大津商店街視察の最後に、御所へ寄った。あいにくの雨だった。駐車場のすぐ南に蛤御門があるというので見学した。1863年天誅組の変で京都から追放された土佐藩らの尊王攘夷派は、天皇を手中に取り戻そうと再び京都へ進出してきた。そして7月、尊攘派と幕府軍は京都御所で戦闘に入る。禁門の変である。最も激しかったのが蛤御門だ。門の柱にはいくつかの弾痕がある。見学者がいじくるので穴は真っ白になっていた。天皇の勅許が幕府軍へ下り、一日で討幕派は敗れた。天皇の決断は、事の勝敗に大きな影響を与えました。
禁門の変最大の激戦地、御所の蛤御門。この門の名をとって蛤御門の変とも呼ばれる。今でも当時、長州軍が放った鉄砲によって付けられた弾痕が、扉や柱など数か所にわたり残されている。(時空旅人ベストシリーズより)
御所に向かって発砲した長州藩は、これ以降朝敵として扱われることになる。長州の人間は一切京へ入ることが許されなくなった。それを感じさせるこの錦絵は一橋慶喜(後の15代将軍)の姿が、颯爽と描かれている。(会津新選組記念館蔵)
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