語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『オランダ東インド会社』

2010年05月27日 | 歴史
 周知のとおり、江戸幕府は17世紀から19世紀まで、鎖国政策をとった。中国(清)及びオランダを例外として外国人の渡来や貿易、日本人の海外渡航とを禁じたのである。
 幕府がこの2か国に通商を限定することになったのは、オランダの策謀によるらしい。本書によれば、日本にとって損な選択だった。
 では、当時、オランダは日本の外で、何をやっていたのだろうか。
 海の道で日本とつながるインドネシアを侵略していた。

 オランダの海外飛躍の組織的担い手は、オランダ東インド会社であった。同社は、17~18世紀、ジャワ島の西部、バタヴィアを根拠地とした。
 軍事力を背景とする強引な取引、会社に隠れておこなう「私貿易」を抑圧する独占は、住民の反感をかった。総督府は、力で圧す。華僑を虐殺し、ドイツ系の混血にして資産家のエルヴェルフェルトに無実の罪をきせてさらし首にした。

 オランダ東インド会社は、その目的を商業においていた。しかし、マタラム王国の継承戦争の一方を支援することで次第に利権を増やしていくうちに、領土的野心がふくらみ、やがてこの国を属国化するにいたる。
 総督府内部では、内政不干渉を堅持するべきだとの異論もあったが、軍人は戦さのために存在するのである。存在証明の機会を逃すはずはない。
 ところが、皮肉なことに、軍事費がかさんだ結果、商取引による利益がふっとんでしまったのである。内政干渉はペイしなかった。

 オランダ本国は、四度にわたる蘭英戦争のため、また産業革命に乗り遅れたために弱体化する。
 東インド会社もまた、設立当初は新興ブルジョアジーが精力的に活動し、大船団を次々に送り出した。しかし、だんだんと進取の気性を失い、退嬰的な気分が政府を支配するようになった。
 出先機関たる総督府もこの弊をまぬがれず、腐敗した。
 本国にフランス革命の余波が押し寄せ、出先機関はバタヴィア共和国となって、会社は2世紀にわたる歴史を閉じる。

 本書は、もっぱらオランダ側の史料に依拠して書かれたせいか、支配される側つまり原住民の動きはあまり見えてこない。多少気遣いが感じられる程度だ。
 とはいえ、イギリス一辺倒の『スパイス戦争 -大航海時代の冒険者たち-』ではよくわからないオランダ側の事情を示す読み物として、手頃な一冊である。

□永積昭『オランダ東インド会社』(講談社学術文庫、2000)
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