語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【神戸】生体肝移植失敗の原因 ~埋立開発行政の破綻~

2016年01月21日 | 医療・保健・福祉・介護
 (1)わが国の生体肝移植は、1989年の島根医科大学に始まる。以来、わが国の生体肝移植の1年後の平均生存率は84%である。
 ところが、2015年4月、田中紘一・神戸国際フロンティアメディカルセンター(KIFMEC)院長(当時。現・理事長/京都大学名誉教授)自ら執刀した生体肝移植で8人中4人が死亡していたことを「読売新聞」がスクープした。そして、同年6月3日、生体肝移植で新たな死者を出した。
 田中氏は、1990年、京都大学病院で全国2例目の生体肝移植を実施した「生体肝移植の草分け」だ。生体肝移植を200例以上手がけ、世界初のドミノ肝移植にも成功した世界的権威だ。
 それが、手術の場を京大からKIFMECに移したとたん、9人中5人も死亡してしまった。

 (2)2015年6月8日、神戸市福祉保健局が立入検査に入った。
 しかし、提供者の重篤な合併症を報告していなかったことや、術後管理の医師が手薄なことなどについて口頭で改善を求めただけだった。

 (3)批判。
  (a)置塩隆・神戸市医師会長は憤る。「体制が整ったと思えなかったから手術再開に反対していた。最悪です」
  (b)「生体肝移植の自粛と、症例と体制整備についての第三者の検証」などの要望書を出した高原史郎・大阪大学教授/日本移植学会会長も、「患者さんに不安が広がっている。要望書に従って改善すべきだ」と指摘している。
  (c)兵庫県医師会と神戸市医師会は、①神戸市が「術後管理が一部不十分」と指摘したことに対する改善策、②医療産業都市でKIFMECは中心的な役割を担う意思があるか、③生体肝移植の中止を含めた今後の対応、などを問う要望書を田中氏に送った。
  (d)川島龍一・兵庫県医師会長は「田中さんは間違っています」と語る。
    「生体肝移植はさまざまな倫理規定をクリアし、成功率が高くなくては踏み切るべきでない」
    「生体肝移植は子どもの胆道閉鎖症など、肝臓を取り換えなくては助からないケースでやむなく使うもの。移植は脳死の段階で御遺体から臓器をいただくのが基本だが、日本では脳死移植の臓器提供者が少なく生体移植が大半。しかし、これは健康な人にメスを入れる。本来、緊急避難的なものなのです」
    「ドナーの臓器回復は大変です。肝臓は7割くらい取り、2,000ccも輸血が必要で、ドナーは危険を伴う。精神的にも肉体的にもドナーの負荷は重い。だからこそ、いただいた臓器は大切に扱う。ドナーの意思と機能回復を考えると、成功率が限りなく高くないと実施してはいけないのに、田中氏はイチかバチかの手術をし、臓器は無駄になった」
    「家族の愛情とか許された中で健康な肉親が提供しますが、だからいいということではない。医師として客観的に考え、いいかどうか。歯止めをかけるのも専門家の役目です」
  (e)田中氏がかつて理事長を務めた日本移植学会もきびしく糾弾している。

 (4)過去、すべての生体肝移植はさまざまな診療科がそろった大学病院でしか行われてこなかった。ドナー(提供者)もレシピエント(提供される患者)も術後の合併症などで危険な状態になることがあるからだ。
 KIFMECは、消化器系専門の民間病院でしかない。常勤の医師は移植医が田中氏を含めて3人で、計8人。循環器科や放射線科の常勤医師はいない。
 にもかかわらず、田中氏は、2014年11月にKIFMECがオープンするや、生体肝移植に踏み切った。
 調査に入った日本肝移植研究会は、「肝機能のデータからも緊急性ありと判定できるだけの数値ではなく、死亡例は必ずしも厳しい状態ではない」などと指摘した。

 (5)田中氏は主に京都大学病院で手術実績を挙げてきた。
 しかし、「京都大学病院とKIFMECとではスタッフの充実度が違う」【関係者多数】
 上本伸二・日本肝移植学研究会長も、「KIFMECではスタッフが薄い」と中止を求めた。
 前記、川島会長は、「どんな優秀な医師がいても生体移植は一人ではやれない。一人は取り出し、もう一人が入れる。術後管理、術中管理、交代要員・・・・、そのあたりがKIFMECにはまったく足りない」

 (6)田中氏は、過去インドネシアでも3例の生体肝移植を実施したが、患者はすべて死亡した。
 「体制が悪かったと弁明していたが、それならそんなところでやるべきではない」【前記、川島会長】
 田中氏は、神戸市立医療センター中央市民病院副院長の時代、倫理委員会に諮らずに外国人患者に整体肝移植を実施したために問題になり、辞任したことがある。
 西田芳矢・兵庫県医師会副会長も、「日本では2003年の臓器移植法施行から2007年などの改定を重ねた。田中氏はこれに一番かかわっているはずなのに」と「大権威」に疑問を持つ。

 (7)地元の医師会、全国組織の移植学会や研究会などがこぞって危惧しながら、このようなことになる理由は、神戸市が医療産業都市の重鎮として田中氏を据え、支えてきたためだ。
 だから医師会の意向すら市は無視する。その典型例が、過去にある。
 神戸市立医療センター中央市民病院(当時、病院管理センター中央市民病院)は、かつて、現在の新神戸駅近くにあった。ところが、ポートピア博覧会が開かれた1981年、市の医師会などの猛反対を押し切ってポートアイランド(神戸港内の人工島)一期工事区画に移され、その後中央市民病院と名称変更された。
 阪神・淡路大震災(1995年)では、ポートアイランドへの橋が危険な状態になったため、通行量が限られ、緊急措置を要した「救えたはずの命」を多くが消えた。
 ところが、2011年、病院はポートアイランド内の3km南方にさらに移転した。最初の移転からまだ30年。移転の総事業費は480億円だ。移転先は、市が医療産業都市構想を進めるポートアイランド二期工事区画。移植など先端医療の研究拠点である先端医療センター病院の隣で、面積は4.5ヘクタール。だが、病床は912床から640床に減らした。
 「ほとんどすべての市民から病院が遠くなる。心筋梗塞などは1分を争うのに、救急車の搬入も2分は遅れる。人工島に移されたため阪神・淡路大震災で病院は役に立たなかった。今後は南海トラフの危険もある。それをわかってさらに海側に病院を移すとは」【前記、川島会長】
 2000年春まで神経内科医長を努めた高塚勝哉・高塚クリニック院長は語る。
 「計画では、糖尿病の診療科や整形外科、神経内科を別の病院へ移そうとしていた。慢性の病気とか、治療が長期に及ぶ患者を外す考えだったが、さすがにそれは撤回した」
 「30年で使えなくなるなら、そこら中の病院はすべて建て直さなくてはならない。前の病院は外に開かれていて使い勝手がよかったが、移転先は患者にとって非常に敷居が高く使いづらい。病院はたった30億円で売ったが、そこは立派に民間病院が使っている。おかしな話ですよ。神戸市の官僚たちがゼネコンのために税金を投じているとしか思えない」 

 (8)「神戸市立医療センター中央病院をKIFMECの横に置きたいというのが市の本音です。危険を伴う最先端医療の場で事故があった場合、市民病院で事後処置をさせようとしている。そして、大きな狙いは医療ツーリズムです。健康保険適用外の自由診療の場としてアラブの富豪などから金をもらいたいのでしょう。本来は市民の税金で運営されているのだから特殊な医療を看板にするものではないはず。医療産業都市構想が絡んでいたために、危機管理体制を無視し、市民の犠牲を承知で移転させた。医療を営利産業化することに市民病院を組み込むことがおかしい」【前記、川島会長】
 実は、移転前、宮田克行・元神戸市病院経営管理部長も2013年2月13日付け「神戸新聞」で本音を漏らしている。
 「市民病院が医療産業都市に来てくれる利点は大きい。臓器移植や癌治療など高度医療や保険適用外の先端医療に特化する周辺の高度専門病院で患者の容体が悪化した時に受け入れられる」

 (9)KIFMECと市民病院は、モノレール駅の廊下を渡って徒歩1分で行き来できる構造となった。
 神戸市が阪神・淡路大震災以来、神戸空港と並んで鳴り物入りで進めてきた「医療産業都市」。
 KIFMECと並んでその中核だった理化学研究所において、科学界を揺るがすスキャンダル(STAP細胞研究の小保方事件)が起きたのは記憶に新しい。

□粟野仁雄(ジャーナリスト)「生体肝移植失敗はなぜ起きた ~破綻した“神戸市の埋め立て開発行政”①~」(「週刊金曜日」2016年1月15日号)
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