かぜが流行し始め、保健室は朝から体調不良者であふれています。
3つしかないベッドは満タン。それ以外でも、「頭が痛い」「おなかが痛い」という生徒が熱を測りにきたりしています。
そんな中、私も、かぜを拗らせてしまいました。とほほ。
昨日は、3年前に卒業した生徒がふらりと遊びに来ました。
一見、ヤンキーのような格好をしているので、
見た目は悪いのですが、気持ちはとっても優しい男の子です。18歳になったんですね。
彼は、当時のやんちゃボーイズの一人で、
かなり手を焼きました。
今となっては、一緒に思い出話をしながら笑いあうことができるんですね。
卒業してから、彼もいろいろあり、たくさんの経験をつんで来たようです。
それは、彼の表情に表れていました。
彼なりに大人になって「今」を生きていると感じ、嬉しく思いました。
教師をしていて、嬉しいと感じるのはこうしたことがあるからなのでしょう。
当時は一度も私のことを「先生」なんて呼んだことはなく
「桑原!」とか「ばばぁ」なんて言ってたんですが、
ちゃんと自然に「先生」って呼ぶんですね。面白いです。
彼がこんなことを言っていました。
「おれ、ぜったいに、接待とか人間相手の仕事ってできないと思う」
現在も自動車学校に行っているようなんですが、
同じ年代の学生達がいるとすごく苦しく感じるのだそうです。
「同年代の人がダメ。仕事では、ずっと上のひとたちだから大丈夫」
・・・うん?これって・・・。
そうか、彼は、たぶんNLPでいうところの「体感覚」なのかもしれないと思いました。
当時は、自分自身がNLPを知らなかったので、
そんな理解をしてあげることもできませんでした。
不登校や問題行動を起こす子ども達の中には、
感受性が強すぎで、からだでいろいろなことを感じてしまい、
どうしようもないということがあるようです。
ことばにうまくできないので、
よけいに自分が感じていることが何なのかわからず苦しいのかもしれません。
私たち教師は、ついついことばとかお話とかで、
子ども達を動かそうとすることが多いように思います。
そして、ことばでの説明を求める。
「なんで、教室にこれないの」「どうして学校へ行けないの?」「何がいやなの?」。。。。
でも、体感覚が強い人にとっては、
「説明」を求められることほど、苦しいものはないんですね。
「原因追究」「原因の特定」ばかりに走ってしまってはまずいのではないかと思うのです。
生徒の話を聞くときに、彼らが話したいと思っていることよりも、
「自分が聞きたいこと」を優先しているのかもしれません。
じゃ、何ができるんでしょうか?
彼らの感じていることを、いっしょに感じてあげることが出発点ではないかと思うのです。
卒業生との久々の再会は、とても、懐かしく楽しかったです。
いつもは、大きな顔して入ってくる3年生の男子達が、
保健室に入ろうとしたと単に、卒業生の姿を見て(面識はないです)
フリーズして、入ってくることができませんでした。
そのようすもとっても可愛くて「大丈夫だよ。はいってもいいよ」
と声をかけると借りてきた猫のようにおとなしくしていました。
その姿もマジかわいいです。
卒業生が帰った後、3年生のある生徒が
「おれも、卒業したらここに遊びに来る」といっていました。
ぜひ、成長した姿、見せて欲しいです。
そして、ここで、バカやっていたこと、思い出話として、話したいですね。
人が変化して行く姿を見ることは、
人間の可能性とか生きるという過程そのものを見ている感じがします。
・・・・さて、体調もすぐれないので、これから少し横になります。
来週からは、月一回の 京都での師匠のセミナーに5ヶ月間通います。
体調を整えなくては・・・・・・
原因究明やら犯人探ししたとしても
それはストレートに 原因の解決には
ならないのですね
私の場合は 苦しくても
今あるところから
1回くらいはお会いできるといいなあ♪
2時間なんで、行きますよん
じぶんとたたかっているのですね。
今という時間を、与えられたこと、きっと何か意味があるのですよね。
おかげさまでかぜはすっかりよくなりました。
>保健室のお姉さん
旦那にむっちゃ怒られながらの出陣です。
一日中缶詰なんですよ。
がんばります!