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(一社)ハートマッスルトレーニングジム代表
主体的人生を構築する人材育成トレーナー
桑原朱美です。
今日のテーマは
「【講座の感想】認めたくないし、恥ずかしいけど、その感情を受け容れます」です。
保健室コーチングアドバンスコース第7講の感想その①です。
第7講では確認質問について、さらにトレーニングを重ねました。
第6講7講あたりから、受講生の抵抗が強くなるのか、感想がなかなか提出されません。
そんな中で、いの一番に感想を提出されたH先生。自分と深く向き合われる姿は、何時も素晴らしいなと思います。
第7講には課題がありました。
その課題のために、みなさん、あれこれ、復習をされたりしていました。7講では、こうお伝えしました。
「その課題をやることも大切ですが、その課題をやるにあたってあなたはどんな感情や思考が生まれましたか?
その自分の思考に気づいてください」
何がよくて悪いということはないのです。しかし、自分がどんな状況でどんな思考パターンを持ち、
それが自分の成長や進歩にどのように足かせになっているのか、
あるいは背中を押しているのか?それにきづいてもらいたいとおもいました。
H先生は、その部分にも赤裸々に、自分の感じたことを表現してくださっています。
知識を得る、スキルを得る、上手に説明するということより、大切なことはそこなのです。
昭和の学び方で優秀と言われた人は、そのやり方が手放せません。
自主性はあるけれど、主体的ではないという人もいます。
積極的というより消極的に見えるけど、主体性をもって生きている人もいます。
自分をすごい人に見せることにたけている人もいます。
力はあるのにそれを信じられず、ついつい自分を卑下する人もいます。
何が良くて何が悪いということではなく、気づいて、それを受け容れるところからしか始まらない。
受け容れたものしか変えられないということです。
長年、多くの受講生を見ていて、「できる自分」「誰かより勝っている自分」であり続けようとする人は、一定のところで頭打ちになります。
しかし、自分を客観的に見て、自己開示し、そこから新しい世界を切り開いていくのだと感じています。
H先生の感想からは、自分とさらに向き合っていこうとする覚悟が感じられます。
前日の仕事を終えてから、何を質問されても答えられるように、自分なりにパソコンでまとめてみました。直前まで「あーでもない、こーでもない」と打ち替えては印刷をし、を繰り返していました。私の課題に対する向き合い方は、たくさんの知識を盾にして自分を守っていました。同じ意味で違う言葉になるとわからなくなるような脆弱な盾なので、「要するに何?、シンプルにいうと何?」と聴かれても、膨大な知識からすぐに検索することができませんでした。
結局、わかった気になっていて、自分のからだに落とし込めていなかったことがわかりました。「姫先生に認められたい」「できない人と思われたくない」等、自分軸ではなかったことにも気づきました。 受講中に姫先生がおっしゃられた事が図星で、私のことを言っているのかなと思いドキドキしました。どんなに鎧で醜い自分を隠しても全てお見通しで、隠しきれないなと痛感しました。
今までは、形ばかりの知識を詰め込み、先生の言われた言葉を一言一句逃すまいと思って書き留めていました。このような勉強の仕方では、違う言葉を使われると、応用がきかなくて、何をいっているのかわからなくなるのだと思いました。今までまじめにコツコツ勉強してきたつもりでしたが、何一つ身につかなかったのは、このような勉強方法だったからだと思います。今は、ただただその時々に顔を出す色々な自分と向き合います。認めたくないし、恥ずかしいけど、その感情を受け容れます。そして、一言一句にこだわるのではなく、「要するにどういうこと」と、自分に問いかけ、時間をかけて現実で体験し、からだに落とし込み、シンプルにしていく作業をします。
第7講の始まる時間が近づくにつれ、お腹が痛くなり、お腹をくだし、何度も何度もトイレに行き、直前までトイレにいました。そのときに気がついたのです。「私は、健康診断の前も同じ状態になる」ってことを・・・
なぜこんな状態になるのだろうと考えました。「完璧に健康診断をこなしたい」裏の想いは(事前に提案したことを提案通りにしてもらいたい)皆が提案通りにしてやってくれなかったらどうしよう。うまくいかなかったらどうしよう、自分はちゃんと提案したのに・・・私のせいではない、やってくれない人のせいだ!!と、相手に責任転嫁し、妖怪クレナイモンになっていました。まさに他人軸でした。
コミュニケーションミスがおこるのは、話し手の二次体験と、聞き手の二次体験が違うから二重のコミュニケーションミスで起こると理解し、聞き手(自分)の思い込みについては、全く理解できていませんでした。自分はきちんと伝えたつもりでも相手によって受け取り方も違うし、土台も違うことがわかりました。
聞き取る時は、相手に確認することもなく、勝手に解釈してわかった気になっていたこと(察することが空気が読めている=良いことと思っていたから)を反省をしました。
「丁寧に確認質問をすること」は案外難しいことではないなと感じました。
相手に気づかせるためではなく、相手を理解し、相手の内面に触れさていただくために物わかりの悪いおばさんになり、相手とのコミュニケーションを図ります。