炊きあがったご飯の釜の蓋をとって、「銀シャリだ」と喜んだことも忘れてひさしく、いつでも、炊きたてのあたたかいご飯を、食べられるようになっていた。
昭和30年代、炊飯器、冷蔵庫などが徐々に普及していき、華やかなものへの憧れを一つ一つと、誰もが手にいれたのだ。花嫁修業の料理教室を撮った当時の写真には、鈴なりになって調理台をかこむ希望に溢れる若い女性の笑顔がある。時を同じくして、日本人の栄養状態改善を目指し、油脂を摂るため広がったフライパン運動を手始めに、肉を使った中国や洋風料理が家庭の日常となっていった。
そうして、昭和50年頃、栄養バランスのとれた日本型食事の完成としたが、以後は脂質エネルギー過多に傾き、食の乱れ、アレルギー、メタボなどを原因とする生活習慣病が、今、日本人の死因の6割を占める。
まさに炊飯器が普及し、家庭料理が多様化しはじめた昭和32年から放送されているのがNHK「きょうの料理」だ。放送開始当時のラインナップを見ると、馴染みのコロッケに加え、シーフードピラフなど新しい洋風料理の名前がたくさん見られる。
昭和の折り返しにスタートして、60年。この国の食の“今”を伝え、日本人の食にも影響を与えてきた「きょうの料理」には私も昭和62年から出演してきた。食事情が激しく変化していった時代を、世相を象徴する放送テーマで振り返ってみたい。
●『名人の料理』(放送開始~平成10年代)
・・・・飯田美雪、村上信夫、陳建民、辻嘉一、父・土井勝などいずれも一国一城の大家を招聘して「きょうの料理」は始まった。今も心に残る講師陣は、その料理哲学を披露し、常に真摯に向き合い日本の家庭料理の基礎を作った。
●『男の料理』(昭和40年代~)
・・・・自ら体験した外国の本格的料理などを一流の文化人や企業家が披露した。背景にある民俗や文化に敬意を払い、冒険心豊かに、素材、道具にもこだわった。女性の家庭料理の範疇を冒さない男の料理に徹する。
●『芸術的料理』(昭和50年代~)
・・・・フランス料理は偉大なシェフの登場で進化した。その立役者ポール・ボキューズ、ジョエル・ロビュッションなど三ツ星シェフが出演する。新しい独創的な料理がアートであること、料理はクリエイティブという新しいメッセージを与えた。
●『主婦の料理』(昭和と平成をつなぐ時代)
・・・・江戸時代以降、プロから学んできた料理を、等身大の家庭料理を担う主婦が講師となって伝えた。
●『グローバル料理』(昭和60年代)
・・・・日本在住の外国人が、それぞれの国の伝統料理を披露したことから始まり、旅先で学んだ女性料理家が、イタリアン、エスニック料理を分かりやすくお洒落なキッチングッズを使って、白い器に盛り込んだ。
●『時短・手抜き料理』(平成~)
・・・・仕事しながらの子育て、忙しいママを応援する機能的アイデアを持つ時短料理。一昔前なら叱られたであろう手抜き料理が共感を呼ぶ。皿を洗う枚数を少なくできるのが賢い主婦、女性が「料理なんて嫌い」と言える時代の始まり。料理離れを恐れて、料理の楽しさが言われ、「20分で晩ごはん」という、エンターテインメント性の高いテーマが人気を呼ぶ。
●『健康料理』(平成~)
・・・・栄養料理といえば美味しくないものとされたが、美味しく減塩するコツ、ダイエットの工夫などを紹介する。
このように、文脈の異なる食文化が「きょうの料理」という番組の中で放送され、広がっていった。それは家庭料理に多様性を与え、豊かにしてくれるはずだった。
しかし、エンターテインメント性や娯楽性までも家庭料理に求めたためだろうか、家庭料理における和食は基本を失い、食事作りはストレスとなった。和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたが、このまま持続維持できないなら、返上を余儀なくされると聞く。家庭料理は理想化され、あまりに多様になった果てに、何を作れば良いのかさえ、わからなくなっていた。
これからも、「きょうの料理」は日本の家庭料理を象徴するだろう。私は和食を初期化することで、ストレスにならない持続可能な家庭料理を取り戻せると考えている。それが「一汁一菜」、汁飯香という和食の原点だ。
□土井善晴(料理研究家)「「きょうの料理」60年を振り返って」(「文藝春秋」2017年1月号)を引用
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