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柳沢寺と新船尾記

2013年05月10日 | 渋川、利根・沼田周辺情報

船尾神社?

言わずと知れた船尾滝を考えれば当然あってしかるべき神社ですが、その存在は知りませんでした。

榛東村にある柳沢寺にそれはあります。
群馬にも五重塔があると聞いて、はじめてその寺を確認しにいったときは、ちょっと残念な姿に見えましたが、境内にたくさんある石仏、鋳造仏類はなかなかのものでした。

 


「修行中 ほとけも勝てず 花粉症」 

            かみつけ岩坊


そして、そこが船尾神社を併せ持つ寺として由緒ある寺であることだけは想像がつきます。

話の種としては外せないと思っていたので、桜の季節に妙義方面へ行く途中、衝動的に家内と寄ってみるたら、そこには驚きの空間が広がっていました。

 

永大供養の施設を兼ねた五重塔のアンバランスな下部も、これなら気になりません。
百年もたてば、こうした建造物も味わいがでてくるものなのでしょうか。

真摯な信仰心を疑うものではありませんが、この建築からは、やはり信仰の精神が突き抜けているような印象はあまりうけません。

にもかかわらず、それまでけばけばしく品のない境内の印象だった空間が、まるて京都に来たかのように見違えてみえるのです。

 

境内いたるところで、写真撮影をする人や水彩写生をするグループなどがいました。

 

ここが船尾神社という地勢を考えると、それでもこのお寺は、群馬県の歴史を語るうえでもとても重要な役割を担っていることを感じさせられます。

おそらく、ここもかつては修験道の寺院だったのではないでしょうか。

船尾神社が船尾滝をご神体にしているのかどうかは、自然な連想で誰もがそう思います。水源地として下流の土地を潤す大事なところであることに疑いはありません。


そこで、頼りたいのが『神道集』に出てくるこの船尾滝にかかわる記述。

柳沢寺の縁起にもそれは明記されています。
 参照(

ところがこの『神道集』の物語りがいまひとつよくわからないのです。
単純な縁起書としては理解しがたい、ちょっと救いのないような物語りなのです。


もともと船尾の地は、タブーの地とされてました。
たとえば不浄の者などが行くと災難に逢うとか、やれ天狗が出て投げ飛ばされたとか、身の毛がよだつような小僧が巌の上に現れたとか、いろいろな伝説につつまれた地域でした。

その山一帯で、多くの人々が焼死、あるいは打死したとかいわれていました。
宝亀から天慶年間にいたる古い伝説なので、信憑性に乏しいのですが、多くの人が死んでいることだけは事実のようで。

 

この地に立ってみると、いろいろな創造が浮かんできます。

 


もっぱらわかりにくい『神道集』だけをたよりに創造をふくらませていたら、思いもよらぬ先人の労作を、私はかつて譲り受けていたことを思い出しました。

 

 

  岩崎狐松著 『新船尾記 小説』  復刻刊行「絵と本の木かげ館」

 

これは昭和43年に、岩崎浦八という人が『神道集』の八ヶ権現をもとに、仏教的脚色を随所に盛り込んだ小説に仕上げ、柳沢寺のもとに刊行されており、それを元教員の品川秀男さんが手作り製本で復刊されていたのです。

私はそうしたことは何も知らず、品川さんのお宅が「絵と本の木かげ館」として開放されていることから、かつてそこを訪ねお話を伺ったことがあります。

そこにこの手作り本が並んでいるのに気づき、私が興味を示したら、なんとその場で譲っていただけました。

B5判の手作り製本で110ページに及ぶもの。
あらためて開くと、思っていた以上の力作でした。

最初の刊行も多くの人々の寄付によって作られたもののようですが、その志を受け継いで品川さんが手作り製本で復刊された功績も大きい。

これは地域の歴史を語る上で、絶対に欠かすことの出来ない重要な文献であることは間違いありません。

なんとかこうした多くの人々の思いを受け継ぎ、電子書籍化などの方法で、より多くの人の目にふれられるようにしたいものです。

 

 

参照 『神道集』八カ権現の事

http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/shinto-shu/files/47.html

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