先日、レイキセミナーをしてくださったひかり。先生のお話の中で、心に残ったことがあります。
定時制教師時代、荒れた高校での教師時代。
「なすすべもないとき、私は彼らのために祈ることしかできなかった」といわれたことがありました。その気持ち、まさに、今の私です。
「祈り」ということばは、NLPの師匠 山崎先生もお話されたことがありました。
NLPのマスターコースの中でも、NLPカウンセリングの実習の時、ある受講生仲間が、あまりに深いクライエント役の仲間の話に、『私はハグしてあげることしか、祈ることしかできませんでした」とシェアしたことがありました。
どんなに優秀な教師でも、カウンセラーでも、そしてNLPERでも、なすすべがないと感じるときってあります。
保健室に多くの生徒がやってきます。
その中には、一養護教諭では、どうしてあげることもできないことがあります。
それでも、目の前にいる生徒のために、何ができるのだろう。
その時には、ほんとうに「ハグ」してあげたくなったり、祈ってあげたくなります。私は、だれかを何とかしてあげることができるなんて、そんな思い上がりをもってはいけないと、教えをうけているような気がします。
それでも、絶対に手を離してはいけない生徒がいる。
私たち中学校の教師が、彼らの人生の中で関わって上げられる時間はあまりにも限られていて、かれらの人生を背負ったり、肩代わりをしてあげることなんてできないのです。
自分の無力を感じながらも、それでも手を離してはいけない生徒がいる。
『してあげることは、ほんとのやさしさじゃない』
けれど
その手を話し社いけない生徒がいる。
保健室という小さな空間で、ちっぽけな存在の養護教諭はなにができるだろう。
私は、ただただ、保健室の中で自分の無力を感じながらも、手を離さずに、
祈ることしかできないときが、ある。
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ありがとう血盟に参加しています。
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「なすすべもないとき、私は彼らのために祈ることしかできなかった」といわれたことがありました。その気持ち、まさに、今の私です。
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NLPのマスターコースの中でも、NLPカウンセリングの実習の時、ある受講生仲間が、あまりに深いクライエント役の仲間の話に、『私はハグしてあげることしか、祈ることしかできませんでした」とシェアしたことがありました。
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保健室に多くの生徒がやってきます。
その中には、一養護教諭では、どうしてあげることもできないことがあります。
それでも、目の前にいる生徒のために、何ができるのだろう。
その時には、ほんとうに「ハグ」してあげたくなったり、祈ってあげたくなります。私は、だれかを何とかしてあげることができるなんて、そんな思い上がりをもってはいけないと、教えをうけているような気がします。
それでも、絶対に手を離してはいけない生徒がいる。
私たち中学校の教師が、彼らの人生の中で関わって上げられる時間はあまりにも限られていて、かれらの人生を背負ったり、肩代わりをしてあげることなんてできないのです。
自分の無力を感じながらも、それでも手を離してはいけない生徒がいる。
『してあげることは、ほんとのやさしさじゃない』
けれど
その手を話し社いけない生徒がいる。
保健室という小さな空間で、ちっぽけな存在の養護教諭はなにができるだろう。
私は、ただただ、保健室の中で自分の無力を感じながらも、手を離さずに、
祈ることしかできないときが、ある。
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そして相手に全てを委ねる勇気も持っていたい。
相手の人生を生きるのは目の前のその人。
例えどんな結果になったとしても。
そうですね。
人をコントロールすることなんてできないし、その人が決めて行くことを見守るだけという勇気も必要ですね。
私の中の勇気を掘り起こしてみます。
突然のコメントすみません(><)
>手を離してはいけない生徒がいる。
祈るしか出来ない時は本当に辛いけれど、
それでも傍に誰かいる。
自分のコト考えて、自分を想ってくれてる。
それだけで、頑張れる時ってありますよね!!
壁にぶち当たってるときは気づけなくても、
後で振り返れば、姫先生がいなかったら今の自分はいないと感じてる生徒はきっといると思います!!
生徒のこと、すごく考えてるんだなぁ、って感動して突然コメントしてみました☆驚かしてすみません!!