インターラーケンは、二つの湖の間を意味する。ブリエンツ湖とトゥーン湖である。
とある夏の一夕、湖畔で食事をとった。午後7時半をすぎても空には残照が残り、対岸に闇が忍びよっても、湖面はなお蒼く光を残していた。緯度が日本より高いから、日没は日本より遅い。
この夜、雨が窓辺に滝をなして私たちの気をもませたが、翌朝はやく目覚めると、雲間に青空が見えた。遠くユングフラウ付近には雲が渦巻き、その奥から白い峰が肌をのぞかせている。処女の名にふさわしい。
ラウターブルンネンで登山鉄道WABに乗りこんだ。クリームと濃緑の車輌である。窓を押し下げると、冷気が車内に流れこむ。シュタウプバッハの滝が目に入る。
ゴッホの郵便配達夫のように見事な髭の車掌が改札にまわってきた。モタモタとバッグを探し、切符が見つからないというそぶりをした乗客に、山羊髭氏はおどけて、改札鋏で彼女の耳をパンチするそぶりをするのであった。
電車はどんどん昇りつづける。
眼下の村が遠ざかっていく。村には廃屋が散在する。木造建築は30年しかもたない。線路ぎわには高山植物、遠方に氷河。古きよき時代の歌「高原列車」のような、振るハンカチに応える牧場の乙女は見あたらない。
クライデ・シャイデック駅で下車した。乗り換えである。待ち時間に煙草をふかすとめまいがした。空気がうすい。駅の屋根の上に牛が二頭、所在なげに突っ立っている。これはそも何であろうか。
ここからユングフラウ鉄道となる。クリームと煉瓦色の車輌は上昇をつづけ、白銀の世界を入った。トンネルは長い、ながい。全長7キロあまり。
車輌に寒気がしのび寄る。私たちはすでにセーターを着こみ、防寒は万全である。
二か所の駅でそれぞれ5分間停車した。
最初のアイガーヴァント駅では、岩をくりぬいた大きなガラス窓から下界が展望できる。
二つ目のアイスメーア駅では、四方はすでに山岳ばかり。
終点に着いた。ヨッホ駅である。「世界で一番高い駅」と表示にある。暗いトンネルの中だから、ピンとこない。駅員が、模型の時計の針をぐるぐるまわしていた。何となくのどかである。
ホームを出たところに、日本の古風な赤い円筒形ポストが立っていた。ちゃんと「郵便」と日本語で表示してある。このポストに絵葉書を投函したら、宛先にJapanの一語を記さずとも日本まで届きそうだ。
エレベータで4層上にあがると、氷の宮殿が待ち受けていた。床も壁も氷である。氷の彫刻が随所に展示されていて、スモウ・レスラーが突きをポーズしていた。日本の国技は世界にとどろいているらしい。当時まだ琴欧洲も把瑠都も登場していなかった。
「宮殿」の狭い回廊を抜けると、テニス・コート大の展望台(プラトー)に出た。光がまぶしく散乱する一面の銀世界である。前夜、インターラーケンに降った雨は、ユングフラウでは雪となった。私たちが踏むのは、新雪である。
曇空に騙されてサングラスを宿に置き忘れてきたため、目が痛い。帰国してから私が写っている写真を見ると、目が点になり、行方不明寸前なのであった。
指呼の先にユングフラウの山頂が見える。槍ケ岳山荘から山頂を見あげるほどの距離感である。しかし、標高3,454mの展望台から登頂すると、槍ケ岳の何倍もの時間を要するにちがいない。振り向けばメンヒの山塊、見おろせばアレッチ氷河。
雄大の一語に尽きる。
ロープの柵を乗り越え、ゆったりとなだれる氷河を見おろす。と、手を伸ばせばふれそうな岩角に、一羽の鳥が舞い降りてきた。雷鳥ほどの大きさで羽根が黒く、くちばしが黄色い。キョロキョロと見まわしている。人類を観察しているのであろう。
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とある夏の一夕、湖畔で食事をとった。午後7時半をすぎても空には残照が残り、対岸に闇が忍びよっても、湖面はなお蒼く光を残していた。緯度が日本より高いから、日没は日本より遅い。
この夜、雨が窓辺に滝をなして私たちの気をもませたが、翌朝はやく目覚めると、雲間に青空が見えた。遠くユングフラウ付近には雲が渦巻き、その奥から白い峰が肌をのぞかせている。処女の名にふさわしい。
ラウターブルンネンで登山鉄道WABに乗りこんだ。クリームと濃緑の車輌である。窓を押し下げると、冷気が車内に流れこむ。シュタウプバッハの滝が目に入る。
ゴッホの郵便配達夫のように見事な髭の車掌が改札にまわってきた。モタモタとバッグを探し、切符が見つからないというそぶりをした乗客に、山羊髭氏はおどけて、改札鋏で彼女の耳をパンチするそぶりをするのであった。
電車はどんどん昇りつづける。
眼下の村が遠ざかっていく。村には廃屋が散在する。木造建築は30年しかもたない。線路ぎわには高山植物、遠方に氷河。古きよき時代の歌「高原列車」のような、振るハンカチに応える牧場の乙女は見あたらない。
クライデ・シャイデック駅で下車した。乗り換えである。待ち時間に煙草をふかすとめまいがした。空気がうすい。駅の屋根の上に牛が二頭、所在なげに突っ立っている。これはそも何であろうか。
ここからユングフラウ鉄道となる。クリームと煉瓦色の車輌は上昇をつづけ、白銀の世界を入った。トンネルは長い、ながい。全長7キロあまり。
車輌に寒気がしのび寄る。私たちはすでにセーターを着こみ、防寒は万全である。
二か所の駅でそれぞれ5分間停車した。
最初のアイガーヴァント駅では、岩をくりぬいた大きなガラス窓から下界が展望できる。
二つ目のアイスメーア駅では、四方はすでに山岳ばかり。
終点に着いた。ヨッホ駅である。「世界で一番高い駅」と表示にある。暗いトンネルの中だから、ピンとこない。駅員が、模型の時計の針をぐるぐるまわしていた。何となくのどかである。
ホームを出たところに、日本の古風な赤い円筒形ポストが立っていた。ちゃんと「郵便」と日本語で表示してある。このポストに絵葉書を投函したら、宛先にJapanの一語を記さずとも日本まで届きそうだ。
エレベータで4層上にあがると、氷の宮殿が待ち受けていた。床も壁も氷である。氷の彫刻が随所に展示されていて、スモウ・レスラーが突きをポーズしていた。日本の国技は世界にとどろいているらしい。当時まだ琴欧洲も把瑠都も登場していなかった。
「宮殿」の狭い回廊を抜けると、テニス・コート大の展望台(プラトー)に出た。光がまぶしく散乱する一面の銀世界である。前夜、インターラーケンに降った雨は、ユングフラウでは雪となった。私たちが踏むのは、新雪である。
曇空に騙されてサングラスを宿に置き忘れてきたため、目が痛い。帰国してから私が写っている写真を見ると、目が点になり、行方不明寸前なのであった。
指呼の先にユングフラウの山頂が見える。槍ケ岳山荘から山頂を見あげるほどの距離感である。しかし、標高3,454mの展望台から登頂すると、槍ケ岳の何倍もの時間を要するにちがいない。振り向けばメンヒの山塊、見おろせばアレッチ氷河。
雄大の一語に尽きる。
ロープの柵を乗り越え、ゆったりとなだれる氷河を見おろす。と、手を伸ばせばふれそうな岩角に、一羽の鳥が舞い降りてきた。雷鳥ほどの大きさで羽根が黒く、くちばしが黄色い。キョロキョロと見まわしている。人類を観察しているのであろう。
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