円空と芭蕉って、ほぼ同時代の人だったのか。
「芭蕉は『奥の細道』で奥州の旅のつらさを嘆いている。しかし円空の旅は、芭蕉の旅よりはるかにきびしかった。芭蕉は、北は平泉まで旅したに過ぎないが、円空はそこからはるか北の下北に行き、そのころ化外の民であったアイヌ人の住む北海道(蝦夷地)に足を延ばし、北海道から津軽へ帰り、そして奥州を縦断して松島まで行った。円空の旅は芭蕉よりもはるかに過酷だったが、円空はその旅に何の嘆きももらしていない」梅原猛
芭蕉の旅、円空の旅 (NHKライブラリー) | |
立松 和平 | |
日本放送出版協会 |
こちらは、家内が教えてくれた。
旅に求めた二つの生き方 自利と利他…
<いのちふたつのなかにいきたる桜かな>
自己を追求した芭蕉。
円空は庶民の為に12万体仏を彫り誓願し、他者の救ざいに自らの生涯を捧げた。
<わしが阿弥陀になるじゃない、阿弥陀のほうからわしになる。なむあみだぶつ。>
ついでに、最近出た話題の本。
先週、六波羅蜜寺へ行って空也上人像をみることができました。
空也上人に劣らず、隣りにあった清盛座像には感動しました。
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