★シャミッソー(池内紀・訳)『影をなくした男』(岩波文庫、1985)
(1)アーデルベルト・フォン・シャミッソー(1781~1838年)は、現在ではドイツ・ロマン派の作家と目されている。しかし、この人は元々フランスのシャンパーニュ地方の貴族だ。したがって、ルイ・シャルル・アデライド・ド・シャミッソー・ド・ボンクールというフランス名も持っている。
フランス革命による貴族への迫害を逃れ、シャミッソー一家はドイツに移住した。フランスとドイツの間で揺れるアイデンティティの危機が、『影をなくした男』によく現れている。
(2)主人公ペーター・シュレミールは、貧困に苦しんでいた。ある日、紹介状を持って大金持ちの邸宅を訪れるが、まともに相手にされない。その邸宅の庭にいた奇妙な灰色の服の男(実は悪魔)から、奇妙な提案を受ける。「あなたの影を譲ってくれないか」と。
<「ほんのしばらくのあいだでしたが先ほどご同席させていただいたとき、実は--それはそれは美しいあなたの影にうっとりと見惚れていたのでございますよ。ところがあなたときたら足もとのご自分の影にはとんと無頓着なふうで、ちっとも目をやろうとはなさいませんでしたがね。はなはだ厚かましいお願いで恐縮ですが、いかがでしょう、あなたのその影をおゆずりいただくわけにはまいらないものでしょうか」
言い終わるやいなや男は口をつぐみました。私は頭の中で風車が廻るような気がしました。影を買いたいなんぞの申し出をどう受け取ればいいのでしょう? きっと気が狂(ふ)れているにちがいありません。そこで相手の調子を受け流すかねあいでことさら気軽に答えました。
「おやおや、あなた、どうなさったというのです、自分の影だけでは不足だってわけですかね。こんな奇妙な取引きは世に二つとありますまいよ」
男はすぐさま言いました。
「このポケットには、あなたに気にいるはずのものがどっさり入っておりますですよ。すてきな影をおゆずりくださるとあれば、どんな高値でもいといませんがね」>
(3)シュレミールは、金貨をいくらでも造り出すことができる「幸運の金袋」と自分の影とを交換する。シュレミールは大富豪になるが、影がないということで社交界から受け入れられず、また自分が思いを寄せる人と結婚することができない。
(4)1年後、悪魔と再会したシュレミールは、影を返してくれ、と訴える。悪魔は、影を返すことには応じるが、シュレミールが死んだ後の魂を悪魔に渡すという条件を提示する。
<「せっかくですが、おことわりです」
「おいやですって?」
男は目を丸くしました。
「それはまた、どうしてです?」
「魂と影を取り換えるなんて、少々剣呑ってものでしょうから」
「いや、ごもっとも、剣呑剣呑--」
と重ねてから男はプッと吹き出しました。
「ではおたずねいたしますが、あなたの魂とやらはいかなるシロモノですかな。ご自分の目でごらんになったことがおありですか? あの世にいってから、そいつを元手に何かを始めるおつもりですかね。むしろ生あるうちにですな、魂といわれるわけのわからんシロモノ、電動力とも分極作用とも、何ともえたいの知れぬ講釈つきのシロモノと現実のものと取り換えておくほうが、よほど利口ではありませんかね。つまりがご自分の影と取り換える。影さえあれば恋人はあなたのみもとにありでして、万々歳というものじゃありませんか。(後略)」>
(5)シュレミールはこの取引を断る。
するとしばらく悪魔はシュレミールの後をついてきて、言葉巧みに魂と影との交換を説得する。最後まで取引に応じないと、悪魔は彼から離れる。シュレミールは、「幸運の金袋」を穴に投げ捨て、貧困な生活に戻る。市場で偶然、瞬時に世界を移動できる靴を入手し、世界中を訪問する。しかし、影を取り戻すことはできず、人との関係を避けて一生を送ることになった。
(6)シュレミールは、自分の身に起きた出来事を記録に残し、その保管を友人シャミッソーに依頼する。
<愛するシャミッソー君、この不思議な物語の保管者として君を選びました。この地上から私がいなくなったあかつきには、だれかに少しはお役に立つかもしれません。それを念じてのことなのです。友よ、君は人間社会に生きている。だからしてまず影をたっとんでください。お金はその次でかまわないのです。ともあれ、みずからに忠実に、よりよき自己に即して君は生きようとしているのですから、とやこうこんな差し出がましい口をきくのは余計なことというものですね。>
(7)この物語は多義的に読むことができる。
影を民族とみることもできるだろう。民族は、目、口、鼻のように人間が必ず持っている属性ではない。理屈の上では、人間はいずれの民族に所属しないで生きていくことができる。しかし、その場合、影を失ったシュレミールのように、社会から受け入れられなくなってしまう。シャミッソーは、民族は影のようなもので、実態はないと考えていたのであろう。しかし、現実の社会で生き残るためには、フランス人からドイツ人への転換を余儀なくされたのだ。
同時に、目に見えないが、確実に存在する魂の重要性をシャミッソーは説いている。影(民族的帰属)がなくても魂(良心)を失わないならば、人間は生きていくことができる、と本書はメッセージを送っている。
□佐藤優「人間にとって「影」とは何か? 亡命作家のメッセージ ~名著、再び ビジネスパーソンの教養講座 第38回~」(「週刊現代」2017年6月3日号)
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【参考】
「【佐藤優】文部省の歴史と現状、経済実務家のロシア情勢分析、中国の対日観」
「【佐藤優】学習効果が上がる「入門書」、応用地政学で見る日本、権力による輿論のコントロールを脱構築」
「【佐藤優】大川周明『復興亜細亜の諸問題』 ~イスラーム世界のルール~」
「【佐藤優】女性と話すのが怖くなる本、ネット情報から真実をつかみ取る技法、ソ連とロシアに共通する民族問題」
「【佐藤優】ヨーロッパ宗教改革の本質、相手にわかるように説明するトレーニング、ロシア・エリートの欧米観」
「【佐藤優】なぜ神父は独身で牧師は結婚できるのか? 500周年の「革命」を知る ~マルティン・ルター『キリスト者の自由』~」
「【佐藤優】政界汚職を描いた古典 ~石川達三『金環蝕』~」
「【佐藤優】生きた経済の教科書、バチカンというインテリジェンス機関、正しかった「型」の教育」
「【佐藤優】誰かを袋だたきにしたい欲望、正統派の書評家・武田鉄矢、追い込まれつつある正社員」
「【佐藤優】発達障害とどう向き合うか、アドルノ哲学の知的刺激、インターネットと「情報犯罪」」
「【佐藤優】後醍醐天皇の力の源 「異形の輩」とは--日本の暗部を突く思考」
「【佐藤優】実用的な会話術、ユーラシア地域の通史、宇宙ロケットを生んだ珍妙な思想」
「【佐藤優】キブ・アンド・テイクが成功の秘訣、キリスト教文化圏の悪と悪魔、理系・文系の区別を捨てよ」
「【佐藤優】企業インテリジェンス小説 ~梶山季之『黒の試走車』~」
「【佐藤優】中東複合危機、金正恩の行動を読み解く鍵、「型破り」は「型」を踏まえて」
「【佐藤優】後世に名を残す村上春樹新作、気象災害対策の基本書、神学の処世術的応用」
「【佐藤優】地学の魅力、自分の頭で徹底的に考える、高等教育と短期の利潤追求」
「【佐藤優】日本人の特徴的な行動 ~日本礼賛ではない『ジャパン・アズ・ナンバーワン』~」
「【佐藤優】知を扱う基本的技法、ソ連人はあまり読まなかった『資本論』、自由に耐えるたくましさ」
「【佐藤優】後知恵上手が出世する? ~ビジネスに役立つ「哲学の巨人」読解法~」
「【佐藤優】トランプ政権の安保政策、「生きた言葉」という虚妄、キリスト教の開祖パウロ」
「【佐藤優】「暴君」のような上司のホンネとは? ~メロスのビジネス心理学~」
「【佐藤優】物まね芸人とスパイの共通点、新版太平記の完成、対戦型AIの原理」
「【佐藤優】トランプ側近が考える「恐怖のシナリオ」 ~日本も敵になる?~」
「【佐藤優】弱まる日本社会の知力、実践的ディベート術、受けるより与えるほうが幸い」
「【佐藤優】トランプの「会話力」を知る ~ワシントンポスト取材班『トランプ』~」
「【佐藤優】「不可能の可能性」に挑む、言語の果たす役割の大きさ、NYタイムズ紙コラムニストの人生論」
「【佐藤優】人生は実家の収入ですべて決まる? ~「下流」を脱する方法~」
「【佐藤優】ソ連崩壊後の労働者福祉軽視、現代も強い力を持つ観念論、孤独死予備軍と宗教」
「【佐藤優】米国のキリスト教的価値観、サイバー戦争論、日本会議」
「【佐藤優】『失敗の本質』/日本型組織の長所と短所」
「【佐藤優】世界を知る「最重要書物」 ~クラウゼヴィッツ『戦争論』~」
「【佐藤優】現代ロシアに関する教科書、ネコ問題はヒト問題、トランプ氏の顧問が見る中国」
「【佐藤優】日本には「物語の復権」が必要である ~反知性主義批判~」
「【佐藤優】サイコパス、新訳で甦る千年前の魂、長寿化に伴うライフスタイルの変化」
「【佐藤優】イラクの地政学、誠実なヒューマニスト、全ての人が受益者となる社会の構築」
「【佐藤優】外交に決定的に重要なタイミング、他人の気持ちになって考える力、科学と職人芸が融合した食品」
「【佐藤優】『ゼロからわかるキリスト教』の著者インタビュー ~「神」を論じる不可能に挑む~」
「【佐藤優】組織の非情さが骨身に沁みる ~新田次郎『八甲田山死の彷徨』~」
「【佐藤優】プーチン政権の本質、2017年の論点、ロシアと欧州」
「【佐藤優】国際人になるための教科書、ストレスが人間を強くする、日本に易姓革命はない」
「【佐藤優】ロシアでも愛された知識人の必読書 ~安部公房『砂の女』~」
「【佐藤優】トランプ当選予言の根拠、猫の絵本の哲学、人間関係で認知症を予防」
「【佐藤優】モンロー主義とトランプ次期大統領、官僚は二流の社会学者、プロのスパイの手口」
「【佐藤優】トランプを包括的に扱う好著、現代日本外交史、独自の民間外交」
「【佐藤優】デモや抗議活動のサブカルチャー化、グローバル化に対する反発を日露が共有、グローバル化に対する反発が国家機能を強化」
「【佐藤優】国際社会で日本が生き抜く条件、ルネサンスを準備したもの、理系情報の伝え方」
「【佐藤優】人生を豊かにする本、猫も人もカロリー過剰、度外れなロシア的天性」
「【佐藤優】テロリズム思想の変遷を学ぶ ~沢木耕太郎『テロルの決算』~」
「【佐藤優】住所格差と人生格差、人材育成で企業復活、教科書レベルの知識が必要」
「【佐藤優】数学嫌いのための数学入門、西欧的思考にわかりやすい浄土思想解釈、非共産主義的なロシア帝国」
「【佐藤優】ウラジオストク日本人居留民、辺野古移設反対を掲げる公明党沖縄県本部、偶然歴史に登場した労働力の商品化」
「【佐藤優】「21世紀の優生学」の危険、闇金ウシジマくんvs.ホリエモン、仔猫の救い方」
「【佐藤優】大学にも外務省にもいる「サンカク人間」 ~『文学部唯野教授』~」
「【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次」
「【佐藤優】「イスラム国」をつくった米大統領、強制収容所文学、「空気」による支配を脱構築」
「【佐藤優】トランプの対外観、米国のインターネット戦略、中国流の華夷秩序」
「【佐藤優】元モサド長官回想録、舌禍の原因、灘高生との対話」
「【佐藤優】孤立主義の米国外交、少子化対策における産まない自由、健康食品のウソ・ホント」
「【佐藤優】アフリカを収奪する中国、二種類の組織者、日本的ナルシシズムの成熟」
「【佐藤優】キリスト教徒として読む資本論 ~宇野弘蔵『経済原論』~」
「【佐藤優】未来の選択肢二つ、優れた文章作法の指南書、人間が変化させた生態系」
「【佐藤優】+宮家邦彦 世界史の大転換/常識が通じない時代の読み方」
「【佐藤優】人びとの認識を操作する法 ~ゴルバチョフに会いに行く~」
「【佐藤優】ハイブリッド外交官の仕事術、トランプ現象は大衆の反逆、戦争を選んだ日本人」
「【佐藤優】ペリー来航で草の根レベルの交流、沖縄差別の横行、美味なソースの秘密」
「【佐藤優】原油暴落の謎解き、沖縄を代表する詩人、安倍晋三のリアリズム」
「【佐藤優】18歳からの格差論、大川周明の洞察、米国の影響力低下」
「【佐藤優】天皇制を作った後醍醐、天皇制と無縁な沖縄 ~網野善彦『異形の王権』~」
「【佐藤優】新しい帝国主義時代、地図の「四色問題」、ベストセラー候補の研究書」
「【佐藤優】ねこはすごい、アゼルバイジャン、クンデラの官僚を描く小説」
「【佐藤優】外交官の論理力、安倍政権と共産党、研究不正が起きるシステム」
「【佐藤優】遅読家のための読書術、電気の構造、本屋大賞」
「【佐藤優】外山滋比古/思考の整理学」
「【佐藤優】何が個性で、何が障害か」
「【佐藤優】大宅壮一ノンフィクション賞選評 ~『原爆供養塔』ほか~」
「【佐藤優】英才教育という神話」
「【佐藤優】資本主義の内在的論理」
「【佐藤優】米国の戦略策定、『資本論』をめぐる知的格闘、格差・貧困問題の起源」
「【佐藤優】偉くない「私」が一番自由、備中高梁の新島襄、コーヒーの科学」
「【佐藤優】フードバンク活動、内外情勢分析、正真正銘の「地方創生」」
「佐藤優】日本の政治エリートと「天佑」、宇宙の生命体、10代が読むべき本」
「【佐藤優】組織成功の鍵となる人事、ユダヤ人の歴史、リーダーシップ論」
「【佐藤優】第三次世界大戦の可能性、現代東欧文学、世界連鎖暴落」
「【佐藤優】司馬遼太郎の語られざる本音、深層対話、米政府による暗殺」
「【佐藤優】著名神学者のもう一つの顔 ~パウル・ティリヒ~」
「【佐藤優】総理が靖国参拝する理由、NPO活動の哲学やノウハウ、テロ対策の必読書」
「【佐藤優】今後、起こりうる財政破綻 ~対応策を学ぶ~」
「【佐藤優】社会の価値観、退行する社会」
「【佐藤優】夫婦の微妙な関係、安倍政権の内在的論理、警察捜査の正体」
「【佐藤優】情緒ではなく合理と実証で ~社会の再構築~」
「【佐藤優】中曽根康弘、21世紀の資本主義分析、北樺太の石油開発」
「【佐藤優】日本人の思考の鋳型、死刑問題、キリスト教と政治」
「【佐藤優】中国株式市場の怪しさ、イノベーションの障害、ホラー映画の心理学」
「【佐藤優】普天間基地移設問題の本質、外務省犯罪黒書、老後に快走!」
「【佐藤優】シリア難民が日本へ ~ハナ・アーレント『全体主義の起源』~」
(1)アーデルベルト・フォン・シャミッソー(1781~1838年)は、現在ではドイツ・ロマン派の作家と目されている。しかし、この人は元々フランスのシャンパーニュ地方の貴族だ。したがって、ルイ・シャルル・アデライド・ド・シャミッソー・ド・ボンクールというフランス名も持っている。
フランス革命による貴族への迫害を逃れ、シャミッソー一家はドイツに移住した。フランスとドイツの間で揺れるアイデンティティの危機が、『影をなくした男』によく現れている。
(2)主人公ペーター・シュレミールは、貧困に苦しんでいた。ある日、紹介状を持って大金持ちの邸宅を訪れるが、まともに相手にされない。その邸宅の庭にいた奇妙な灰色の服の男(実は悪魔)から、奇妙な提案を受ける。「あなたの影を譲ってくれないか」と。
<「ほんのしばらくのあいだでしたが先ほどご同席させていただいたとき、実は--それはそれは美しいあなたの影にうっとりと見惚れていたのでございますよ。ところがあなたときたら足もとのご自分の影にはとんと無頓着なふうで、ちっとも目をやろうとはなさいませんでしたがね。はなはだ厚かましいお願いで恐縮ですが、いかがでしょう、あなたのその影をおゆずりいただくわけにはまいらないものでしょうか」
言い終わるやいなや男は口をつぐみました。私は頭の中で風車が廻るような気がしました。影を買いたいなんぞの申し出をどう受け取ればいいのでしょう? きっと気が狂(ふ)れているにちがいありません。そこで相手の調子を受け流すかねあいでことさら気軽に答えました。
「おやおや、あなた、どうなさったというのです、自分の影だけでは不足だってわけですかね。こんな奇妙な取引きは世に二つとありますまいよ」
男はすぐさま言いました。
「このポケットには、あなたに気にいるはずのものがどっさり入っておりますですよ。すてきな影をおゆずりくださるとあれば、どんな高値でもいといませんがね」>
(3)シュレミールは、金貨をいくらでも造り出すことができる「幸運の金袋」と自分の影とを交換する。シュレミールは大富豪になるが、影がないということで社交界から受け入れられず、また自分が思いを寄せる人と結婚することができない。
(4)1年後、悪魔と再会したシュレミールは、影を返してくれ、と訴える。悪魔は、影を返すことには応じるが、シュレミールが死んだ後の魂を悪魔に渡すという条件を提示する。
<「せっかくですが、おことわりです」
「おいやですって?」
男は目を丸くしました。
「それはまた、どうしてです?」
「魂と影を取り換えるなんて、少々剣呑ってものでしょうから」
「いや、ごもっとも、剣呑剣呑--」
と重ねてから男はプッと吹き出しました。
「ではおたずねいたしますが、あなたの魂とやらはいかなるシロモノですかな。ご自分の目でごらんになったことがおありですか? あの世にいってから、そいつを元手に何かを始めるおつもりですかね。むしろ生あるうちにですな、魂といわれるわけのわからんシロモノ、電動力とも分極作用とも、何ともえたいの知れぬ講釈つきのシロモノと現実のものと取り換えておくほうが、よほど利口ではありませんかね。つまりがご自分の影と取り換える。影さえあれば恋人はあなたのみもとにありでして、万々歳というものじゃありませんか。(後略)」>
(5)シュレミールはこの取引を断る。
するとしばらく悪魔はシュレミールの後をついてきて、言葉巧みに魂と影との交換を説得する。最後まで取引に応じないと、悪魔は彼から離れる。シュレミールは、「幸運の金袋」を穴に投げ捨て、貧困な生活に戻る。市場で偶然、瞬時に世界を移動できる靴を入手し、世界中を訪問する。しかし、影を取り戻すことはできず、人との関係を避けて一生を送ることになった。
(6)シュレミールは、自分の身に起きた出来事を記録に残し、その保管を友人シャミッソーに依頼する。
<愛するシャミッソー君、この不思議な物語の保管者として君を選びました。この地上から私がいなくなったあかつきには、だれかに少しはお役に立つかもしれません。それを念じてのことなのです。友よ、君は人間社会に生きている。だからしてまず影をたっとんでください。お金はその次でかまわないのです。ともあれ、みずからに忠実に、よりよき自己に即して君は生きようとしているのですから、とやこうこんな差し出がましい口をきくのは余計なことというものですね。>
(7)この物語は多義的に読むことができる。
影を民族とみることもできるだろう。民族は、目、口、鼻のように人間が必ず持っている属性ではない。理屈の上では、人間はいずれの民族に所属しないで生きていくことができる。しかし、その場合、影を失ったシュレミールのように、社会から受け入れられなくなってしまう。シャミッソーは、民族は影のようなもので、実態はないと考えていたのであろう。しかし、現実の社会で生き残るためには、フランス人からドイツ人への転換を余儀なくされたのだ。
同時に、目に見えないが、確実に存在する魂の重要性をシャミッソーは説いている。影(民族的帰属)がなくても魂(良心)を失わないならば、人間は生きていくことができる、と本書はメッセージを送っている。
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「【佐藤優】テロリズム思想の変遷を学ぶ ~沢木耕太郎『テロルの決算』~」
「【佐藤優】住所格差と人生格差、人材育成で企業復活、教科書レベルの知識が必要」
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「【佐藤優】ウラジオストク日本人居留民、辺野古移設反対を掲げる公明党沖縄県本部、偶然歴史に登場した労働力の商品化」
「【佐藤優】「21世紀の優生学」の危険、闇金ウシジマくんvs.ホリエモン、仔猫の救い方」
「【佐藤優】大学にも外務省にもいる「サンカク人間」 ~『文学部唯野教授』~」
「【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次」
「【佐藤優】「イスラム国」をつくった米大統領、強制収容所文学、「空気」による支配を脱構築」
「【佐藤優】トランプの対外観、米国のインターネット戦略、中国流の華夷秩序」
「【佐藤優】元モサド長官回想録、舌禍の原因、灘高生との対話」
「【佐藤優】孤立主義の米国外交、少子化対策における産まない自由、健康食品のウソ・ホント」
「【佐藤優】アフリカを収奪する中国、二種類の組織者、日本的ナルシシズムの成熟」
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「【佐藤優】ペリー来航で草の根レベルの交流、沖縄差別の横行、美味なソースの秘密」
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「【佐藤優】新しい帝国主義時代、地図の「四色問題」、ベストセラー候補の研究書」
「【佐藤優】ねこはすごい、アゼルバイジャン、クンデラの官僚を描く小説」
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「【佐藤優】遅読家のための読書術、電気の構造、本屋大賞」
「【佐藤優】外山滋比古/思考の整理学」
「【佐藤優】何が個性で、何が障害か」
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「【佐藤優】英才教育という神話」
「【佐藤優】資本主義の内在的論理」
「【佐藤優】米国の戦略策定、『資本論』をめぐる知的格闘、格差・貧困問題の起源」
「【佐藤優】偉くない「私」が一番自由、備中高梁の新島襄、コーヒーの科学」
「【佐藤優】フードバンク活動、内外情勢分析、正真正銘の「地方創生」」
「佐藤優】日本の政治エリートと「天佑」、宇宙の生命体、10代が読むべき本」
「【佐藤優】組織成功の鍵となる人事、ユダヤ人の歴史、リーダーシップ論」
「【佐藤優】第三次世界大戦の可能性、現代東欧文学、世界連鎖暴落」
「【佐藤優】司馬遼太郎の語られざる本音、深層対話、米政府による暗殺」
「【佐藤優】著名神学者のもう一つの顔 ~パウル・ティリヒ~」
「【佐藤優】総理が靖国参拝する理由、NPO活動の哲学やノウハウ、テロ対策の必読書」
「【佐藤優】今後、起こりうる財政破綻 ~対応策を学ぶ~」
「【佐藤優】社会の価値観、退行する社会」
「【佐藤優】夫婦の微妙な関係、安倍政権の内在的論理、警察捜査の正体」
「【佐藤優】情緒ではなく合理と実証で ~社会の再構築~」
「【佐藤優】中曽根康弘、21世紀の資本主義分析、北樺太の石油開発」
「【佐藤優】日本人の思考の鋳型、死刑問題、キリスト教と政治」
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