語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【本】旅がもたらす歓喜 ~『美しい夏の行方 -イタリア、シチリアの旅-』~

2016年01月21日 | ノンフィクション
 

 (1)夏が来れば思いだすのは、尾瀬の空だけではない。たとえば富士山頂の西日であり、隠岐の奇岩である。あるいはストックホルムの市庁舎であり、ネゲブ砂漠の朝日である。
 夏になると、旅への衝動が胸の奥から湧き起こる。著者・辻邦生も、こうした一人だったに違いない。

 (2)旅は詩や音楽と同様に魂を高揚させる機会だ、と著者はいう。だが、本書に、歓喜、幸福、魅惑、活力といった言葉がくりかえし出てくるのは、訪れた土地がイタリアのせいだ。
 生きる歓喜は、照りつける太陽から生まれる。テヴェレ河と同じく凶暴なその光に耐えられない者は、夏のローマを去るしかない。「だが、それに耐えられる者は、ローマは思わぬ歓喜を贈ってくれる」

 (3)歓喜は、海からも贈られる。
 日本の都会の多忙な生活の中で括弧に入れられていた肉体は、地中海にくると、ある確実な存在感となって復活し、「肉体は突然楽器のように幸福の歌を奏でだす」。
 さればこそ、地中海の港に生きる民は、お話にならないくらい貧乏だのに「今日暮せる以上のものは絶対に稼ごうとしない。<いま>という時のなかに、まるで象嵌されたように、はまりこみ、明日のことなど考えないのだ」

 (4)清貧の聖者、アッシジのフランチェスコも、地中海の民と同じ血筋をひく。「<何ももたない>というその最低の地点こそが、もっとも豊かな歓喜の場所だ」
 著者もまた旅においては、<いま>を生きる人となる。絵を見るために美術館に出かけたら、入館を待つ長蛇の列にたじたじとなった。しかし、すぐに目的を刻々の出来事を味わうという点に切り替えたのだ。ウフィッツィ宮殿の壁のダンテ像に不屈を読みとり、踏み減らされた石畳にベアトリーチェの足跡をしのびながら。
 旅の悦楽は、「見えないものを見る」(飯島耕一)想像力から生まれるところが大きいのかもしれない。
 イタリア、シチリアの旅では、その場その場の即興的印象に集中し、旅する喜びの中に自分を解きはなつことができた、とあとがきに記されている。

 (5)辻邦生は、もはや亡い。
 だが、彼がものした数々の作品は、これからも読者に生きる喜びを分かち与え続けるだろう。

□辻邦生(写真/堀本洋一)『美しい夏の行方 -イタリア、シチリアの旅-』(中公文庫、1999)
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