語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【季語】バレンタインデー

2017年02月14日 | 詩歌
 2月14日。この日は西暦270年、ローマの司教、聖バレンタイン(ヴァレンチノ)の殉教した日だが、アメリカの習慣が入り、夫婦や恋人間でハート型のチョコレートなどを贈ることがおこなわれるようになった。女性から恋を打ち明けてよい日とされ、若い人々の間では、近来チョコレートの贈物がますますさかんになってきた。この日から鳥が交りはじめるという。〈本意〉本来聖者殉教の祝日(カトリック)だが、男女相愛の日となって、チョコレートの売行きのさかんな日にかわった。

  バレンタインデーか中年は傷だらけ  稲垣きくの
  愛の日やコクトーの詩とチョコレート  富崎梨郷 
  老教師菓子受くバレンタインデー*  村尾香苗

□平井照敏・編『新歳時記(春)』(河出文庫、1989)の「バレンタインデー」を引用(例句は8句中3句を抄出)
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【中桐雅夫】High Noon

2017年02月12日 | 詩歌
 勇敢な男は立っていた
 丘のうえの高い一本の樹のように
 しっかり根をはって
 正午を待っていた
 静かだ、死が来る前の静かさだ
 時々、小川のせせらぎがきこえる
 「川というものには
 悲しさと嬉しさがまじっている」
 勇敢な男は拳銃をとった
 彼を愛している者は誰もなく
 彼が愛している者は彼から去った
 真夏の灼けつく土
 時計の音を失った時の地帯で
 ただ一人、四人の敵を待っている
 彼の心臓はぷつぷつと炎の泡を吹いた
 大海のように荒れ、また凪いだ
 火薬の匂いが軒下をはっていた
 勇敢な男の任務は終わり
 蝉が鳴いた
 あわてて教会の鐘が鳴った
 彼は急に自分の背が低くなったことに気づいた
 水道の栓をひねり
 すこしの水が喉を流れていった時
 彼は生命の流れていくのを知った

 *

  <「High Noon」(『中桐雅夫詩集』より)。この詩人には、前の二作のように形而上学的な主題を追求したやや観念性の
濃い作品の他に、直接あるいは間接的な体験に基づき、具体的な場面(シチュエーション)を設定して物語的に書かれた作品の系列がある。「High Noon」は、そうした系列の詩の中でもっとも成功したものの一つで、フレッド・ジンネマン監督の西部劇映画の名作「真昼の決闘」(原題名「High Noon」)に内容を借りている。
 --ゲイリー・クーパー扮する主人公ウィル・ケインが保安官の任期を終え、妻を迎えて町を去ろうとする日に、かつて彼が牢獄へ送った無法者とその仲間が彼を狙って町にやってくる。ウィルは既にブリキの記章を町長に返しているので町を去ってもかまわないのだが、彼の良心と正義感が彼を町にとどまらせる。花嫁の反対と町の人々の非協力とをよそに、ウィルは真昼を期して挑まれた1対4の決闘に挑み遂に4人の敵を倒す。
 これが映画「真昼の決闘」のあらすじだが、この映画を見た見ないに関係なく、この詩はこの詩として十分に味わえる。それだけの詩作品としての独立性をこの詩は持っている。第一連・第二連には、決闘の時が迫るのを待っている「勇敢な男」の心理的な緊迫感が、第三連には、敵を倒した後に男に戻ってきた日常感覚が、それぞれ鮮やかに定着されている。特にこの詩の魅力は第三連にあり、決闘が終って緊張がゆるむと同時に、蝉が啼き教会の鐘が鳴ったのに気づく、あるいは自分の背が急に低くなったように感ずるというあたり、さらに咽喉を流れる水を生命の流れていくように感ずるというところなどは、実に心にくいばかりである。【小海永二】>

□中桐雅夫「High Noon」(村野四郎・解説『現代詩集 ~日本の詩歌30~』(中央公論社、1970)
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【芭蕉】大垣 ~奥の細道むすびの地~

2017年01月28日 | 詩歌
 <露通(ろつう)もこのみなとまで出(い)でむかひて、みのの国へと伴(ともな)ふ。駒(こま)にたすけられて大垣(おおがき)の庄(しょう)に入(い)れば、曽良(そら)も伊勢(いせ)より来たり合い、越人(えつじん)も馬をとばせて、如行(じょこう)が家に入(い)り集(あつ)まる。前川子(ぜんせんし)・荊口父子(けいこうふし)、そのほかしたしき人々日夜とぶらひて、蘇生(そせい)のものに会ふがごとく、かつ悦(よろこ)び、かついたはる。旅(たび)のものうさも、いまだやまざるに、長月(ながつき)六日(むいか)になれば、伊勢(いせ)の遷宮(せんぐう)おがまんと、また舟にのりて、 

  蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ 行(ゆ)く秋ぞ>

□頴原退蔵・尾形功『おくのほそ道』(角川ソフィア文庫、2003)の本文校注「大垣」
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 【参考】
【芭蕉】獅子庵 ~各務支考~
【芭蕉】奧の細道の結びの地 ~大垣~
【芭蕉】奧の細道の石山 ~那谷~

奥の細道むすびの地記念館
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【詩歌】会津八一『自註鹿鳴集』 ~奈良~

2016年08月27日 | 詩歌
 みみ しふ と ぬかづく ひと も みわやま の この あきかぜ を きか ざらめ や も
 (耳しふと額づく人も三輪山のこの秋風を聞かざらめやも)

【語意】
 三輪の金屋・・・・奈良・桜井市金屋、三輪山の南麓。
 石仏・・・・八一は「薬師の一面が移されて2面になりしものか。」と書いている。現在では右が釈迦如来、左が弥勒菩薩と言われている。重要文化財。
 村媼・・・・村の老女、いなかの老女。
 みみしふ・・・・耳の聞こえない。“しふ”とは感覚器官が働きを失うこと。
 ぬかづく・・・・額突く。ひたいを地につけて拝むこと。
 みわやま・・・・奈良県桜井市の南東部にそびえる、なだらかな円錐形の美しい姿をした標高467mの山で、古代から神の鎮座する山、神名備(かむなび)とされて信仰の対象となっている。
 きかざらめやも・・・・聞かないことなどない。「やも」は反語の意を表す。

【歌意】
 耳を病んで苦しんでいる里の老女が、頭を地につけてこのみ仏に祈っている。三輪山から吹き降ろす秋風の音をこの老女は聞かないのだろうか、いやきっと聞いているに違いない。

【解説】
 八一が訪れた時、石仏は路傍の木立にただ立てかけられていただけ、吹き降ろす秋風のもと、耳を病む老女の祈る姿という素朴で寂しい情景だけがあった。だが、「聞かざらめやも」に込められた反語の中に、強い希望と「三輪山=神の力」を感じ取ることが出来るような気がする。
 現在の石仏は写真のような頑丈なコンクリートの堂の中にあって、この歌の当時の趣を味わうことは出来ない。周辺は山の辺の道(遊歩道)として整備され、訪れる人も多い。

【補注】三輪の金屋( 『自註鹿鳴集』による)
 三輪山の南なる弥勒谷(みろくだに)といふところに、高さ六七尺、幅三尺ばかりの板状の石に仏像を刻したるもの二枚あり。(中略)路傍の木立に立てかけ、その前に燭台、花瓶、供物、および耳を疾(や)める里人の納めものと見ゆる形ばかりなる錐など置きてありき。(後略)

□「会津八一の歌」(「会津八一の歌と解説」)

 *

・猿沢池にて
 わぎもこ が きぬかけやなぎ み まく ほり いけ を めぐりぬ かさ さし ながら

・中宮寺
 みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の あさ の ひかり の ともしきろ かも

・唐招提寺にて
 おほてら の まろき はしら の つきかげ を つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ

・春日野にて
 かすがの に おしてる つき の ほがらか に あき の ゆふべ と なり に ける かも

 そらみつ やまと の かた に かりね して ひたすら こふ は とほき よ の ひと

・その他
 ふるてら の はしら に のこる たびびと の な を よみ ゆけど しる ひと も なし

 うちふして もの もふ くさ の まくらべ を あした の しか の むれ わたり つつ

 そらみつ やまと の かた に かりね して ひたすら こふ は とほき よ の ひと

 ふるてら の はしら に のこる たびびと の な を よみ ゆけど しる ひと も なし

□会津八一『自註鹿鳴集』(新潮文庫、1969/岩波文庫、1998)

 *

 会津八一(あいづ やいち)
 1881.8.1~1956.11.21、新潟市生まれ。歌人、書家、美術史家。 
 東京専門学校高等予科(早稲田大学の前身)で学び、坪内逍遥、ラフカディオ・ハーンの講義を受ける。卒業後郷里に帰って教鞭をとっていたが、坪内逍遥の招きで、早稲田中学の英語教師となり、後に早稲田大学文学部講師、教授となる。
 明治41年はじめて奈良旅行したことで仏教美術に関心を持ち、その後も研究のためしばしば奈良を訪れた。はじめ俳句を作っていたが、奈良旅行をしたあたりから歌を多く詠み、大正13年第一歌集『南京新唱』を出版する。なお書は独特の風格を持ち一家をなしている。
 掲載作は昭和28年、新潮社より刊行された最後の著作『自註鹿鳴集』に収載されたもの(『會津八一全集 第5巻』(中央公論社、昭和57年)。
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 【参考】
【詩歌】比叡山(抄) ~自註鹿鳴集~
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【永田耕衣】忌 ~8月25日~

2016年08月25日 | 詩歌

 近海に鯛睦み居る涅槃像
 夢の世に葱を作りて寂しさよ

 永田 耕衣、1900年2月21日生、1997年8月25日没。本名軍二(ぐんじ)。別号、田荷軒主人。禅的思想に導かれた独自の俳句理念に基づき句作。また諸芸に通じ書画にも個性を発揮、90歳を超えた最晩年に至るまで旺盛な創作活動を行った。
 神戸市須磨区にて阪神淡路大震災に遭遇。
 毎日新聞神戸版の選者、 神戸新聞俳句選者などを努めた。
 1974年神戸市文化賞受賞。
 1981年神戸新聞社「平和賞」受賞。
 1985年兵庫県文化賞受賞。
 1990年第2回現代俳句協会大賞。
 1991年第6回詩歌文学館賞受賞。

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【詩歌】三好達治「峠」

2016年08月24日 | 詩歌

 私は峠に坐つてゐた。
 名もない小さなその峠はまつたく雑木と萱草かやくさの繁みに覆ひかくされてゐた。××ニ至ル二里半の道標も、やつと一本の煙草を喫ひをはつてから叢の中に見出されたほど。
 私の目ざして行かうとする漁村の人人は、昔は毎朝この峠を越えて魚を売りに来たのだが、石油汽船が用ひられるやうになつてからは、海を越えてその販路がふりかへられてしまつたと私は前の村で聞いた。私はこの峠までひとりの人にも会はずに登つてしまつた。
 路はひどく荒れてゐた、それは、いつとはなしに雨に洗ひ流されて、野茨や薄の間にともすれば見失はれ易く続いてゐた。両側の林では野鳩が鳴いてゐた。
 空は晴れてゐた。遠く、叢の切れた一方に明るく陽をうけて幾つかの草山が見え、柔かなその曲線のたたなはる向ふに藍色に霞んだ「天城あまぎ」が空を領してゐる。私の空虚な心は、それらの小山を眺めてゐるとほどよい疲労を秋日和に慰められて、ともすれば、ここからは見えない遠くの山裾の窪地とも、またはあの山なみの中腹のそのどこかとも思へる方角に、微かな発動機船の爆音のやうなものを聞いたのだつたが、(それはしばらく続いてゐたらしいのだが、)ふと、訝いぶかしく思へて耳を澄まして見ると、もう森閑として何のもの音も聞えて来なかつた。時をり風が叢を騒がせて過ぎ、蜂の羽鳴りがその中を弓なりに消えていつてはまたどこからか帰つて来た。翼の白い燕が颯々と羽風を落していつた。
 私は考へた、ここにかうした峠があるとするからは、ここから眺められるあの山々の、ふとした一つの襞の高みにも、こことまつたく同じやうな小さな峠があるだらう。それらの峠の幾つかにも、風が吹き、蜂や燕が飛んでゐるだらう、そこにも私が坐つてゐる--と。そして私は、足もとに点々と咲いた白い小さな草花を眺めながら、それらの覆ひかくされた峠の幾つかをも知ることが出来た。
 私は注意深く煙草の火を消した。午後ははや少し遅くなつてゐた。そしてこの、恐らくは行き会ふ人もないだらう行手を思ひ、草深い不案内な降り道を考へると、人人の誰からも遠く離れた私の鳥のやうな自由な時間も、やはりあわただしく立ちあがらなければならないのを味気なく感じた。既に旅の日数は重なつてゐた。私は旅情に病の如き悲哀を感じてゐた。しかし私にあつて今日旅を行く心は、ただ左右の風物に身を托して行く行く季節を謳つた古人の心でなければならない。もうすぐに海が見えるであらう。それだのに私の心の、何と秋に痛み易いことか!
 ああ、その海辺の村の松風を聴き、暗い旅籠はたごの湯にひたり、そこの窓に岬を眺めよう、その岬に陽の落ちないうちに--。そして私は心に打ち寄せる浪の音を聞いた。私は峠を下つた。

□三好達治「峠」(『測量船』、第一書房、1930)
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 【参考】
【詩歌】三好達治「駱駝の瘤にまたがつて」
【詩歌】三好達治「甃のうへ」
【詩歌】三好達治「艸千里濱」
【詩歌】】三好達治「大阿蘇」
【詩歌】三好達治「湖水」
【詩歌】三好達治「雪」
【詩歌】三好達治「春の岬」
【詩歌】何をうしじま千とせ藤 ~牛島古藤歌~
【読書余滴】ミラボー橋の下をセーヌが流れ ~母音~

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【詩歌】三橋敏雄『眞神』

2016年02月16日 | 詩歌
 昭和衰へ馬の音する夕かな
 鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中
 沸沸と雹浮く沼のおもたさよ
 たましひのまはりの山の蒼さかな
 戦没の友のみ若し霜柱

□三橋敏雄『眞神・鷓鴣』(邑書林文庫、1996)
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【詩歌】西脇順三郎「菫」

2016年01月30日 | 詩歌
 コク・テール作りはみずぼらしい銅銭振り
 であるがギリシャの調合は黄金の音がする
 「灰色の菫」というバーへ行ってみたまえ
 バコスの血とニムフの新しい涙が混合されて
 暗黒の不滅の生命が泡をふき
 車輪のように大きなヒラメと共に薫る

□西脇順三郎「菫」(『Ambarvalia』、東京出版、1947)
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 【参考】
【詩歌】西脇順三郎「皿」
太陽
【詩歌】西脇順三郎「雨」
【詩歌】西脇順三郎「天気」
【詩歌】西脇順三郎「カプリの牧人」 ~シシリアの伝説~
書評:『後方見聞録』
【T・S・エリオット】荒地 ~5 雷神の言葉~
【T・S・エリオット】荒地 ~4 水死~
【T・S・エリオット】荒地 ~3 火の説教~
【T・S・エリオット】荒地 ~2 将棋~
【T・S・エリオット】「荒地」 ~1 埋葬~

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【詩歌】西脇順三郎「皿」

2016年01月29日 | 詩歌
 黄色い菫が咲く頃の昔
 海豚は天にも海にも頭をもたげ
 尖った船に花が飾られ
 ディオニソスは夢みつつ航海する
 模様のある皿の中で顔を洗って
 宝石商人と一緒に地中海を渡った
 その少年の名は忘れられた
 麗(うららか)な忘却の朝

□西脇順三郎「皿」(『Ambarvalia』、東京出版、1947)
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 【参考】
太陽
【詩歌】西脇順三郎「雨」
【詩歌】西脇順三郎「天気」
【詩歌】西脇順三郎「カプリの牧人」 ~シシリアの伝説~
書評:『後方見聞録』
【T・S・エリオット】荒地 ~5 雷神の言葉~
【T・S・エリオット】荒地 ~4 水死~
【T・S・エリオット】荒地 ~3 火の説教~
【T・S・エリオット】荒地 ~2 将棋~
【T・S・エリオット】「荒地」 ~1 埋葬~

  映画「グラン・ブルー」
 
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【詩歌】西脇順三郎「太陽」

2016年01月28日 | 詩歌
 カルモジインの田舎は大理石の産地で
 其処で私は夏をすごしたことがあった
 ヒバリもいないし 蛇も出ない
 ただ青いスモモの藪から太陽が出て
 またスモモの藪に沈む
 少年は小川でドルフィンを捉えて笑った

□西脇順三郎「太陽」(『Ambarvalia』、東京出版、1947)
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 【参考】
【詩歌】西脇順三郎「雨」
【詩歌】西脇順三郎「天気」
【詩歌】西脇順三郎「カプリの牧人」 ~シシリアの伝説~
書評:『後方見聞録』
【T・S・エリオット】荒地 ~5 雷神の言葉~
【T・S・エリオット】荒地 ~4 水死~
【T・S・エリオット】荒地 ~3 火の説教~
【T・S・エリオット】荒地 ~2 将棋~
【T・S・エリオット】「荒地」 ~1 埋葬~

  映画「グラン・ブルー」
 
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【詩歌】西脇順三郎「雨」

2016年01月28日 | 詩歌
 南風は柔らかい女神をもたらした
 青銅をぬらした 噴水をぬらした
 ツバメの羽と黄金の毛をぬらした
 湖をぬらし 砂をぬらし 魚をぬらした
 静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした
 この静かな女神の行列が
 私の舌をぬらした

□西脇順三郎「雨」(『Ambarvalia』、東京出版、1947)
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 【参考】
【詩歌】西脇順三郎「天気」
【詩歌】西脇順三郎「カプリの牧人」 ~シシリアの伝説~
書評:『後方見聞録』
【T・S・エリオット】荒地 ~5 雷神の言葉~
【T・S・エリオット】荒地 ~4 水死~
【T・S・エリオット】荒地 ~3 火の説教~
【T・S・エリオット】荒地 ~2 将棋~
【T・S・エリオット】「荒地」 ~1 埋葬~

 正義の女神ディケ、全能の神ゼウスとテミスの間に生まれた娘
  

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【詩歌】西脇順三郎「天気」

2016年01月26日 | 詩歌
【詩歌】西脇順三郎「天気」

 (覆された宝石)のような朝
 何人か戸口にて誰かとささやく
 それは神の生誕の日

□西脇順三郎「天気」(『Ambarvalia』、東京出版、1947)
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 【参考】
【詩歌】西脇順三郎「カプリの牧人」 ~シシリアの伝説~
書評:『後方見聞録』
【T・S・エリオット】荒地 ~5 雷神の言葉~
【T・S・エリオット】荒地 ~4 水死~
【T・S・エリオット】荒地 ~3 火の説教~
【T・S・エリオット】荒地 ~2 将棋~
【T・S・エリオット】「荒地」 ~1 埋葬~

 

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【詩歌】西脇順三郎「カプリの牧人」 ~シシリアの伝説~

2016年01月26日 | 詩歌
 春の朝でも
 我がシシリアのパイプは秋の音がする
 幾千年の思いをたどり

 *

【注解】
 牧人の思いになって書いた詩。現実の季節感と古代への思いが混じり合って、不思議な音となる。そんなパイプ、あるいは角笛/葦笛を思い出せばよい。
 カプリ島は、地中海の、南伊のソレント半島の先端にある。冬は温暖、夏は猛暑もなく、ストラボン『世界地誌』によれば、ローマ皇帝の別荘があった。
 シシリヤのパイプ(Sicilian shepherd's pipe)は、パーンの笛シューリンクスのことだ。シューリンクスは、アルカディアのニンフ。パーンに追われて拿捕されかけた時、ラードーン河岸で葦に身を変えた。風にそよぐ葦。そこからパーンはシューリンクス笛を創り出した。
 パーンはこのシューリンクス笛をダプニスに教え、ダプニスはシューリンクス奏者、かつ、牧歌の発明者となった。
 ダプニスは、シシリアの羊飼、ヘルメースとニンフの子(あるいはヘルメースの愛顧をうけた者)。ニンフたち、神々に愛された。ニンフのエケナイス/ノミアー(「牧場の」の意)は彼を愛し、忠実を誓わせたが、シシリア王の娘が彼を酔わせて交わったので、彼を盲目にした(殺したとも伝えられる)。盲しいたダプニスは、自らの悲しみを歌い、岩から身を投げた(岩と化したとも、へルメースによって天上に連れ去られたとも伝えられる)。
 シューリンクス伝説とダプニス伝説に共通しているのは、どちらも愛を拒否したということである。愛を拒否する者は、愛の神アプロディーテーの呪いを受け、悲惨な最期を遂げる(ギリシア神話の基本的モチーフ)。
 こうした幾千年の思いをたどれば、パイプに秋の音がする。

 以上、主として「古代ギリシア案内 [補説]ギリシア詩から西脇順三郎を読む 西脇順三郎の「カプリの牧人」」に拠る。

□西脇順三郎「カプリの牧人」(『Ambarvalia』、東京出版、1947)
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 【参考】
書評:『後方見聞録』
【T・S・エリオット】荒地 ~5 雷神の言葉~
【T・S・エリオット】荒地 ~4 水死~
【T・S・エリオット】荒地 ~3 火の説教~
【T・S・エリオット】荒地 ~2 将棋~
【T・S・エリオット】「荒地」 ~1 埋葬~

  「青の洞窟」Grotta Azzurra」:イタリア南部・カプリ島にある海食。カプリ島の周囲の多くは断崖絶壁であり、そこには海食洞が散在している。
 

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【詩歌】良寛「手毬をよめる」

2016年01月01日 | 詩歌
【詩歌】良寛「手毬をよめる」

 冬籠り 春さり来れば
 飯(いい)乞(こ)ふと 草の庵を
 立ち出でて 里にい行けば
 たまほこの 道のちまたに
 子どもらが 今を春べと
 手毬(てまり)つく ひふみよいむな
 汝(な)がつけば 吾(あ)はうたひ
 吾(あ)がつけば 汝はうたひ
 つきて唄ひて 霞(かすみ)立つ
 永き春日を 暮らしつるかも

 かへしうた

  霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ

 *

●「通釈等

【通釈】
 [長歌] 春になり暖くなったので、食物の施しを乞うとて、草庵を出て、里に行くと、道の辻で、子供たちが、今は春だというばかりに、手鞠をついて遊んでいる。「一二三四五六七(ひふみよいむな)」と、おまえたちが鞠をつけば、私は歌を歌い、私がつけば、おまえたちは歌い、ついては歌って、霞の立つ春の長い一日を、日が暮れるまで過ごしてしまった。
 [反歌] 霞の立つ春の長い一日を、子供たちと手鞠をつきながら今日も過ごしてしまった。

【補記】
 反歌は『布留散東』にも所載。良寛に類想の歌は少なくなく、「霞立つ永き春日に子供らと手毬つきつつこの日暮らしつ」など。

【参考歌】
 王仁「古今仮名序」ほか(第四句を「今をはるべと」とする本もある)。
  難波津にさくやこの花冬ごもり今は春べとさくやこの花

【主な派生歌】
  子供等と鞠つき遊びたはむれし良寛思(も)へばわれは寂しゑ (吉井勇)

□良寛「手毬をよめる」
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 茂木弘次「良寛さんと毬」(国上山朝日山公園)
  
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【詩歌】良寛「手毬をよめる」

2016年01月01日 | 詩歌
 冬籠り 春さり来れば
 飯(いい)乞(こ)ふと 草の庵を
 立ち出でて 里にい行けば
 たまほこの 道のちまたに
 子どもらが 今を春べと
 手毬(てまり)つく ひふみよいむな
 汝(な)がつけば 吾(あ)はうたひ
 吾(あ)がつけば 汝はうたひ
 つきて唄ひて 霞(かすみ)立つ
 永き春日を 暮らしつるかも

 かへしうた

  霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ

 *

●「通釈等

【通釈】
 [長歌] 春になり暖くなったので、食物の施しを乞うとて、草庵を出て、里に行くと、道の辻で、子供たちが、今は春だというばかりに、手鞠をついて遊んでいる。「一二三四五六七(ひふみよいむな)」と、おまえたちが鞠をつけば、私は歌を歌い、私がつけば、おまえたちは歌い、ついては歌って、霞の立つ春の長い一日を、日が暮れるまで過ごしてしまった。
 [反歌] 霞の立つ春の長い一日を、子供たちと手鞠をつきながら今日も過ごしてしまった。

【補記】
 反歌は『布留散東』にも所載。良寛に類想の歌は少なくなく、「霞立つ永き春日に子供らと手毬つきつつこの日暮らしつ」など。

【参考歌】
 王仁「古今仮名序」ほか(第四句を「今をはるべと」とする本もある)。
  難波津にさくやこの花冬ごもり今は春べとさくやこの花

【主な派生歌】
  子供等と鞠つき遊びたはむれし良寛思(も)へばわれは寂しゑ (吉井勇)

□良寛「手毬をよめる」
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 茂木弘次「良寛さんと毬」(国上山朝日山公園)
  
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