(1)中国に対する恐怖心は、黄禍論(Yellow Peril)に非常に強く出てくるものだ。ピーター・ナヴァロも黄禍論の影響下にいると見ていい。
黄禍論はいろんな形で表れるが、物語として著したのがウラジーミル・ソロヴィヨフだ。
彼の父親はセルゲイ・ソロヴィヨフという有名なロシアの歴史学者だ。その息子ウラジーミルは1853年1月28日にモスクワで生まれ、1900年に没した。だからちょうど19世紀と20世紀の境目に死んだ、世紀末の思想家だ。
(2)ソロヴィヨフは、ヨーロッパ思想の流れから言えば、ショーペンハウアーの影響を非常に強く受けている。ロシア国内の思想の流れでは、ニコライ・フョードロフの影響を受けている。ニコライ・フョードロフは「モスクワのソクラテス」と言われた思想家で、1903年に死んだ。ソロヴィヨフは何度も彼を訪ねているし、ドストエフスキーもトルストイも彼を訪ねている。
フョードロフの著作は第二次世界大戦中の1943年、陸軍の強い推薦によって白水社から『共同事業の哲学』という題で邦訳されている。本職はロシア中央図書館【注】のカード係だった。なぜかというと、カード係をやっていたらいろんな本を読むことができるからだ。
フョードロフは図書館の隅に毛布を何枚か持ってきて、そこに住んでいた。本を読む以外の時間が惜しいから、独身を貫き、家もつくらなかった。それでも時々人が訪ねていくと、いろいろなことを教えてあげた。彼は何でも知っているから、みんなが聞きに来るわけだ。図書館の司書は当時は給料がよかったのだが、それを全部モスクワ大学の学生たちに奨学金としてあげて、自分は黒パンぐらいの食事しかしなくても全然構わなかった。食べることにもほとんど関心がなかった。
【注】当時はルミャンツェフ博物館付属図書館、その後レーニン図書館になって、さらに今の名称はロシア国立中央図書館。
(3)ニコライ・フョードロフは、こういう構想も抱いていた。近未来において、理科系の学問はすべて融合して、単一の科学になる。その結果、死んだ人間を蘇らせることが完全に可能になるだろう。やがて、直近に死んだ人間から、遠くはアダムとエバまで全員を呼び戻すことが可能になるに違いない。そんな万民復活説を唱えた。
そんなことになったら、地球上に土地が足りなくなる。空気も足りなくなる。だから今から惑星間移動について考えなくてはならない。必ず太陽系のようなシステムが宇宙のどこかにあるし、そこは地球に類似した人類の居住可能な星があるはずだ。そこへの移住を真剣に考えないといけないからと、推進器を付けた宇宙船を宇宙空間に出して、航行させようという、現在のロケットの基本概念をつくりもした。現に宇宙船の設計図を描いている。
このロケット構想はロシアの工学者コンスタンチン・ツォルコフスキーに受け継がれ、その流れがドイツのヴェルナー・フォン・ブラウンへ行って、ナチスのV2ロケットになった。そしてフォン・ブラウンの亡命によって、この技術が米国に渡ってアポロ計画になり、ロシアに渡ってソユーズ計画になった。
だから、根っこにおいてはニコライ・フョードロフは宇宙工学の父だ。国際宇宙ステーションの父だ。革命後のソ連時代においても、ニコライ・フョードロフの名前は宇宙の分野において紹介されていた。しかし、なぜ宇宙に行かないといけないかという彼の強力な動機は、ソ連時代には封印されていた。
いや、正確にはソ連末期に彼の思想は解禁された。その影響がオウム真理教の麻原影晃に及んだ。
(4)ニコライ・フョードロフにある思想が、ウラジーミル・ソロヴィヨフによってかっちりした感じになっていった。
ソロヴィヨフには『三つの会話』という本があって、これはあるサロンで、トルストイ主義者とロシア愛国者と正統的な正教神学者の三人が会話をしている、という設定だ。そして最後に「反キリスト物語」というのが出てくる。これは、19世紀の半ばに開国した日本が、今までの微睡(まどろ)みから覚めて、急速に欧米の科学技術の成果を吸収している。しかし、この日本という国は科学技術に対してだけは関心があるけれども、哲学とか文学とはにはほとんど関心がない。自らの力は国を軍事大国化させるためだけに使っている。
その結果、まず朝鮮を自らの保護下に置いて、大日本帝国に併合する。その次には中国の東北部、満州地区を併合する。さらにどんどん国力を付けていき、中国全土とモンゴルを併合する。やがてカラコルムに首都を遷都して、天皇は日本モンゴル皇帝となる。そしてパン・モンゴル主義、すなわち「われわれモンゴル系の日本人によって全世界は支配されるべきである」というイデオロギーによって、ヨーロッパまで席巻してしまう。そして、極東の日本からポルトガルに至るまでの巨大な大日本帝国が完成する。
それに対して、ドイツのあたりから、この黄色人種である日本人が世界を席巻する危機を打破する、若くて有能な指導者が出てくる。そして、日本の影響はウラル山脈の東側に限定されるようになる。日本を追いやった、この新しい指導者を新しいヨーロッパ皇帝だとみんなは拝むけれども、実はこれが反キリストだった。
それで、この反キリストと戦うために、カトリック教会のペトロ教皇とロシア正教会のヨハネ長老と、プロテスタントのパウロ教授という神学者、その三人がそれぞれ立ち上がり、キリスト教文明によって反キリストを打ち倒す、という物語だ。
ここに予見されている日本の対外拡張はほぼ正確だ。このソロヴィヨフ流の黄禍論は、日露戦争(1904~5年)の時に、ロシアが積極的に全世界へ流した。要するに、日本とロシアの戦いじゃないんだと。これは黄色人種によって白色人種国家のロシアが侵略されている、という話なんだと。このイメージ操作は、結構いまだに尾を引いている。
□佐藤優『ゼロからわかる「世界の読み方」 ~プーチン・トランプ・金正恩~』(新潮社、2017)の「第2部 ゼロからわかる「トランプ後」の世界」の「1 新帝国主義とトランプ --あるいはクリスチャン・シオニズムと黄禍論」から引用
【参考】
「【佐藤優】米国と中国がもし戦ったら ~『ゼロからわかる「世界の読み方」』~」
「【佐藤優】アメリカ映画とキリスト教、120年の関係史 ~『ゼロからわかる「世界の読み方」』~」
「【佐藤優】オランダが『アンネの日記』を必要とした理由 ~『ゼロからわかる「世界の読み方」』~」
「【佐藤優】オシントというインテリジェンスの手法 ~『ゼロからわかる「世界の読み方」』~」
「【佐藤優】聖書の翻訳 ~『ゼロからわかる「世界の読み方」』~」
黄禍論はいろんな形で表れるが、物語として著したのがウラジーミル・ソロヴィヨフだ。
彼の父親はセルゲイ・ソロヴィヨフという有名なロシアの歴史学者だ。その息子ウラジーミルは1853年1月28日にモスクワで生まれ、1900年に没した。だからちょうど19世紀と20世紀の境目に死んだ、世紀末の思想家だ。
(2)ソロヴィヨフは、ヨーロッパ思想の流れから言えば、ショーペンハウアーの影響を非常に強く受けている。ロシア国内の思想の流れでは、ニコライ・フョードロフの影響を受けている。ニコライ・フョードロフは「モスクワのソクラテス」と言われた思想家で、1903年に死んだ。ソロヴィヨフは何度も彼を訪ねているし、ドストエフスキーもトルストイも彼を訪ねている。
フョードロフの著作は第二次世界大戦中の1943年、陸軍の強い推薦によって白水社から『共同事業の哲学』という題で邦訳されている。本職はロシア中央図書館【注】のカード係だった。なぜかというと、カード係をやっていたらいろんな本を読むことができるからだ。
フョードロフは図書館の隅に毛布を何枚か持ってきて、そこに住んでいた。本を読む以外の時間が惜しいから、独身を貫き、家もつくらなかった。それでも時々人が訪ねていくと、いろいろなことを教えてあげた。彼は何でも知っているから、みんなが聞きに来るわけだ。図書館の司書は当時は給料がよかったのだが、それを全部モスクワ大学の学生たちに奨学金としてあげて、自分は黒パンぐらいの食事しかしなくても全然構わなかった。食べることにもほとんど関心がなかった。
【注】当時はルミャンツェフ博物館付属図書館、その後レーニン図書館になって、さらに今の名称はロシア国立中央図書館。
(3)ニコライ・フョードロフは、こういう構想も抱いていた。近未来において、理科系の学問はすべて融合して、単一の科学になる。その結果、死んだ人間を蘇らせることが完全に可能になるだろう。やがて、直近に死んだ人間から、遠くはアダムとエバまで全員を呼び戻すことが可能になるに違いない。そんな万民復活説を唱えた。
そんなことになったら、地球上に土地が足りなくなる。空気も足りなくなる。だから今から惑星間移動について考えなくてはならない。必ず太陽系のようなシステムが宇宙のどこかにあるし、そこは地球に類似した人類の居住可能な星があるはずだ。そこへの移住を真剣に考えないといけないからと、推進器を付けた宇宙船を宇宙空間に出して、航行させようという、現在のロケットの基本概念をつくりもした。現に宇宙船の設計図を描いている。
このロケット構想はロシアの工学者コンスタンチン・ツォルコフスキーに受け継がれ、その流れがドイツのヴェルナー・フォン・ブラウンへ行って、ナチスのV2ロケットになった。そしてフォン・ブラウンの亡命によって、この技術が米国に渡ってアポロ計画になり、ロシアに渡ってソユーズ計画になった。
だから、根っこにおいてはニコライ・フョードロフは宇宙工学の父だ。国際宇宙ステーションの父だ。革命後のソ連時代においても、ニコライ・フョードロフの名前は宇宙の分野において紹介されていた。しかし、なぜ宇宙に行かないといけないかという彼の強力な動機は、ソ連時代には封印されていた。
いや、正確にはソ連末期に彼の思想は解禁された。その影響がオウム真理教の麻原影晃に及んだ。
(4)ニコライ・フョードロフにある思想が、ウラジーミル・ソロヴィヨフによってかっちりした感じになっていった。
ソロヴィヨフには『三つの会話』という本があって、これはあるサロンで、トルストイ主義者とロシア愛国者と正統的な正教神学者の三人が会話をしている、という設定だ。そして最後に「反キリスト物語」というのが出てくる。これは、19世紀の半ばに開国した日本が、今までの微睡(まどろ)みから覚めて、急速に欧米の科学技術の成果を吸収している。しかし、この日本という国は科学技術に対してだけは関心があるけれども、哲学とか文学とはにはほとんど関心がない。自らの力は国を軍事大国化させるためだけに使っている。
その結果、まず朝鮮を自らの保護下に置いて、大日本帝国に併合する。その次には中国の東北部、満州地区を併合する。さらにどんどん国力を付けていき、中国全土とモンゴルを併合する。やがてカラコルムに首都を遷都して、天皇は日本モンゴル皇帝となる。そしてパン・モンゴル主義、すなわち「われわれモンゴル系の日本人によって全世界は支配されるべきである」というイデオロギーによって、ヨーロッパまで席巻してしまう。そして、極東の日本からポルトガルに至るまでの巨大な大日本帝国が完成する。
それに対して、ドイツのあたりから、この黄色人種である日本人が世界を席巻する危機を打破する、若くて有能な指導者が出てくる。そして、日本の影響はウラル山脈の東側に限定されるようになる。日本を追いやった、この新しい指導者を新しいヨーロッパ皇帝だとみんなは拝むけれども、実はこれが反キリストだった。
それで、この反キリストと戦うために、カトリック教会のペトロ教皇とロシア正教会のヨハネ長老と、プロテスタントのパウロ教授という神学者、その三人がそれぞれ立ち上がり、キリスト教文明によって反キリストを打ち倒す、という物語だ。
ここに予見されている日本の対外拡張はほぼ正確だ。このソロヴィヨフ流の黄禍論は、日露戦争(1904~5年)の時に、ロシアが積極的に全世界へ流した。要するに、日本とロシアの戦いじゃないんだと。これは黄色人種によって白色人種国家のロシアが侵略されている、という話なんだと。このイメージ操作は、結構いまだに尾を引いている。
□佐藤優『ゼロからわかる「世界の読み方」 ~プーチン・トランプ・金正恩~』(新潮社、2017)の「第2部 ゼロからわかる「トランプ後」の世界」の「1 新帝国主義とトランプ --あるいはクリスチャン・シオニズムと黄禍論」から引用
【参考】
「【佐藤優】米国と中国がもし戦ったら ~『ゼロからわかる「世界の読み方」』~」
「【佐藤優】アメリカ映画とキリスト教、120年の関係史 ~『ゼロからわかる「世界の読み方」』~」
「【佐藤優】オランダが『アンネの日記』を必要とした理由 ~『ゼロからわかる「世界の読み方」』~」
「【佐藤優】オシントというインテリジェンスの手法 ~『ゼロからわかる「世界の読み方」』~」
「【佐藤優】聖書の翻訳 ~『ゼロからわかる「世界の読み方」』~」