語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【本】豪快にして爽快、新田文学の真骨頂 ~『槍ヶ岳開山』~

2016年01月01日 | 小説・戯曲
 1813(文化10)年、富山藩に一揆が起こった。米問屋玉生屋の手代岩松は、一揆弾圧のため派遣された足軽から百姓を守ろうとして槍を奪い、もののはずみで足軽を傷つけると同時に愛妻おはまを刺殺してしまった。
 やけくそになった岩松は、打ち毀しの先頭にたって暴れまくった。
 藩の徹底的な武力弾圧が始まった。岩松は、一揆の首謀者の一人徳市郎の子の徳助を連れ、僧形に扮して藩外に脱出した。道中、薬売りに扮した弥三郎と道連れになる。玉生屋の同僚弥三郎は、とっさの機転で米蔵を開放し、家屋を破壊から守ったのだが、岩松とともに主の久左衛門から訴えられたのである。
 国境を越えて飛騨に入り、高原郷は本覚寺に到着した。弥三郎は、旧知の椿宗和尚に岩松たちを預けて去った。
 ここで出家の腹を決めた岩松は、徳助とともに上方へむかい、宝泉寺の見仏和尚のもとで4年間厳しい修行した。その後一念寺へ移り、戒名を播隆と変え、ここに僧籍を置いた。しかし、檀家を大事にする寺の方針に飽きたらず、1年後に念仏僧として旅立つ。そして、8年ぶりに本覚寺へ戻り、近在の笠ケ山再興を志した。140年まえに円空上人が開いた山である。
 思い立って3年後、ようやく頂上に立った。壮大な落日のうちに死の寸前のおはまを見た。播隆こと岩松だけではない、同行の村人たちもまた如来の御来光をまのあたりにしたのである。

 ここが前半のヤマで、槍ヶ岳開山が第二のヤマになる(序章で先取りされているけれども)。
 そして、播隆の行脚(飢饉の村における危難もある)、名高くなった播隆を利用しようとする事業熱心な僧侶あるいは武士(名利を求める弟子)、播隆と接触を保ちながら商人としてのしあがっていく弥三郎のいわくありげな行動(最後に謎が解き明かされる)、来迎の科学的解明(高野長英が登場する)、亡妻おはまにそっくりの柏厳尼との交情。

 じつに入り組んだ筋立て、人物像は多彩だ。僧侶が主人公なのに、ちっとも抹香臭くない。自然または旅の中に身を置き、修行に徹するストイシズムのゆえか。剛毅木訥仁に近し。そして、新田文学に特徴的な、山の清新な匂いが本書にも満ちている。
 要するに、本書は、豪快にして爽快、新田文学の真骨頂をしめす小説だ。
 誤って殺害したおはまがフラッシュ・バックのように繰り返し再現される。単調に流れない工夫だろうが、少々くどく、いささか感傷に流れて作品の力を弱めているのが惜しい。

□新田次郎『槍ヶ岳開山』(文春文庫、1977)
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