昭和21年 空襲から約1年後の 三滝川と海蔵川の間の地域の空撮が手に入った おそらく米軍によるものだろう
上が海蔵川で下が三滝川 左に上下に走る線は1号線(訂正:東海道)である
上の写真の東にあたる 三滝川の上は午起海岸 四分割にして地名を入れてみた(昭和13年の地図参考)
上に海藏川 左の上下の線は1号線である 右上の県立四日市商業高校は 現 橋北中学校 工場と間違えられたのか消失している 四日市病院が新浜町にあった(右下) 八幡神社の位置はそのままだ
その下(南)の写真になる 中央に三滝川が流れる 三滝川を境に焼失状況が大きく異なる 第6小学校・第7小学校と建てられ こどもの多さが伺える 久六町や十建町と昔の町名が目につく
4枚に仕切った右上にあたる写真 午起海岸が広がる 三滝川北の東洋紡績四日市工場は三滝公園となっている
上の写真の南側 東洋紡績は三滝川を挟んで二カ所に工場があり国鉄線の東(訂正:西側)は社宅になっていた 現在の北条野球場 下は大協石油
復興のスピードは かなり早いと思われます 地上では 必死に作業が行われていたのでしょう 希望の未来が見えていたのかもしれません
後の方に出てくる三滝橋の注釈のある写真の川の砂州の形がそっくりに見えますが、いかがでしょう。
これって、ほうじょう?
それとも、きたじょう?
子供の頃、親たちは“きたじょうグランド”と呼んでましたが、もともと四日市出身ではなかったので、、、、、🙄🙄🙄
北条町 戦前は 割にお金をかけずにできた 魚づくしのねりで 賑わせておりました 魚屋さんの町だったようです 「きたじょうちょう」が呼び名で 以前は 北條と書かれていたようですが 現在は 北条 と表記しています
土地の名前の由緒は何だったのでしょうね。北条氏とは関係なさそうですね。
四日市宿の中心である札ノ辻から港へ伸びる浜往還 そこから枝分かれして北へ伸びる魚屋さんのスジが北条町です 想像ですが 北へ伸びる筋から付けられたのだと思います
🙇🙇🙇
>ありがとうございます。
のお言葉に 虚を衝かれたの感でございました
ありがたいことです