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ときは1980年初頭、ところは中国は湖南省西部の山奧。
永年、徒歩で郵便配達した男が隠退することになった。男の息子は、あとを継ぐ、と言う。業務の厳しさを知る男は他の進路を勧めるが、息子は耳をかさない。男は、危ぶむと同時に嬉しさを覚える。
就労一日目、ひとたびは見送った息子の後ろ姿に危惧をおぼえたのか、男は息子とともに旅立つこととする。じつに、これが息子との初の旅である。
重い郵便袋、峻険な山、険しい隘路。2泊3日、集配の手続きから何からこまごまと指導する父とともに数々の村をよぎり、さまざまな人々と言葉をかわすうちに、職業柄不在がちで、したがってとかく疎遠になりがちな父を息子はようやく理解する。そして、なぜ母が父を信頼するかも。行く先々の村人から、父は満腔の信頼を寄せられていた。
自然に口にだす「とうさん」という言葉。
寡黙な男は、息子が抱くわだかまりをしいて解こうとはしていなかったが、つい顔がほころび、独り言ちた。「初めてとうさんと呼んでくれた・・・・」。
映画は大衆芸術だ。名もなき大衆の一員である、という幸福を映画は増幅する。
ことに、この映画、父子のあいだの感情のもつれ、その解消、夫婦愛といった大衆の家族における永遠のテーマが前面におし出されているから、なおさらだ。
さらにいえば、一隅を照らす者、これ国宝なり、といった古風な倫理が全編をつらぬいている。
この作品や俳優に、1999年中国金鶏賞(中国アカデミー賞)最優秀作品賞、同最優秀主演男優賞が授与されたのは、政府の人民統治方針に迎合する志向があったからかもしれない。
政治的解釈はさておき、映像美はたしかだ。中国の奥地における自然と田園は、まことに美しい。父子のあいだの言葉のやりとりは限りなく節約されているから、ますます自然美に重みが増す。
人里に入っても、言葉は最小限にしか交わされない。歩きにあるく二人の姿は、求道的と見えなくもない。
この映画、ウォーキング映画と名づけてもよい、と思う。日本のウォーカーには、この映画の父子のような使命はないが、人間に原始的にそなわっている二本の足の価値を信じる点では共通している。
□「山の郵便配達」(中国、1999)
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