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語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】ソ連軍の懲罰部隊が強かった理由、日本軍の「生きて虜囚の辱めを受けず」 ~『牙を研げ』~

2018年03月09日 | ●佐藤優
 (1)ソ連軍には特別な懲罰部隊という強い部隊があった。彼らには階級章もついていない。ぼろ服を着ている。食事もぎりぎりの配給しかなくて、肉は全然配給されない。紅茶なんかも飲むことができない。
 懲罰部隊はどんな人から成っていたか。多かったのはドイツ軍の捕虜になって、生きて帰った人たち。捕虜になって戻ってくるのはドイツのスパイにちがいない、というのがスターリンの認識だった。だから、彼らには銃殺か、懲罰部隊に入るか、という二つの選択肢しかなかった。すると、だいたいの人は懲罰部隊に入るほうを選ぶ。
 ドイツの捕虜になった人たちが半分で、4分の1は政治犯だった。すなわちトロッキスト、ブハーリン主義者ら、スターリンとの権力闘争に敗れて獄中にいる人たちが、これも銃殺か懲罰部隊に入るかということを迫られる。残り4分の1は刑事犯。殺人犯、強盗、放火、強姦といった重大犯罪を起こして刑務所に収容されている連中。彼らもまた、銃殺よりは懲罰部隊を選んだ。

 (2)その結果組まれた懲罰部隊は、最前線に送られる。戦地では地雷網などがあるが、地雷を除去しないで戦線を突破するのは全部、懲罰部隊だ。なぜ懲罰部隊が英雄的に戦うことができたかというと、その後ろに第一線の正規軍が置かれたからだ。スターリンの懲罰部隊に対する命令は、「一歩も下がるな」。後ろに下がったら第一線の正規軍が射殺する。だから先を突破していくしかなく、強かったのだ。

 (3)しかも、その部隊は存在しないことにされていた。
 満州にソ連軍が入ってきたときに、暴行略奪でひどい目に遭わされたという話をたくさん聞くだろう。ところが、2週間ぐらいたったら軍紀が改まって非常にしっかりしてそういうことがなくなった、こういう話も聞くだろう。
 どういうことかというと、最前線で満州に入ってきたのは、この懲罰部隊だった。この懲罰部隊の連中は、最初の2週間ぐらいは、略奪などを勝手にやることを認められた。その後、正規軍が入ってきて、正規軍には共産幹部の将校がいて、裁判権を持っているから、即決で自分の判断で射殺できる。それによって軍紀を維持することができる。
 ある意味では、ソ連軍はものすごく合理的に人間の命を管理していた、ともいえる。

 (4)退却を事実上許さないという日本のやり方は、じつのところはソ連軍にすごく似ていた。
 しかし、日本はイデオロギー操作でそれをやったわけだ。「生きて虜囚の辱めを受けず」と「戦陣訓」で強制した。だから、そういう文章をつくった東条英機の責任は重い。

□佐藤優『牙を研げ 会社を生き抜くための教養』(講談社現代新書、2017)の第1章の「⑥懲罰部隊と「戦陣訓」」
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 【参考】
【佐藤優】『牙を研げ 会社を生き抜くための教養』 ~各章の小見出し~
【佐藤優】『牙を研げ』 ~まえがき~
【佐藤優】『牙を研げ 会社を生き抜くための教養』 ~目次~

 








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1 コメント

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すいません、今世界史の極意という本読んでて、何かメッセージ送りたいと、こんなとこですいません、わかりやすいです! (プログレメタル好き)
2017-05-13 09:47:57
丁寧に説明あるのでわかりやすいです。助かります。頑張ってください。
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