語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【加藤周一】不確かな事実をもとに正しく判断する法 ~新井白石の実証的方法~

2016年01月03日 | ●加藤周一
 (1)加藤周一は、「新井白石の世界」において、白石の学問の「一種の実証的方法」を指摘する。
 事実への限りない接近に努めて、なお事実確認に限界がある場合(資料不足などのため)、白石は独特の議論を展開した。
 つまり、事実判断とは独立に、相手の議論の構造を問題とし、それを批判の根拠としたのである。言い換えると、
  (a)相手の命題の事実との関係ではなく、
  (b)相手の命題相互の関係を検討することに、
白石自身の議論を限定した。
 こうした議論は、歴史に関しては脱神秘化となる。

 (2)加藤周一は、議論の例を3つあげるが、ここでは第一の例を引く。
 源義家が武衡・家衡を征伐しようとして朝廷に「官符」を申請したが、朝廷は「義家の戦さは私闘である」(命題甲)と見て許可しなかった。
  『読史余論』で白石は次のように批判する。
   ①命題甲ならば、朝廷は「義家を罰する」(命題乙)のでなければならない。
   ②逆に、朝敵征伐ならば功を賞しなければならない。
   ③しかるに、政府のとった処置は刑罰も功賞もを与えなかった(甲及び非乙)。
   ④したがって、私闘であるか否かの事実判断とは別に、政府の処置は誤りである。

 (3)白石は、事実追求を徹底し、さればかえって事実を知ることの困難を鋭く意識し、事実把握が困難な場合、議論から事実判断を除外する必要を強く意識した。朱子学で養われた抽象的な概念の秩序に対する感受性が、白石を「命題論理学的な議論」へ向かわせた。
 ・・・・このように加藤周一は評するのだが、23年間の出仕、ことに幕府の行政官として将軍の政策決定に関与した7年間は、「命題論理学的な議論」の必要性と有効性を白石に自覚させたのだろう、と思う。

 (4)事は江戸時代の政治家や行政の実務家にかぎらない。
 今日でも、事実を徹底しては把握できないにもかかわらず、社会的地位からして何らかの決定が求められることがある。いや、社会的地位のいかんにかかわらず、人はこうした立場にたつことがある。
 こうしたとき、新井白石の「一種の実証的方法」は意志決定の一助となるだろう、と思う。

□加藤周一『新井白石の世界』(『加藤周一著作集第3巻 日本文学史の定点』、平凡社、1978)
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