ほしちゃんの「続・なるようにしか、ならん」。

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違和感しかない。TBS・井上貴博アナの号泣。

2023-08-29 18:00:00 | エンタメ

ネットのニュースがやたらとTBSラジオ「土曜日の『あ』で井上貴博アナウンサーが号泣」だったので、何が起きたのかと思い私もラジコで再生したのだが、正直違和感しかなかった。

要するに、夏の甲子園で107年ぶりに優勝した慶應高校の行き過ぎた応援、OBのハシャギっぷりに世間の批判が集中するなかで、井上アナは突如
「…選手を責めるのは、違うと思うんですよね…全国3,700校、どれだけの思いで選手達がやってきたか…」
と、数分間にわたり号泣、嗚咽したのだ。

私はここで、激しい違和感を覚えた。
慶應をめぐっては先述の応援、OBのうるささはさんざん議論の的になってきたが、私が見る限り選手を責める声など聞いた事がない。「エンジョイ・ベースボール」の森林監督のもと髪型も自由、無意味な上下関係などもない慶應ナインの姿は、むしろ時代の流れだと好意的に受け止めた人が多かったのではなかろうか。

私はラジオ業界に全く詳しくないので井上アナについても知らなかったのだが、この人は幼稚舎からの慶應ボーイで、高校時代は野球部に所属だったそうな。言わば今回優勝を成し遂げたのは、モロ後輩である。
その後輩らに対し、コーナーの最後に井上アナは涙声を振り絞り
「…慶應高校、おめでとう!」。
もうコレで、さっぱりワケがわからなくなった。
その言い方が、アナウンサーとしてではなくもはや完全に当事者としてのものだったからである。

慶應の応援が取り沙汰された事が、井上アナにしてみればおそらくものすごく悔しかったのだろう。
その悔しさを晴らすために、ありもしない選手批判をでっち上げて公共の電波を使って反論し、涙し、最後には明らかにOBとして祝いの言葉を述べてしまった。

私が思うに、放送に出てよい人は
①特定の知識や才能がある人 
②事実を正しく伝える使命を帯びた、放送局社員
だけだと思っている。
言うまでもなく、井上アナは①ではなく②だ。
せめて最後の「おめでとう」に「ございます」が付いていたなら、選手達とメディアの間の程よい距離、エクスキューズが感じられたのだが、「ございます」がなかった事によりそれまでの数分間の発言と嗚咽は全て当事者としてのそれだと受け止められても仕方ない。
よって今回の一件は、井上貴博アナもまた一連の
「恥ずかしい慶應OBのひとり」
に過ぎなかったという事を知らしめる結果に終わった、と言わざるを得ない…

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