<心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。 --「マタイによる福音書」5章8節
旧約聖書の「詩編」にこんな記述がある。
〈主の山に登るべき者は誰か。
その聖所に立つべき者はだれか。
手が清く、心のいさぎよい者、
その魂がむなしい事に望みをかけない者、
偽って誓わない者こそ、その人である。
このような人は主から祝福をうけ、
その救の神から義をうける。〉(「詩編」24篇3~5節)
イエスは、「心の清い人」について、この詩編を思い浮かべながら語っている。ここで言う「心」とは、人間の内面にとどまらず、その人物の全体を意味する。神のみを求め、金や名誉などの現世的な価値観に惑わされない人が、「心の清い人」なのである。神を見ることができるのは、神のみを追求している人なのである。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「心の清い人」を引用
【参考】
「【佐藤優】あわれみ深い人」
「【佐藤優】正しさを望む人」
「【佐藤優】柔和な人」
「【佐藤優】悲しんでいる人」
「【佐藤優】心の貧しい人」
「【佐藤優】地の塩となれ」
「【佐藤優】狭い門を選べ」
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」
旧約聖書の「詩編」にこんな記述がある。
〈主の山に登るべき者は誰か。
その聖所に立つべき者はだれか。
手が清く、心のいさぎよい者、
その魂がむなしい事に望みをかけない者、
偽って誓わない者こそ、その人である。
このような人は主から祝福をうけ、
その救の神から義をうける。〉(「詩編」24篇3~5節)
イエスは、「心の清い人」について、この詩編を思い浮かべながら語っている。ここで言う「心」とは、人間の内面にとどまらず、その人物の全体を意味する。神のみを求め、金や名誉などの現世的な価値観に惑わされない人が、「心の清い人」なのである。神を見ることができるのは、神のみを追求している人なのである。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「心の清い人」を引用
【参考】
「【佐藤優】あわれみ深い人」
「【佐藤優】正しさを望む人」
「【佐藤優】柔和な人」
「【佐藤優】悲しんでいる人」
「【佐藤優】心の貧しい人」
「【佐藤優】地の塩となれ」
「【佐藤優】狭い門を選べ」
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」