街路樹のケヤキが,ヒトと共生して気持ちよさそうに育っているように見えた最近の例の二つ目です。
ついこの間,北九州の小倉を訪ねました。そこにわたしが大好きな故松本清張氏を記念する市立施設があります。そこを訪れたのでした。施設の最寄りの駅は西小倉駅。そこからは徒歩8分の道のりです。通りは清張通りと名付けられ,歩道にはケヤキが植わっています。
ケヤキは大木というほどの樹齢ではありませんが,じつにみごとな樹形を保ちながら,堂々と立っているのです。一目見て,一気にケヤキの呟きが聞こえて来そうな気持ちになりました。「いい気分」とでもいっているようでした。それはまた,ヒトの接し方に感謝を込めたことばに聞こえました。
広い道路,広い歩道,という点はわが市のケヤキ街路樹とは異なった環境なのですが,手入れの仕方はみごと。ケヤキのいのちを尊重する心遣いがあります。そこにはケヤキの権利を大事にするという発想が流れていると感じました。
ケヤキの樹形は大きくなるのが当然,大きくなる方向でいかにバランスよく整えて行くか,これをどう景観づくりなりまちづくりなりに生かすか,そんな理念が伝わって来ました。施工業者も担当部局も街路の維持管理という点で,長年にわたりノウハウを蓄積してきているということなのでしょう。たぶん多くのまちでも同じことがいえると思います。
この日は雨が時折降りました。しっとりとした通りを体感しました。清張記念館で過ごしたひとときは,おかげさまで一層感動的で,味わい深いものとなりました。ますます,清張氏にどっぷり浸って行くことになりそうです。