朝早くから、瀬戸大橋を渡って四国を脱出。
(ここは与島のサービスエリアです)
大和のロケセットと大和ミュージアムバスツアーに行ってきました。
尾道の「男たちの大和」のロケセットです。
たくさんの人が来ていました。
私達が着いた頃にはそうでもありませんでしたが
帰る頃にはごった返していました。
道もロケセットに来る車で渋滞していました。
ロケセットを11時頃に出発して次の目的地呉へ。
呉の大和ミュージアムに行きました。
ここも、たくさんの人でにぎわっていました。
あまりに混雑していたのでゆっくり見ることができませんでした。
この大和ミュージアムで最もショックだったのは
回天という人間魚雷です。
主人は回天に乗って死んでいった若い青年の遺言を聞いて
涙ぐんでいました。
これって国家による犯罪なんじゃないかと思いました。
この人間魚雷なるものを開発した技術者はどう思っていたのでしょうか?
「特攻」なる考えを提案した人って、いったい誰?
英語では「特攻」の事を「自殺攻撃」と訳しているそうです。
「特別攻撃隊」なんて回りくどい言い方ですよね~。
戦争って狂気ですね。
この回天特攻を考えついたのは仁科・黒木という海軍の青年将校で、「戦局の挽回は特攻以外ではありえないと確信」したそうで、人間魚雷を海軍に作らせました。その黒木は回天の試運転時に事故死。仁科は敵のウルシー環礁に在泊中のアメリカの大型タンカーと回天で刺し違えて戦死しています。
この回天特攻を考えついたのは仁科・黒木という海軍の青年将校で、「戦局の挽回は特攻以外ではありえないと確信」したそうで、人間魚雷を海軍に作らせました。その黒木は回天の試運転時に事故死。仁科は敵のウルシー環礁に在泊中のアメリカの大型タンカーと回天で刺し違えて戦死しています。
もう随分まえの記事なのにコメントをいただきまして
ありがとうございました。
私の疑問に答えてくださり、感謝します。
発案者の二人とも戦死してるのですね。
この二人もまた戦争の犠牲者だったのですね。
私は今の時点から振り返って戦争を見ているので
こんな事が言えるのですが
戦争の終わらせ方、負け方も考えてから開戦してくれと
云いたいのです。
多くの若い命を無駄に散らせた責任は誰が取る?
と思うのです。
でも実際、狂気の時代の中では無理だったのかもしれませんね・・。