語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【社会保障】福祉国家はなぜ壊れたか ~新自由主義~

2012年07月08日 | 医療・保健・福祉・介護
 「福祉元年」【注】が宣言された1973年、まさにその年に惹起したオイルショックが福祉後退の合図となった。どのように後退していったかは、さて措く。問題はなぜか、だ。
 事は、「社会保障と税の一体改革」に関わる。

(1)「社会保障と税の一体改革」と不良債権処理の類似性
 15年ほど前、金融危機の際にも、財政赤字が拡大する中、格差社会と少子高齢化の進行により社会保障制度の持続可能性が失われていった。今日、状況はもっと深刻だ。ところが、「高齢世代を現役世代何人で支える、増税するか歳出削減か」という選択肢、こういう問題の立て方1980年代以降、ちっとも変わっていない。
 社会保障制度は、人口構成の変化のほか、家族や雇用のあり方によって大きくニーズが違ってくる。これまでの社会保障制度では救えない人々が次々と生まれている。<例>非正規雇用、認知症の独居老人。
 しかるに、社会保障制度「改革」は、相変わらず標準家庭(夫:サラリーマン、妻:専業主婦、子ども2人)を前提とした架空の「計算」を繰り返している。制度の根本が揺らいでいるのに、単なる数字の辻褄合わせだけが行われ、本質的な問題に切り込んでいない。
 社会が危機にあるから、財政赤字に陥るのだ。財政赤字を削っても、社会の危機が解決するわけではない。だからこそ、「社会保障と税の一体改革」だったはずだ。しかし、当面の財政赤字を埋めるための消費増税が行われようとしている。要するに、ツケの先送りだ。
 問われているのは全体像なのだ。どんな社会と経済システムを選択するか、という本質的な問題だ。

(2)国民が増税案に納得するための根本的ポイント
 (a)地域分散型ネットワーク社会への道筋をきちっと示すこと。つまり、新しい産業構造と経済システムによって、日本が食べていく道筋を示すこと。
 (b)社会保障制度改革の体系的ビジョンを示すこと。つまり、生活の安全・安心をどのように確保していくのか、という将来像を提示すること。

(3)福祉国家
 福祉国家は、再分配国家だ。現金給付と税の組み合わせで再分配する。税は、所得税と法人税を基幹税とする租税制度だ。
 第二次世界大戦後に福祉国家が機能した重要な要件は、プレトン・ウッズ体制の固定為替相場制度だ。固定為替レートを維持するため、資本統制が容認された。資本が逃げないよう統制する権限があったから、財政による所得再分配が可能になった。

(4)福祉国家の崩壊と新自由主義の台頭
 1973年10月、第四次中東戦争が勃発し、これが第一次オイルショックを引き起こし、同時に米国を中心とした世界経済秩序(プレトン・ウッズ体制)が崩壊して変動為替相場制度へ移行した。世界は「相対的不安定期」に入った。
 福祉国家で国家に統制され、国家の壁の中で所得再分配されていた過剰資金は、国家の壁が崩れて以後、国境を超えて動くようになった。
 スタグフレーションは、過剰資金のいたずらによって生じる。新自由主義は、経済成長が落ちていることを福祉国家の所得再分配の失敗だ、と批判し、所得再分配による社会的セイフティー・ネットを外した。
 サッチャーやレーガンの政権下、経済成長率を高めるためには租税負担率は低いほうが望ましい、というイデオロギーが浸透し、「所得から消費へ」「広く薄い負担に」を合い言葉にして、直接税(所得税・法人税)中心主義から間接税(付加価値税)中心主義へとシフトしていく動きが出てきた。
 新自由主義政権は、福祉国家の諸制度を根底から否定した。福祉国家を「参加なき遠い政府による再分配国家」とすれば、新自由主義政権は「参加なき遠い政府」の側面を強めていきながら、「再分配国家」の側面だけを否定した。
 租税負担水準を引き下げるとインフレを抑えられない。そこで減税のための増税をしていかざるえなくなる。所得税・法人税の減税と、付加価値税を中心とする消費課税を増税を組み合わせることで、負担構造を変えていった。努力する者が報いられる社会になる、という論理が形成されていった。
 かくて、所得再分配課税を解体する一種の「小さな政府」が実現していった。同時に格差社会が到来した。
 日本でも、第二次臨調(1981年発足、翌年から第一次中曽根内閣)あたりから、社会保障の給付水準を引き下げ、負担水準を引き上げ、年金も開始年齢を引き上げていった。1986年、第3次中曽根内閣は売上税法の構想を発表し、1988年、竹下内閣は消費税法を成立させた(1989年施行)。

(5)新自由主義の正体
 サッチャー、レーガン、中曽根の新自由主義政権が登場したのは、第二次オイルショックが終わった1978年以降だ。「金融自由化を軸にして、ヒト、モノ、カネがグローバルに動く」というスローガンがこの時代を象徴する。国の景気を良くするため海外から資金を集めるべく、税金の負担を小さくしようとした。
 事実、1980年代あたりから景気循環のかたちが変わってきた。土地や株の値段が上がって景気が良くなる、という景気循環だ。バブルが膨らんで壊れると金融緩和で景気対策し、次のバブルを用意することが繰り返された。土地バブル(1980年代後半)、ITバブル(1990年代末から)、住宅バブル(2008年にはじけた)といった「バブル循環」は、従来の設備投資による8~10年サイクルの景気循環とは全く様変わりした。
 政府は不要、税金は低くする、という新自由主義によって、成長をバックに所得再分配する福祉国家のメカニズムが壊れていった。
 だが、新自由主義政権は、成功していない。英国で生産性は向上したが、生産性の低い企業が切り捨てられていったからにすぎない。サッチャー政権下で倒産件数や質所業率は悪化し、格差が広がり、社会的秩序が乱れて犯罪率が高くなった。その後の景気回復は住宅価格の上昇に支えられたものだ。
 当時のイデオロギーは「自己責任」だった。これが新自由主義の正体だ。
 ケインズ主義が行き詰まりスタグフレーションになる中、米国が柱にしていた石油文明を基盤にした産業構造は飽和し、キャッチアップされてしまった。そこで、金融とITで生きていこうとするグローバル化の論理が出てきた。その彼らがこだわるのは、「ルールをめぐる争い」だ。ルール圏やOSを握ろうとする戦略だ。<例>知的所有権に係るWTOの考え方、金融面ではさまざまな国際会計基準。
 自分たちの基準を国際化していこうとするのが、米国のグローバル戦略だった。
 かかるイデオロギーが、日本の閉塞感の中で強まっていった。大企業の中でマイホーム、貯蓄のある団塊の世代が私生活主義という守りに入った。その層が新自由主義を受け入れた。
 欧米の真似をして必死にキャッチアップしていた官僚は、高度成長が実現してキャッチアップするモデルがなくなった。彼らは、「グローバル・スタンダード」の名のもとに、再び英米に追随していく。再分配国家が壊れた後に新しく社会を統合しようとするシステムについて全くビジョンがないまま。従来の日本的土壌の上に立ったまま。

(6)新自由主義の矛盾
 新自由主義者も、「小さな政府」、財政縮小によって社会統合に亀裂が入るのは分かっていた。だから、サッチャーは家族や地域社会の絆(「ビクトリアの美徳」)を強調し、その絆の相互扶助によって社会崩壊を予防しようとした。人間をホモ・エコノミクスで競争的としながら、他方では利他的な人間像を予定しているのだから、矛盾している。
 これは日本でも同じだ。第二次臨調は、家族・隣人の助け合い、職場の助け合いの復活(「日本型福祉社会論」)を前提としたうえで、公的福祉の切り下げを狙い、社会保障改革を抑制し、地方分権は財政再建のための分権にとどめた。
 そもそも日本の福祉国家の社会保障は、もともとそう充実したものではなかった。家族・地域社会・企業福祉に大きく依存しつつ、政府は現金給付的社会保障をサボっていた。
 だが、産業構造が重化学工業から知識産業に変化するとき、女性も参加するから、家族・地域社会の機能は喪失する。
 「小さな政府」では社会崩壊を食い止められない。市場原理を社会で強めていけば、必ず貧困や格差を生む。共同体的な紐帯は切断され、社会的には犯罪を倦む。だから、家族の復活やナショナリズムなどを復古主義的に強調したり、警察機能や監視を強めないと社会秩序を保てない。新自由主義は、「強い政府」を支持し、夜警国家ではなく、警察国家を志向する。新自由主義の考え方は矛盾をはらんでいるのだ。

 【注】「【読書余滴】雇用崩壊と社会保障ミニ年表

 以上、金子勝/神野直彦『失われた30年 ~逆転への最後の遺言~』(NHK出版新書、2012)の「はじめに」および「第2章 社会保障と財政 ~「一体改革の危機~」に拠る。
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