(1)日本の外交政策を決定する上で、もっとも重要な役割をはたすのは、外務本省の「課長」である。
外務省で、自分の手足となる部下をもつことができるのは、課長まで、である。入省20年目ほどの40代なかばの課長は、<首席事務官(他省庁の筆頭課長補佐に相当)以下、15~30人の部下を指揮する。また、秘密電報や秘密書類なども各課に保管されているため、これら資料は局長であっても簡単に見ることはできない>【注1】。
<外務省の職制上、課長の上に参事官と審議官がいるが、課長の上に参事官と審議官がいるが、これら「中二階」と呼ばれる役職者には重要な仕事は回ってこない。ときどき政策の具体的事項まで踏み込んでくる局長がいると、事務官や課長補佐など実務案件を実際に担当する外務官僚から「うるさいオッサンだ」と疎んじられるようになる>【注2】
(2)「北方領土交渉において傑出した戦略家であった」東郷和彦は、課長をとばしてロシア課員に具体的な指示をおこうなうことがよくあった。
<それが、一部の仕事が増えるのを嫌がるサラリーマン外務官僚から東郷氏が疎まれる原因になり、2002年の鈴木宗男バッシングの過程で東郷氏を排除しようとした当時の川口順子外務大臣と竹内行夫事務次官により最大限に活用された>【注3】
(3)1997年11月、クラスノヤルスク非公式首脳会談における秘密事項を、丹波實外務審議官(当時)が朝日新聞のインタビューで喋ってしまった。11月5日の夕刊の一面のトップに載った
鈴木宗男北海道・沖縄開発庁長官(当時)は激怒した。
翌日、佐藤は鈴木長官に呼ばれ、対策を話しあっていると、西村六善欧亜局長もやってきて「僕は一切知らなかったんです。これは丹波が勝手にやったことなんです」と責任回避を図ろうとした。
1998年4月、日露非公式首脳会談を前にして、ある日、鈴木宗男長官から、11時に来てくれ、と佐藤に電話が入った。
11時のすこし前に長官室へ赴いて話をしていると、西村局長がやってきた。
西村局長は、「今日の午後、橋本総理に説明した内容を、鈴木大臣限りで説明したい」とB4版の書類を2枚出した。総理官邸に提出される書類は、通常A4版に印刷される。不思議なことであった。総理官邸に提出したものから、間引きされた書類であった。
西村局長は、小淵外相(当時)をとびこえて、橋本総理(当時)に説明することになったのだが、後で小淵外相から厳しく追求されたときの保険に、鈴木長官を利用しようとしたのである。
鈴木:この紙で、橋本総理に説明したんだな。
西村:そうです。この紙は橋本総理と鈴木大臣しかもっていません。
鈴木:おかしいなあ、これは世界に一枚しかない紙のような気がする。(やさしい声で)まあ、もういいから。西村さん、俺のことは一山いくらの扱いでいいから。他の(国会議員)の先生に気をつかってくれ。俺は嘘の説明は聞きたくない。
西村:大臣、僕の目を見てください。これが嘘をつく男の目ですか。
鈴木:(じっと西村局長の眼を見据えて)これは嘘つきの目だ。
<数秒間、沈黙したまま二人は睨み合った。そこで、異変が起こった。西村氏が、突然「ウ~」といううめき声をあげて、じゅうたんの上で屈み込んだあと、身体を横にして、アルマジロのように丸くなってしまったのである>【注4】
【注1】佐藤優『国家の謀略』(小学館、2007)
【注2】前掲書
【注3】前掲書p.30
【注4】佐藤優『交渉術』(文藝春秋、2009)pp.182-189
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外務省で、自分の手足となる部下をもつことができるのは、課長まで、である。入省20年目ほどの40代なかばの課長は、<首席事務官(他省庁の筆頭課長補佐に相当)以下、15~30人の部下を指揮する。また、秘密電報や秘密書類なども各課に保管されているため、これら資料は局長であっても簡単に見ることはできない>【注1】。
<外務省の職制上、課長の上に参事官と審議官がいるが、課長の上に参事官と審議官がいるが、これら「中二階」と呼ばれる役職者には重要な仕事は回ってこない。ときどき政策の具体的事項まで踏み込んでくる局長がいると、事務官や課長補佐など実務案件を実際に担当する外務官僚から「うるさいオッサンだ」と疎んじられるようになる>【注2】
(2)「北方領土交渉において傑出した戦略家であった」東郷和彦は、課長をとばしてロシア課員に具体的な指示をおこうなうことがよくあった。
<それが、一部の仕事が増えるのを嫌がるサラリーマン外務官僚から東郷氏が疎まれる原因になり、2002年の鈴木宗男バッシングの過程で東郷氏を排除しようとした当時の川口順子外務大臣と竹内行夫事務次官により最大限に活用された>【注3】
(3)1997年11月、クラスノヤルスク非公式首脳会談における秘密事項を、丹波實外務審議官(当時)が朝日新聞のインタビューで喋ってしまった。11月5日の夕刊の一面のトップに載った
鈴木宗男北海道・沖縄開発庁長官(当時)は激怒した。
翌日、佐藤は鈴木長官に呼ばれ、対策を話しあっていると、西村六善欧亜局長もやってきて「僕は一切知らなかったんです。これは丹波が勝手にやったことなんです」と責任回避を図ろうとした。
1998年4月、日露非公式首脳会談を前にして、ある日、鈴木宗男長官から、11時に来てくれ、と佐藤に電話が入った。
11時のすこし前に長官室へ赴いて話をしていると、西村局長がやってきた。
西村局長は、「今日の午後、橋本総理に説明した内容を、鈴木大臣限りで説明したい」とB4版の書類を2枚出した。総理官邸に提出される書類は、通常A4版に印刷される。不思議なことであった。総理官邸に提出したものから、間引きされた書類であった。
西村局長は、小淵外相(当時)をとびこえて、橋本総理(当時)に説明することになったのだが、後で小淵外相から厳しく追求されたときの保険に、鈴木長官を利用しようとしたのである。
鈴木:この紙で、橋本総理に説明したんだな。
西村:そうです。この紙は橋本総理と鈴木大臣しかもっていません。
鈴木:おかしいなあ、これは世界に一枚しかない紙のような気がする。(やさしい声で)まあ、もういいから。西村さん、俺のことは一山いくらの扱いでいいから。他の(国会議員)の先生に気をつかってくれ。俺は嘘の説明は聞きたくない。
西村:大臣、僕の目を見てください。これが嘘をつく男の目ですか。
鈴木:(じっと西村局長の眼を見据えて)これは嘘つきの目だ。
<数秒間、沈黙したまま二人は睨み合った。そこで、異変が起こった。西村氏が、突然「ウ~」といううめき声をあげて、じゅうたんの上で屈み込んだあと、身体を横にして、アルマジロのように丸くなってしまったのである>【注4】
【注1】佐藤優『国家の謀略』(小学館、2007)
【注2】前掲書
【注3】前掲書p.30
【注4】佐藤優『交渉術』(文藝春秋、2009)pp.182-189
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