ほーしざきの散歩道

ゆっくり歩きの散歩道、山口県を中心とした中国地方の名所旧跡巡りを紹介しています。

木戸孝允旧宅 山口県萩市

2014年12月27日 | 散歩道

維新の三傑 木戸孝允旧宅

 木戸孝允は天保4年(1833)6月26日、萩藩医和田昌景(石高20石)の長男として、ここに生まれました。8歳で石高160石の桂家(末期養子のため石高90石)の養子となりましたが、養母死亡のため実家で成長し、江戸に出るまでの約20年間をこの家で過ごしました。

 幼名は桂小五郎、33歳の時藩命により木戸貫治、翌年木戸純一郎と改めました。実名は孝允です。

 17歳の時には藩校明倫館で、吉田松陰に学びました。30歳の頃から藩の要職に就く一方、京都に赴いて国事に奔走しました。慶応2年(1866)には、坂本龍馬の仲介によって薩摩の西郷隆盛らと倒幕の一大勢力となる薩長同盟を結びました。

 明治政府では特に五箇条の御誓文の草案作成に参画し、版籍奉還や廃藩置県の実現に力を尽くしました。これらの功績により、西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」と呼ばれました。明治10年(1877)5月26日、西南戦争のなか、45歳で京都で病死しました。

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若杉山 福岡県の山完登への道

2014年12月27日 | やまある記速報

若杉山山頂

 山と渓谷社の分県登山ガイド「福岡県の山」へ登っています。今回は篠栗町にそびえる若杉山です。西山、犬鳴山に引き続きなので登山開始時間が遅くなり、奥の院の駐車場からの登山です。

 雪の残る山頂からは、目の前に最後に登る予定の三郡山がそびえ、とても印象的に残る山頂になりました。夕暮れ迫る登山道を辿り、最後に着いたのは若杉山の横にそびえる米の山です。山頂の祠に参拝して本日の登山を終えました。

 次に登る三郡山が、分県登山ガイド「福岡県の山」の本に掲載されている最後の山です。2014年の内に登ることができるのでしょうか。

麓から眺める米の山と若杉山

奥の院の駐車場を出発しました

案内に従いコンクリート舗装の道を進みます

山頂には雪が残っていました

向かいにそびえるのは未踏の三郡山です

若杉山の大杉です

奥の院へ向かいます

狭い岩の間を抜けます

はさみ岩です 善人なら通れます

左には鉄製のハシゴがありました

奥の院へ参拝しました

再び挟み岩です 今度は登りです

米の山へ向かう大鳥居です

米の山の山頂に祀られた祠へ参拝しました

夕陽は沈んでしまいました

詳細な登山記はHP法師崎のやまある記でお楽しみ下さい

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