一雨ごとに

2018-03-08 23:45:02 | 日記
雨音が大きい
一雨ごとに、春に近づいているのね
憐れな我が家の花壇の水仙も膨らみ始めてる

冬の間は寒かろうとあまりブラッシングしなかった猫
しきりにカッカッカッカッと後ろ足でやってるので、
ちょいとブラッシングしてみれば
猫も私も毛ダルマ
今ピンポン鳴ってもすみません居留守しかない
と、バリバリ

あとは大きなクシャミ連発

冬から春へ

3年4組

2018-03-07 22:21:02 | 日記
中学校卒業して43年!
来年の還暦記念全体会に先駆けて、3年の時のクラスの同窓会をしますと、
発起人兼総代の元委員長から葉書が届いた。
故郷を遠く離れてしまったので参加するとなると初めてのことになる。
担任の先生はお元気かな?
私は4組だということも忘れていたけど💦
月面
と、あだ名がついていたO先生!会いたいなあ。
穏やか、暖かな男の先生で、後にも先にも
一番好きな先生だった。
そして、とても仲の良い楽しいクラスだった。
高校受験を控えていたのにとても楽しかった。
私が勉強を一番良くした時代だ。
当時は公立が第一志望で私立は抑えの受験。
雪の日、比叡山高校目指して電車を乗り継ぎ、更に雪の坂道を延々歩いたが、その時も先生は引率して下さったと記憶している。こんな遠くまで通うのは御免だい!と、公立目指して頑張った。
公立の合格発表の日のことは良く覚えている。雨だった。
合格の報告に行くと先生はとても喜んで下さった。
昔の県立女学校で、その年は優秀な女子がわが校から40人も受験することになり、
塾も行かない私など、他の先生が無理だと仰ったのに、O先生は大丈夫!この子はやります!と、はねつけて受験させて下さったのだ。
おかげで仲良しの優秀な友達と大挙して入学した。
その後は勉学より部活にのめり込んで落ちこぼれたけど💦

葉書は今日届いた。
参加の返信をまだしていないのに
取り急ぎホテルを予約した🏨

春の嵐

2018-03-05 23:17:54 | 日記
窓の外で唸っている風。
いろんな音がする。
鳥や野良猫も
息を潜めてこの恐ろしい闇と風の唸りが過ぎるのを待っているのかな。

恐ろしいのは何もこの嵐だけではないけれど。

風の音を聴いていると眠くなってきた。

目覚めたら
穏やかな朝
だったらいいなぁ



青春は続く

2018-03-04 00:47:39 | コンサート 公演 展覧会 フィギュア
茶々丸のデビュー35周年と、誕生日を祝うライブに行ってきた。

下北沢ガレージ。

ライブの前に腹ごしらえ。
下北沢はいっぱい美味しそうなお店がある。
下調べしておいたサラダのお店「ハービヴァラウスサラダ」へ



鳥の餌の上にローストビーフが乗っかっているような……でもこれが優しく美味しいの。食べログ見ましたと伝えたらチキンスープが無料になった。
お水はデトックス水
今日はアルコール入れません。
⚠️スタンディングライブだから、足元危険。

600円で飲み物バッチを貰った。
アルコールも販売されているけれど、高いペットボトルの水を選んだ。











茶々に会うのは、なんと35年振り位。
つまり、最後に会ったのはデビュー前なわけで、茶々丸と言えば、私にとっては
「青春会」
であって、
GACKTさんとかとやっている茶々は別の人のようだったのだけれど、
会って確かめてきた。

同い年とは思えぬ美しさに圧倒されましたわ。
58歳の男の顔やない‼️

許可を得ての写真UP
とてもじゃないけど、横に並ぶ自分の顔を晒す気にはなれませんでんがなまんがな。流石‼️





ライブはめちゃ楽しかった。
一夜限りのデッチャ復活ライブありーの、
昨日マニラにいるという情報が飛び交っていたGACKTのサプライズ登場がありーの。
そっくりさんのガクトンがえらく上手いなぁと思っていたら御本人登場で、茶々もマジ涙ウルルン。

己の才能を信じてやりきっている姿は清々しい。

友人というよりも、もはや母のような気持ちになって、彼らの成功を祝っている私だ。

茶々丸‼️おめでとう㊗️
元気で永遠に美しく活躍して下さい‼️

おまけ

このシールをもらうと、終演後謁見⁉️を許される😅




奇数ゾロ目の日

2018-03-02 22:26:41 | 日記
明日はひな祭り
江戸文化研究会からお便りを頂いた。
いつも日本人として知らないことを恥と思うので、忘れぬようにここに転載させてもらう。
以下。

「もともと節句の「節」とは、中国の暦法で気候の変わり目の祝日のこと。
中国では「奇数(陽)が重なると陰(厄日)になる」とされ、
3月3日や5月5日など、月と日の数字が奇数で重なる日に
旬の物を食べて邪気を払いました。
これが日本へと伝わり独自の進化を遂げていきます。

中国ではこの日に川に入って禊(みそぎ)をしましたが、
日本では人形[形代(かたしろ)]で体を撫でて穢れを移し、
川や海へ流しました。「流し雛」はこの名残りです。

このような禊の行事に、上流階級の女の子達の人形遊びである
「ひいな遊び」が時代を経て融合していき、
現在のようにお雛様を飾るスタイルとなりました。
このような形になったのは元禄時代といわれています。

雛祭りが盛んになると、雛人形や調度品を売る
「雛市(ひないち)」が立つようになり、
中でも「十軒店(じっけんだな/現在の室町3丁目にあたる)」の雛市は有名でした。

また、上巳の節句はちょうど大潮の頃に当たり、
江戸時代には潮干狩などの磯遊びも盛んに行われました。
これは水辺で禊をする名残ともいわれています。」