今よりも若いころ早朝ジョギングをしばらく続けたことがある。
枯れた芝に霜が白く光る田中の小路を走った。
ところどころに葡萄畑があって、葉が落ちた棚に取り残こされた小さな房が、半分干しブドウのようになって下がっている。
棚下に走り込んで、ひと房をちぎり取り口に入れる。
完熟の上に乾燥が進み、味が凝縮された葡萄は、本当に美味しかったことを思い出す。
先日 近所の果樹栽培者から、香り高い完熟したナイアガラ葡萄をいただいた。
味、香りこれぞ葡萄の女王様であると思う。
今よりも若いころ早朝ジョギングをしばらく続けたことがある。
枯れた芝に霜が白く光る田中の小路を走った。
ところどころに葡萄畑があって、葉が落ちた棚に取り残こされた小さな房が、半分干しブドウのようになって下がっている。
棚下に走り込んで、ひと房をちぎり取り口に入れる。
完熟の上に乾燥が進み、味が凝縮された葡萄は、本当に美味しかったことを思い出す。
先日 近所の果樹栽培者から、香り高い完熟したナイアガラ葡萄をいただいた。
味、香りこれぞ葡萄の女王様であると思う。
サラシナショウマ
更級(さらしな)は長野県にある地名であり、古来より蕎麦の産地であったらしい。
しかしこの花の冠に着くサラシナは違う、若芽を晒して山菜とした「晒し菜」によるものだとの記述がある。
信州大学医学部に出入りしていたころ、研究室の助手さんは使用済ガラス器具の洗浄に忙しかった。
研究室の試験管洗浄ブラシはこの花に驚くほど似ている。
インビボ、インビトロを知ったのもこの頃である。
中山博士の研究室で試験管を振っているテレビ映像で、最先端の研究室で今も試験管が健在であることを知った。
しかし 多分試験管を洗って再使用することはないだろうと思う。
試験管を洗浄している時が、若い助手さんと話ができるよい機会だったのだが
イワミツバ?
夏のころセリ科の植物に、キアゲハの派手な幼虫が住みついて、突くと橙色の二本角を出して威嚇する。
角からは特殊な匂いが発生した。
秋が深まると、せり科の植物は白い集合花を開いた、食用になるホンぜリ、ミツバ以外は全てオニゼリと呼んでいた。
太陽の位置が大きくずれて、秋彼岸が過ぎると山沿いの道に日が射すことはない。
黄葉が始まる前の暗い樹影の中で、白色は他のどんな色よりもよく映える。
花蜂が忙しげに蜜を集めて花の間を飛び回っている。
そば祭りの行列に金木犀の香りが漂ってきた、会場の公園に見事な金木犀が1本ある。
風向きによって会場の隅々まで香りが届くのだろう。
朝方町内の訪問先に金木犀が咲いていて、香りと花色によって玄関先が明るく感じられた。
帰り際に黙って小枝を折って柑橘系の香りとともに持ち帰ってしまった。
金木犀の香りは、厳しかった残暑が言葉だけになって、仲秋の空を渡る冷たい風に炬燵を恋しく思う心根に似ているようにも思へた。
以前 蓄膿症を患って、全く臭いの無い世界で3年間程暮らしたことがある。
生活上でそれほどの不便は感じなかったけれど、秋になっても金木犀の香りがない事は淋しかった。
野菊
長野市街地に迷い込んだ月の輪熊は、市内を流れる裾花川の河川敷で射殺された。
当然の結果である、TV画面からは住民の安堵感が伝わってきた。
こんな時いつも身勝手な自分自身に向き合わされる。
「あらゆる生命体は、他の生命体から命をいただいて生きている、食前の祈りはその命への感謝である」と菩提寺の住職はいわれる。
、人の平穏ののために消えた、熊や鹿等野生動物の命に野菊を添える
紅葉のはしり
善光寺の門前町で長野県庁が睨みをきかしている長野市は、松本に比べたら都会である。
新幹線が停車する長野駅は立派な構えであり、街の中央にある。
その在来線ホームで、電車を待つような仕草の熊が目撃された。
騒がれて驚いたのだろう、熊は線路に降りレールに沿って走っていってしまった。
そして駅の安全確認のため、列車に数分の遅れが出たとTVが伝えた。
ことしの山は、木の実が不作で、中でもブナは凶作で、冬眠を控えひもじい思いの熊が、食物を求めて里に下りた。
大した餌のもありつけず、仕方なく山に帰ろうと思ったけれど、車の往来が激しくて道を間違え、街中に迷い込んだのだろう。
人間を恐怖に陥れた罪は軽くない、見つかれば銃殺になるだろう。
それが一番良い解決だと思いながら、鉄道に沿って姥捨山あたりまで逃げのびて欲しいと思ってもいる。
彼岸花
は
松本市に合併する前は入山辺村といって、11月3日は村民大運動会が開催され、地区ごとに編成された6チームが優勝旗を争った。
予科練帰りの血気盛んな青年たちが半年もかけて夜毎練習を重ね、その日に臨んだ。
子供達も応援団を結成し、応援歌と手拍子の練習を重ねてその日を待った。
歌った応援歌の多くは旧制中学や大学の応援歌を借用し、小学生達は歌詞の意味も判らず声を張り上げた。
運動会の運営形態も、中身も様変わりしたが、その運動会は今も連綿と続いている。
運動会が近づいて、今年も町会の選手選考委員が我が家に競技参加を要請にきた。
参加種目は玉入れ競技である、断る理由もないから受諾した。
その夜、60年以上も昔歌った運動会応援歌のことを思いだし、インターネットで検索した。
それが旧制第一高等学校の寮歌であることを初めて知った。
1900年アムール川(黒竜江)岸で起きた、ロシアによる中国人虐殺事件を題材に作詞されている。
何故寒村の運動会応援歌にこの歌が歌われたのか解らない
アムール川の流血や (第一高等学校寮歌)
アムール川の流血や 氷りて恨み結びけむ
二十世紀の東洋は 怪雲空にはびこりつ
曲からは人を奮い立たせる何かが感じられる、軍歌「歩兵の本領」、労働歌「メーデーの歌」も同じ曲である。
静かな静かな里の秋 お背戸に木の実が 落ちる夜は
童謡「里の秋」は昭和23年に発表された、私の10歳頃である。
3人の姉達が良く歌っていた。
田舎の秋は夜になると、熟れた栗や胡桃の落ちる音がよく聞こえた。
木の実はサワサワと葉の隙間を抜けて、コトンと音をたてた。
時たま物置小屋のトタン屋根に落ちる時は吃驚するような音がした。
暗い小さな裸電球が灯る炉端で栗を焼いた、香ばしい匂いがする熱い栗を、掌で転がして、熱さをこらえて口に運んだ。
栗を焼く時 堅皮を剥かないと、弾けて飛び出す。 猿蟹合戦で悪い猿を懲らしめる栗の役割である
土間では毎晩同じエンマコオロギが、か細く鳴いて、姉が歌う秋の童謡が一層 寂しく聞こえた。
出征したお父さんは無事に帰れたのだろうか そんなことを考えたりした。