カラーといわずに総天然色映画といっていたころ、たまにしか観ることができない色付きスクリーンに魅了された。
昨夕の夕焼けはその頃のスクリーンを再現したような色調であった。
淡い灯がともる街から、夕焼け空に向かって、火の鳥がが飛び立つような緊張感で暮れてゆく空を見ていた。
そして 誕生月を迎えて、気忙しい時の流れに、苛立つような 日々を過ごしていたこと気付いた。
あわてることはない、まだ時間はあるのだ。
カラーといわずに総天然色映画といっていたころ、たまにしか観ることができない色付きスクリーンに魅了された。
昨夕の夕焼けはその頃のスクリーンを再現したような色調であった。
淡い灯がともる街から、夕焼け空に向かって、火の鳥がが飛び立つような緊張感で暮れてゆく空を見ていた。
そして 誕生月を迎えて、気忙しい時の流れに、苛立つような 日々を過ごしていたこと気付いた。
あわてることはない、まだ時間はあるのだ。
庭の芍薬があでやかに咲いた。
芍薬と牡丹は類似花だし、百合ときたらやたらと種類が多く思想を特定できない。
表題が美人の枕詞として定着したのはなぜだろう。
一方 芍薬は立って見るのが一番美しく、牡丹は座って見るのが一番、百合は歩きながら見るのが美しいから、という説もあるらしい。
現在 日本国内には世界中の名花が咲き誇り、美人比較の選択肢は格段に広がったが、しかし美人の形容も多岐にわたるので、三花ではとても尽くせない。
伊豆 伊東での大会を終わって三日ぶりに帰ったら、景色が様変わりしていた。
小さな池のほとりの杜若が昨年より大幅に花数を増して、新緑の中に涼やかな色彩が溶け込んでいる。
梅雨入りが近いのだなと思う。
伊東市で開催されたワイズメンズクラブ東日本区大会に出席した折、知人に薦められて立ち寄ったのが東海館であった。
木造三階の重厚な日本建築である。
昭和3年に温泉旅館として築造された建物であるが故あって伊東市に寄贈され現在は「伊東温泉観光・文化施設」として活用されている。
この建物の佇まい触れた時、私の近くに10年ほど前まで現存していたある温泉旅館を思い出した。
昭和の初期 片倉製糸社長により建築された瀟洒な鉱泉別荘 霞山荘で、後に天皇皇后を始め多くの皇族を迎え由緒ある旅館となる。
しかしながら 片倉財閥の財力を惜しみなく投じた昭和の名建築も、老朽化により2004年9月人知れず取り壊されてしまった。
後世に残すべき昭和建築の名作は永久に消滅した。
建造物は個人の所有を越えた文化遺産である。「壊すことは簡単だけれど、それを復活することは不可能だ」これはワイズの友人仙洞田さんの重い言葉である。