自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

ヒラタアブの成長(16)

2014-04-11 | ヒラタアブ

『ヒラタアブの成長(13)』で,孵化と直後の風景を写真でご紹介しました。誕生後,卵から離れていったその初齢幼虫は,やがて食餌行動をしたはず。

ところで,仮定の話ですが,卵がアブラムシ集団の間にあったり,卵のすぐ傍にアブラムシが一匹でもいたら,生まれたばかりの幼虫はどんな行動に移るでしょうか。ただし,幼虫がアブラムシを“餌”と認めた場合の話です。

それを考えるヒントを,このほど得ました。卵から孵ってほとんど時間の経っていないと思われる幼虫が,殻の脇で,アブラムシを食べているのが観察できたのです。下写真です(幼虫の体長は1.5mm)。


 

殻は,すぐ前まで幼虫が入っていたものでしょう。事の流れを推測すれば,生まれ出たその場にアブラムシがいた,それを幼虫が認知した,そして同時にそれを餌と認知した,結果さっそく食べ始めた,ということなのでしょう。すべて遺伝子の導く業です。

それにしても,幼虫のどこでそれを認知したのでしょうか。嗅覚か,視覚か,触覚か。ふしぎふしぎ。

これまで観察してきた状況は,ヒラタアブの幼虫はアブラムシを食べることにおいては目が無く,大食漢であることを物語っています。ことごとくそうでした。動物の行動は,基本的には,食べるために動く(運動する)という点で共通しています。逃げるという行動も,他の動物が我が身を“食べる”,つまり食べられるという点から身を守るために起こるものです。

したがって,ヒラタアブの幼虫の姿は非常に動物的だと言い表すことができます。

わたしが関心を抱くのは,生まれたばかりの幼虫が一休みをするのか,それともすぐに食餌行動に移るのか,という点に絞られます。写真の幼虫は,たぶん,一休みをすることなくアブラムシを口にしたのではないでしょうか。


こう考えると,食にかける幼虫の貪欲さやたくましい生き方は,種としての生存競争を生き抜く,この種ならではの戦略に思えてきます。どんどん食べて,どんどん早く成長してという知恵です。ただ,それにとどまるわけではありません。そんなことだったら,一人勝ちになります。どんな戦略を講じて生き抜こうとしても,天敵がきっちり現れます。生きものの世界には,圧倒的に強いスーパースターは存在しません。

自然界はとにかくうまくできていて,バランスが保たれています。じつに多様ないのちが織り成す世界です。それを垣間見るおもしろさがわたしにはあります。

 


サクラ満開,福井市,そして能美市,……

2014-04-11 | 旅行

北陸を北上する桜前線を満喫してきました。今がちょうど満開。

福井市街地を流れる足羽川の堤。ここの桜並木には,老木ならではの貫禄と静かさが漂っていました。平日だったので,花見の人のなんと少ないこと!  風情をバッチリと目に焼き付けることができました。

 
たばこをゆっくりくゆらすお年寄りが一人。わたしはタバコを吸いませんが,満足そうな後ろ姿は絵になります。


河川敷からは,枝を張り出す力強い姿をたのしむことができました。

 
能美市。昨年からちょうど一年めの再訪です。微風がヒヤッと肌を刺して吹き抜けていきました。田園を貫いてずうっと続く桜並木。ここには,若木ならではの初々しさがありました。


健康ロードと名付けられているだけあって,時折,ランニング姿の人を見かけました。 

 
桜を横に,上に見ながら,さっそうと走る自転車。軽快な姿です。

 
春を迎えて,田起こしが始まっていました。あちこちにトラクターの姿が。お年寄り(女性)の運転でうなりを上げて土を掘り起こしていました。これを眺めながら,ついつい高齢化社会の現実を思いました。

 
雲一つない青空が広がります。白山連峰が遠望できました。雪がまだまだ深いなあという印象でした。

 
並木のすぐ脇の家から,犬の散歩に出かける人の姿がありました。

 
ここの桜並木には空間美があります。広々とした空間に,直線で続く桜の列は見事です。もし,家が建て込んでいたりフェンスやガードレールがあったりしたら,空間は人の気配で乱されます。素朴なのがいちばんです。すっきりとした空間が美を醸し出しています。

翌日の金沢市。ここもまた,見事な桜模様でした。とりわけ,兼六園と金沢城址に挟まれた谷間の桜はトンネルそのもの。桜の影が顔に降り注いでいる感じなのです。そこを通るときの感動はなにものにも代えがたい思いがしました。