「ナ(7)イ(1)フ(2)」の語呂合わせで、7月12日は「洋食器の日」。新潟県燕市の日本金属洋食器工業組合が制定している。
燕の地域で洋食用のナイフやフォークを作り始めたのは、明治時代の終わりから大正時代の初めごろだという。この地域では江戸時代から「鎚起銅器(ついきどうき)」という技術が発達していた。銅をたたきながら縮めたり丸めたりして、やかんのように継ぎ目のない銅器をつくる技術で、その職人業が洋食器の生産に生かされた。
大正時代に入るとコロッケやカレーなど洋食が人気となった。一般家庭でもナイフやフォークを用いる機会が増え、生産量が上がった。
世界の食文化圏は「手食」「箸食」「ナイフ・フォーク・スプーン食」の三つに大きく分類される(「箸の本」本田總一郎、柴田書店)。狩猟・牧畜を営む地域では、ナイフは肉を切り分けるために不可欠で、食文化の初期のころには、家長が食べ物の配分権とナイフを持ち、その家の食のルールを決めた。これが西洋の食事マナーに発展したのだそうだ。
□南雲つぐみ(医学ライター)「洋食器の日 ~歳々元気~」(「日本海新聞」 2017年7月12日)を引用
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燕の地域で洋食用のナイフやフォークを作り始めたのは、明治時代の終わりから大正時代の初めごろだという。この地域では江戸時代から「鎚起銅器(ついきどうき)」という技術が発達していた。銅をたたきながら縮めたり丸めたりして、やかんのように継ぎ目のない銅器をつくる技術で、その職人業が洋食器の生産に生かされた。
大正時代に入るとコロッケやカレーなど洋食が人気となった。一般家庭でもナイフやフォークを用いる機会が増え、生産量が上がった。
世界の食文化圏は「手食」「箸食」「ナイフ・フォーク・スプーン食」の三つに大きく分類される(「箸の本」本田總一郎、柴田書店)。狩猟・牧畜を営む地域では、ナイフは肉を切り分けるために不可欠で、食文化の初期のころには、家長が食べ物の配分権とナイフを持ち、その家の食のルールを決めた。これが西洋の食事マナーに発展したのだそうだ。
□南雲つぐみ(医学ライター)「洋食器の日 ~歳々元気~」(「日本海新聞」 2017年7月12日)を引用
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