(株)ハートマッスルトレーニングジム代表
主体的人生を構築する人材育成トレーナー
桑原規歌です。
今日のテーマは
「諭吉先生のエピソードから学ぶ新しい学力」です。
あなたが、
何かに納得して「やってみようと思う時は
どんな時ですか?
もちろん時と場合と内容によると思いますが
今日の記事はそんなことを
考えていきたいと思います。
5月20日のNHK「ヒストリア」は
福沢諭吉さんがテーマでした。
そこで紹介されていた
エピソードはとても興味深いものでした。
11歳〜12歳の頃、
諭吉は家の中を歩いていて
藩主の名前を書いた紙を踏んでしまいます。
『殿様のお名前を足で踏みつけるとは何事だ!』
と、かなり強く叱られたそうです。
諭吉は、一応謝罪したものの
納得していませんでした。
「名前を書いた紙を踏んだことが
なんでそんなに問題なのだろう?
本人を踏んだわけでもないのに!」
その疑問から
諭吉が取った行動に仰天。
「では、
神様の名前が書いてあるお札を踏んだら
どうなるのか?」
という検証をしたといわれています。
その結果
「なんだ、何も起こらないじゃないか」
ということで、ついでに
トイレでお尻をふいたとか。
これがよいとか悪いとかということは
さておき
「そういわれているが、本当にそうなの?」
という、何でも自分で検証しない時が済まない
というところに、非常に魅力を感じます。
権威ある人が言っているから
そういうもんだから
風習だから
と、安易な納得をせず
自分で検証する、自分で実際にやってみる
ということは大切なことだと
桑原は考えます。
検証大好きで、本当にそうなのか?
実際にやってみるということを
桑原も大事にしています。
それゆえに痛い思いもしますが・・・。
ここで、桑原の「えー」の体験を・・・。
以前、やったことがない場面に出会いました。
「これ、初めてだな。
どういう仕組みかな?」
とチャレンジしようとしていた時
そばにいた友人が
考える隙を与えないほどの
スピードでこういいました。
「これをここにおいて。
次はこれです。
そしたら、次にこれをして
こうやったら、できるよ。」
親切のつもりで
教えてくれたその人。
正直迷惑でした(笑)
「自分でやらせてよ。
自分で納得しながらやりたかったのに」
「教えて」といったわけでもないのに
先回りをされ、
自分の検証や納得する過程を
取り上げられてしまった感覚になりました。
こういうことは、
子育てや学校でも起きているのではないでしょうか?
それって本当の意味で
「できた」ではないし、
決して、成功体験ではない
というのが桑原の持論です。
だって、言われたとおりにやっただけで
何一つ自分の頭は動いてないのですから!
こうやって育てられた子は
大人になっても人の物まねに
終始します。
新しい時代の学力として
思考力の大切さが挙げられています。
目の前の課題について
自分でしっかりと考えるのは当たり前。
さらには
「課題を発見する力」
「よい問いを持つ力」
ということも重要な要素となります。
誰もがわかっている「問題・課題」を
どう解決するかだけではなく
新たな課題を発見し、
どんな問いを立てればよいか
という力量が
必要となってきます。
この問題をどうやって解決するのか?
ということに対し
答えだけを求める人は
フリーライダー。
例え答えを教えてもらったとしても
自分で納得するまで検証するかどうか。
さらには、
誰も気づかなかった視点で
現状を洞察し
次の課題を自分で発見できるかどうか。
誰かが見つけた答えを
丸暗記し、点数を取り、
評価されてきた人(大人・子ども)にとっては
厳しい時代になるのかもしれません。
子どもの教育にかかわる人は
まず自分が
そのやり方を手放し
脳をしっかりと動かすこと。
今、時代の価値観は
大きく動いています。
それでは
今日も、希望を胸に
すてきな1日を作りましょう!
この記事は、メルマガ「可能性をあきらめたくない女性のための時間と思考の使い方」
2020年5月21日号で紹介した内容に加筆修正した内容です。
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