日々真剣に豊かな社会を目指して努力をされている人たちからはひんしゅくを受けるかもしれませんが、私は常々人が貧乏であることは必ずしも悪いことではないと思っています。
なにせ太古の昔から人類の圧倒的多数は、常に貧乏であったからです。
なぜか多くの人はえてして貧乏を自慢(自虐?)のタネにしていますが、この意味で、貧乏であることは何の自慢にもなりません。
私自身20代、30代には考えられなかったことですが、今ではむしろ積極的に貧乏でありたいとさえ思っています。貧乏であることによってこそ、人は鍛えられるものですが、それ以上に現代は、より多く稼ぐことによって加速される物心両面の貧困を散々見せつけられているからです。
たしかに、いったん貧乏神にとりつかれると、これから逃れるのは、なかなか容易ではありません。
でも日本文化にとりつかれたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、少し違う見方をしていました。
「そういわれましても、この中で私がよく知っているのは貧乏神だけなのです。この神様にはいつもお連れがおいでで、名を福の神と申します。福の神は色白く、貧乏神は黒い色をしておられます」
「それはね」と私は思わず口を出した。「貧は福の影だからだよ。つまりね、貧乏神は福の神の影法師なんだ。私はずいぶんいろいろな所を旅してきたが、福の神の行くところ、必ず貧乏神が付きまとっていた」
(略)たしかに貧乏神を追い出す手立てはなかなかないといわれますが、
『地蔵経古粋』という書物に、尾張の国の円浄坊という老師の話がございます。この方は加持祈祷の力によって、貧乏神を退けたそうです。 ある年の暮れの大晦日、円浄坊は弟子や他の真言宗の行者を集め、桃ノ木の枝を手に呪を唱え、その枝で人を追い出す仕草をすると、寺の門という門をぴたりと閉ざし、もう一度真言を誦したのです。するとその晩、円浄坊は不思議な夢を見ました。骸骨の坊主が一人、破れ寺の中でしくしく泣きながら恨みごとを言ってます。
「これほど長くお仕えしたのに、なんと酷(むご)いお仕打ち・・・・・」
その後、円浄坊は生涯、裕福に暮らしたそうです。」
(小泉八雲『神々の国の首都』講談社学術文庫)
他方、似たような表現ですが、「貧乏」とは違って「貧相」であることは、無条件に避けた方が良いでしょうね。貧相神は、どうもいないようですから。
神さまだからこそ、やはり貧乏神はお付き合いの意味があるのです。
不要な焦りや欲さえなくなれば、貧乏神はたくさんの大切なことを私たちに教えてくれます。
私が貧乏神と仲良くなって幸せになりたいと思う理由は、モノやお金をより多く消費することで得られる豊かさではなく、自らがより多く創造する豊かさを求めているからであり、その先にあるのは、より多く稼ぐことではなく、よりお金のかからない社会を根本では目指しているからです。
お金さえあれば解決するという安易な発想が、こころの世界だけでなく経済を含めた豊かさを生み出す本当の力を育てることを遠ざけてしまいます。
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