断言していました。母島の方が爆弾か何か砲弾を落とされたのが多かったのでは?という話になりました。真実はわかりませんが、私の場合、ある港の写真を見ただけで、行かない、って決めましたので・・・そういうことです。
なので、父島の方は特にそうゆうこともありませんので、ご心配ありません。
元々は、欧米系の人々やハワイなどからの移住者があり、国際色豊かだった小笠原ですが、戦後、アメリカだったりして、40年前に日本に返還されましたが、沖縄のような神気に満ちた場所はあるのだと思われますが、ユタさんのような人の話も聞きませんし、ほとんどが日本の各地から移り住んできた人々で占められていますので、昔ながらのカルチャーが根付いてないと思われます。南洋踊りというものがあるそうですが、数十年位だと思います。
フラが今は全盛で島の30%位の人がやっているような勢いです。
神がかった習慣も耳にしなかったので、そうゆう気質が根付いてない、移住者で成り立っている社会だと感じます。これから、カルチャーが作られていくのかもしれません。
なので、戦争の傷跡を気にされて行けない方は、行ってもOKです。沖縄本島とは、まったく違うエネルギーですし、海も海岸も沖縄のそれとは全然違いますので。ま~私は、沖縄の海は絶対に入れないので、それが証拠です。