(1)緊急非常事態の対策の5段階
大震災のような緊急非常事態対策には5段階がある。
(a)救助【注1】、(b)救済【注2】、(c)復旧、(d)復興、(e)振興・・・・だ。
(2)復旧
震災発生後1ヵ月くらいでこの段階に入る。
物資がどこでどれだけ不足しているか、それがどこで調達できるか、輸送手段とルートなどに係る正確な情報を集め、優先順位を明確にして指揮、命令しなければならない(ロジスティクス/兵站)。
(3)方向づけ
何を優先するかを総合的に判断する機関が必要だ。
復旧で終わるのか、復興【注3】、振興【注4】をめざすのか、も大きな問題だ。<例>東北の三陸海岸には多数の漁港があるが、今後はそれらを集約して貿易港を一つ新設する。
(4)「復興院」
こうした対応は、平時の発想を超えた発想を実行できる「復興院」があれば可能だ【注5】。
復興院には、10人くらいの委員会(総裁・経験者・有識者)と、3つの事務局を作る。各事務局の担当は次のとおり。(a)被災者の生活と地域の復興。(b)産業経済(電力の確保等)。(c)文化、娯楽(自粛不況の払拭)。
「復興院」院は、長くて3年、短くて2年で廃止するとよい。時限機関であるがゆえに、強権をふるっても国民に納得してもらえる。
総裁は、政治的野心や企業の利害から完全に離れる必要がある。現職の政治家が就くなら、まず議員辞職し、今後一切政治に関与しないことを宣言するのだ。
(5)「東北州」
鍵になるのは、東京一極集中の廃止【注6】、地域主権型道州制の導入だ。
道州制は、国の機関を整理して地域(道州)が決定の主体になる制度にする。経産、国交、厚労、文科、農水の5省と総務省の電波管理部門を廃止し、各道州に仕事と権限を委ねる。道路や学校建設の基準など、地域に合った行政ができる。廃藩置県に匹敵する大改革だ。
当面は、東北6県を「復興院」の指導下に置き、それを将来の「東北州」の基準にしてよい。復興助成金は国が出すが、使い方は東北州で考える。未来志向型の復興のモデルケースになる。
(6)その他
町一つがなくなったところもある。そういう地域は、コミュニティの機能は維持して別の場所へ移動する、という選択肢も出てくる。過去にもそういう実例はある。
今回の被災地は、一次産業に頼ってきたところが多い。高齢者の割合も総じて高い。地域経済の復興は容易でない。
東北沿岸部の中核都市を再生する際には、元の街並みの回復をめざすのではなく、若者や外国人を惹きつけられる文化や楽しみの要素を加味した新しい街づくりを考えるべきだ。他とは違う質の高い「名所町」を創り出すのだ。
エネルギー政策は転換期を迎える。1970年代以降のエネルギー多消費社会から、省エネルギー社会へ変わらねばならない。
ライフスタイルの転換も求められている。親子が一緒に住む良さを再認識する必要がある。
モノづくりを重視した近代工業社会から、知恵に価値を求める「知価社会」へ、日本全体が変わることができるなら、新しい地平は自ずから開けてくる。
【注1】救助でまず必要なのは情報だ。本来なら無線機持参の自衛隊員や消防隊員を速やかにヘリから被災地へ降下させ、情報収集に当たらせるべきだった。ところが、航空法や電波法に触れるためできなかった。今回、海外の救援隊を速やかに受け入れた点は、進歩している。しかし、有事立法がなく、緊急時でも平時の規制に縛られて身動きできない点はまったく変わっていない。
【注2】 防災訓練は行われているが、水道やガスがとまったときにどうするかといった「耐災訓練」はまったく行われていなかった。そういう発想がなかった。これが救済を困難にした。
【注3】現行法では、壊れたものを旧に復する場合は費用を助成するが、以前よりも良くすると財産が増えるから新たな助成として査定される。
【注4】19世紀以降の日本にとって、今回の大震災は第三の敗戦だ。第一は幕末。第二は太平洋戦争の敗戦。2回の敗戦を契機に、日本は大成長を遂げた。それまでの日本(徳川幕藩体制や軍人主導の大日本帝国)を再現しようとしなかったから出来た。今回も同じで、官僚主導、業界協調体制の「戦後日本」を再現してはならない。
【注5】堺屋太一は、阪神・淡路大震災のとき緊急非常の権限をもつ機関をつくるべきだと提案したが、各省庁の猛烈な抵抗に遭い、「阪神・淡路復興委員会」という調整機構に縮小された。
【注6】東京に一極集中したのは、規格大量生産社会を志向したからだ。東京にいる官僚が規格や基準を作り、それに全国が従えば、低コストで大量生産できた。今回の原発事故も日本の「基準主義」が災いしている。原発でも道路でも官僚が定めた基準に合っていればいい。基準に合っていたら事故は起こらないと見なし、それ以上のダメージコントロール訓練をしない。日本と旧ソ連はこうした基準主義で国を運営してきた。米国や仏国は、「確率主義」だ。事故が1億分の1になっても確率はゼロにはならないのでダメージコントロール訓練は必要とする。これがチェルノブイリ原発事故とスリーマイル島原発事故の差につながった。
以上、堺屋太一「平成の『復興院』を創設し『東北州』を新生ニッポンの象徴に」(「週刊朝日」2011年4月8日増大号)に拠る。
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大震災のような緊急非常事態対策には5段階がある。
(a)救助【注1】、(b)救済【注2】、(c)復旧、(d)復興、(e)振興・・・・だ。
(2)復旧
震災発生後1ヵ月くらいでこの段階に入る。
物資がどこでどれだけ不足しているか、それがどこで調達できるか、輸送手段とルートなどに係る正確な情報を集め、優先順位を明確にして指揮、命令しなければならない(ロジスティクス/兵站)。
(3)方向づけ
何を優先するかを総合的に判断する機関が必要だ。
復旧で終わるのか、復興【注3】、振興【注4】をめざすのか、も大きな問題だ。<例>東北の三陸海岸には多数の漁港があるが、今後はそれらを集約して貿易港を一つ新設する。
(4)「復興院」
こうした対応は、平時の発想を超えた発想を実行できる「復興院」があれば可能だ【注5】。
復興院には、10人くらいの委員会(総裁・経験者・有識者)と、3つの事務局を作る。各事務局の担当は次のとおり。(a)被災者の生活と地域の復興。(b)産業経済(電力の確保等)。(c)文化、娯楽(自粛不況の払拭)。
「復興院」院は、長くて3年、短くて2年で廃止するとよい。時限機関であるがゆえに、強権をふるっても国民に納得してもらえる。
総裁は、政治的野心や企業の利害から完全に離れる必要がある。現職の政治家が就くなら、まず議員辞職し、今後一切政治に関与しないことを宣言するのだ。
(5)「東北州」
鍵になるのは、東京一極集中の廃止【注6】、地域主権型道州制の導入だ。
道州制は、国の機関を整理して地域(道州)が決定の主体になる制度にする。経産、国交、厚労、文科、農水の5省と総務省の電波管理部門を廃止し、各道州に仕事と権限を委ねる。道路や学校建設の基準など、地域に合った行政ができる。廃藩置県に匹敵する大改革だ。
当面は、東北6県を「復興院」の指導下に置き、それを将来の「東北州」の基準にしてよい。復興助成金は国が出すが、使い方は東北州で考える。未来志向型の復興のモデルケースになる。
(6)その他
町一つがなくなったところもある。そういう地域は、コミュニティの機能は維持して別の場所へ移動する、という選択肢も出てくる。過去にもそういう実例はある。
今回の被災地は、一次産業に頼ってきたところが多い。高齢者の割合も総じて高い。地域経済の復興は容易でない。
東北沿岸部の中核都市を再生する際には、元の街並みの回復をめざすのではなく、若者や外国人を惹きつけられる文化や楽しみの要素を加味した新しい街づくりを考えるべきだ。他とは違う質の高い「名所町」を創り出すのだ。
エネルギー政策は転換期を迎える。1970年代以降のエネルギー多消費社会から、省エネルギー社会へ変わらねばならない。
ライフスタイルの転換も求められている。親子が一緒に住む良さを再認識する必要がある。
モノづくりを重視した近代工業社会から、知恵に価値を求める「知価社会」へ、日本全体が変わることができるなら、新しい地平は自ずから開けてくる。
【注1】救助でまず必要なのは情報だ。本来なら無線機持参の自衛隊員や消防隊員を速やかにヘリから被災地へ降下させ、情報収集に当たらせるべきだった。ところが、航空法や電波法に触れるためできなかった。今回、海外の救援隊を速やかに受け入れた点は、進歩している。しかし、有事立法がなく、緊急時でも平時の規制に縛られて身動きできない点はまったく変わっていない。
【注2】 防災訓練は行われているが、水道やガスがとまったときにどうするかといった「耐災訓練」はまったく行われていなかった。そういう発想がなかった。これが救済を困難にした。
【注3】現行法では、壊れたものを旧に復する場合は費用を助成するが、以前よりも良くすると財産が増えるから新たな助成として査定される。
【注4】19世紀以降の日本にとって、今回の大震災は第三の敗戦だ。第一は幕末。第二は太平洋戦争の敗戦。2回の敗戦を契機に、日本は大成長を遂げた。それまでの日本(徳川幕藩体制や軍人主導の大日本帝国)を再現しようとしなかったから出来た。今回も同じで、官僚主導、業界協調体制の「戦後日本」を再現してはならない。
【注5】堺屋太一は、阪神・淡路大震災のとき緊急非常の権限をもつ機関をつくるべきだと提案したが、各省庁の猛烈な抵抗に遭い、「阪神・淡路復興委員会」という調整機構に縮小された。
【注6】東京に一極集中したのは、規格大量生産社会を志向したからだ。東京にいる官僚が規格や基準を作り、それに全国が従えば、低コストで大量生産できた。今回の原発事故も日本の「基準主義」が災いしている。原発でも道路でも官僚が定めた基準に合っていればいい。基準に合っていたら事故は起こらないと見なし、それ以上のダメージコントロール訓練をしない。日本と旧ソ連はこうした基準主義で国を運営してきた。米国や仏国は、「確率主義」だ。事故が1億分の1になっても確率はゼロにはならないのでダメージコントロール訓練は必要とする。これがチェルノブイリ原発事故とスリーマイル島原発事故の差につながった。
以上、堺屋太一「平成の『復興院』を創設し『東北州』を新生ニッポンの象徴に」(「週刊朝日」2011年4月8日増大号)に拠る。
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このたびも、「復興庁」構想が政権から出ていますが、霞ヶ関の抵抗に加え、関西広域連合から異議が出ていますね。
「関東大震災当時の復興院のような組織は屋上屋を架すことになるため、国は財政措置や規制緩和など制度的支援・技術的助言に徹すべきだ」「権限一元化のため、被災県による広域連合制度も選択肢だ」
http://www.asahi.com/politics/jiji/JJT201103290123.html
一理ありますが、関西広域連合の提言で疑問なのは、傘下に自治体機能を喪失した多数の市町村を抱える被災県が広域連合を運営する余裕があるか、どうか。