歌舞伎を見る機会が出来た。御園座の陽春大歌舞伎。演目は歌舞伎十八番の「勧進帳」。松本幸四郎と息子の市川染五郎。
幸四郎(かつての染五郎)は「野バラ咲いて~るう~ やまみちをぉ~」と歌っていた。当時オイラは大きな声で歌っていた。昔々のお話だ。
染五郎人気で若い観客が多いと報道されていたが、平日とあって年寄りがほとんどだった。ごひいき筋なのか、着物姿の中年夫人や、ド派手なドレスを着飾ったご婦人が最前列に見受けられた。
座席では飲食厳禁。バリバリせんべいでもかじっていようものなら、案内のお姉さんから注意を受ける。食えないとなると余計食欲が湧く。入る前にコンビニでカツサンドとビール。途中抜け出しビールと天ぷらそば。おかげさまで、時々睡眠を頂戴した。御園座は昔、入り口で弁当をもらい休憩時間に席で食べることが出来た。
江戸時代の歌舞伎は、庶民にとって最大の楽しみだった。明るいうちの興行だから、夜明けとともに浅草の猿若町に人が集まる。中村座・市村座・森田座を江戸三座と呼ばれ、日千両と呼ばれたほど賑わった。
歌舞伎小屋の周りには多くの芝居茶屋が建ち並び、茶屋を通して座席を確保してもらう。一日がかりの興行だから、茶屋から茶菓子や幕の内弁当が運ばれ、終わってからも立ち寄って飲食を楽しんだ。帰りは夜中や翌朝帰りになるという、二日がかりの娯楽だった。
入場料は、今のお金に換算すると、最高の桟敷席で12万円以上した。安い席でも2万円。これに飲み食いのお金が加算される。庶民は詰め込みの桝席で5~6千円ぐらいだが、一幕だけなら500円くらいで気楽に観られた。
歌舞伎は当時、ファッションの最先端だった。日常の会話にも歌舞伎のせりふが語られ、町内では素人歌舞伎が演じられるなど、娯楽の少ない江戸時代に、歌舞伎は庶民の生活に溶け込んでいたのだ。
それにしても勧進帳なら大体のストーリはわかるが、歌舞伎は内容が分からない。物語のあらましを熟知した上で観てこそ楽しめるというものだ。
幸四郎(かつての染五郎)は「野バラ咲いて~るう~ やまみちをぉ~」と歌っていた。当時オイラは大きな声で歌っていた。昔々のお話だ。
染五郎人気で若い観客が多いと報道されていたが、平日とあって年寄りがほとんどだった。ごひいき筋なのか、着物姿の中年夫人や、ド派手なドレスを着飾ったご婦人が最前列に見受けられた。
座席では飲食厳禁。バリバリせんべいでもかじっていようものなら、案内のお姉さんから注意を受ける。食えないとなると余計食欲が湧く。入る前にコンビニでカツサンドとビール。途中抜け出しビールと天ぷらそば。おかげさまで、時々睡眠を頂戴した。御園座は昔、入り口で弁当をもらい休憩時間に席で食べることが出来た。
江戸時代の歌舞伎は、庶民にとって最大の楽しみだった。明るいうちの興行だから、夜明けとともに浅草の猿若町に人が集まる。中村座・市村座・森田座を江戸三座と呼ばれ、日千両と呼ばれたほど賑わった。
歌舞伎小屋の周りには多くの芝居茶屋が建ち並び、茶屋を通して座席を確保してもらう。一日がかりの興行だから、茶屋から茶菓子や幕の内弁当が運ばれ、終わってからも立ち寄って飲食を楽しんだ。帰りは夜中や翌朝帰りになるという、二日がかりの娯楽だった。
入場料は、今のお金に換算すると、最高の桟敷席で12万円以上した。安い席でも2万円。これに飲み食いのお金が加算される。庶民は詰め込みの桝席で5~6千円ぐらいだが、一幕だけなら500円くらいで気楽に観られた。
歌舞伎は当時、ファッションの最先端だった。日常の会話にも歌舞伎のせりふが語られ、町内では素人歌舞伎が演じられるなど、娯楽の少ない江戸時代に、歌舞伎は庶民の生活に溶け込んでいたのだ。
それにしても勧進帳なら大体のストーリはわかるが、歌舞伎は内容が分からない。物語のあらましを熟知した上で観てこそ楽しめるというものだ。