語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【レイテ戦記】エピローグ ~現代日本の縮図~

2018年08月16日 | ●大岡昇平
 作戦の細目には幾多の問題が残った。16師団の半端な水際戦闘、第1師団のリモン峠における初動混乱、栗田艦隊の逡巡、ブラウエン斬込み作戦の無理などがあるが、それらは全般的戦略の上に立つさざなみにすぎず、全体として通信連絡の不備、火力装備の前近代性--陸軍についていえば、砲撃を有線観測によって行い、局地戦を歩兵の突撃で解決しようとする、というような戦術の前近代性によって、勝つ機会はなかった。
 しかし、そういう戦略的無理にも拘わらず、現地部隊が不可能を可能にしようとして、最善を尽くして戦ったことが認められる。兵士はよく戦ったのであるが、ガダルカナル以来、一度も勝ったことがないという事実は、将兵の心に重くのしかかっていた。「今度は自分がやられる番ではないか」という危惧は、どんなに大言壮語する部隊長の心の底にもあった。その結果たる全体の士気の低下は随所に戦術的不手際となって現れた。これは陸軍でも海軍でも同じであった。
 陸海特攻機が出現したのは、この時期である。生き残った参謀たちはこれを現地志願によった、と繰り返しているが、戦術は真珠湾の甲標的に萌芽が見られ、ガダルカナル敗退以後、実験室で研究がすすめられていた。捷号作戦といっしょに実施と決定していたことを示す多くの証拠があるのである。
 この戦術はやがて強制となり、徴募学生を使うことによって一層非人道的になるのであるが、私はそれにも拘わらず、死生の問題を自分の問題として解決して、その死の瞬間、つまり機と自己を目標に命中させる瞬間まで操縦を誤らなかった特攻士に畏敬の念を禁じ得ない。死を前提とする思想は不健全であり煽動であるが、死刑の宣告を受けながら最後まで目的を見失わない人間はやはり偉いのである。
 醜悪なのはさっさと地上に降りて部下をかり立てるのに専念し、戦後いつわりを繰り返している指揮官と参謀である。

□大岡昇平『レイテ戦記(4)』(中公文庫、2018)の「30 エピローグ」から一部引用

 【参考】
【レイテ戦記】鎮魂歌

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