花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

「差別と日本人」角川oneテーマ21

2009年11月01日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
          
「差別と日本人」角川oneテーマ21がベストセラーになっている。この本は辛淑玉(しん・すご)さんが野中広務氏への対談の形で書かれている。重い本だ。
差別の歴史がどういう形で生き続けてきたのか、朝鮮人差別が同じように日本の社会で行われ、出自がそうであるだけで、人間として扱われなかった血のにじむような思いが綴られている。
特に最後は圧巻だ。差別を少しでもなくそうと活躍するほど、家族に被害が及ぶ。かばいきれないやりきれなさ、悔しさが、お二人の会話からにじみ出る。
時に嗚咽をこらえながら話す辛淑玉さん。
野中さんは、生い立ちの中で自らの結婚のことを述べている。
女房には婚約するときはっきりと言ったんです。
「僕は言うておかなければならないことがある。それは僕がの出身者だということだ。後でそのことがわかってはいかんから、と思って打ち明けた。それをあんたがどう選択するかは別の問題だ」
そしたら女房は言うんですね。
「それは私が理解しておればいいことです。親や兄弟まで了解を得なければいけない話ではありません。私はわかりました」
そう言うて結婚したんですよ。
しかし、連れ立って出かけられない現実がある。野中氏はあまりにも有名だからだ。
野中さんが官房長官のとき「国旗国歌法案」を通した。辛淑玉さんはあとがきでこう書いている。
解放同盟の書記長で、社会党の議員でもあった小森龍那さんに、野中さんとの思い出を伺いに行った。
「日の丸・君が代法案」は、小森つぶしとも言われたほど権力側の圧力は執拗で想像を絶するものがあったといわれている。
インタビューを終えて、帰り仕度をしている私に、政治家としても思想信条としても野中氏の対極にいるその小森さんが、思いもよらぬことを言ったのである。「野中のことを書くのか?」「叩くのか?」と訊いてきたのだ。
「いえ、野中さんを通して日本の社会を見たいのです」と私が応えると、小森さんは即座に「悪く書かんでくれ」といって私を深く見つめ、そして、強い口調で「たとえ、あれが差別だこれが差別だと口にしても、野中の中には、腹の中には「差別」(の歴史)がしっかり詰まっていて、野中はちゃんと分かっている」そういって何度も何度も自分の腹を叩いた。
私は、小森さんが叩くその腹をみつめつづけた。これは、私がこれまで語り合ったことのある被差別の友人たちにも共通する思いだった。
おそらく、政治家「野中広務」は生涯を通してこの声なき声に応えようとしたのだろう。