八つ手の咲く頃
昭和20年代 山を下りた黄葉の便りが里に着く頃になると、薪しょい作業があった。
それは教室に備えられた暖房用ダルマストーブの燃料を、自分達で山から運び出す作業である。
その日が来ると、弁当と水筒を持ち背負子を担いだ児童生徒が校庭に集まって、校長先生の挨拶を聞き、二列になって出発する。
中には草鞋を履いた児童も見られた。
落葉を踏みしめて、山奥の村有林を目指して登る、低学年は山の麓から、中学年は中腹から、高学年は頂上から運び出す。
2時間ほどでそれぞれの目的地に着くと、そこには夏の間に父兄が作った薪が、山のように積み上げられている。
ここで昼食を済ませ、ひと時遊んで、担げる範囲の薪を背負って学校に戻る。
誰かに云われるまでもなく、子供達は自分の力の限界ぎりぎりまでの薪を背負った。
重荷が時間の経過とともに肩に食い込んで、学校までの道のりが長かった。
山の木の実を採った楽しい思い出も多いから、それは遠足を兼ねた行事だったかもしれない。