焼山寺方面と室戸方面に今行っているのですが
4月16日
焼山寺へ行く6日前に、室戸の最御崎寺と津照寺に行ってきました。
連れ合い曰く「焼山寺へ行く前に、平地で足を慣らしてこう」
と言う事でした。
佐喜浜から津照寺まで歩きました。
私の万歩計では45183歩 約26kmでした。
40000歩を越えるのは新記録です。
26kmも新記録です。
焼山寺が「遍路ころがし」と呼ばれる難所なのは皆知っていると思います。
しかし、23番札所薬王寺から24番札所最御崎寺までの75kmは、隠れた難所なのです。
山道も少しはありますが、多くは海岸沿いの平坦な道です。
ですが、いつまで続くか分からない程海岸の道が続きます。
途中、人家もなく自販機もなく、ただただ海と空と山を見ながらの歩きが延々続きます。
先が見えず、もう、嫌になります。
そんな室戸岬への道でした。
自宅から室戸までは
①1月23日 自宅→JR山河内駅
②1月28日 JR山河内駅→JR鯖瀬駅
③2月1日 JR鯖瀬→JR甲浦
④3月22日 甲浦→佐喜浜
⑤4月16日 佐喜浜→津照寺
5日もかかって歩いている事になります。
日にちをかけて無理をしないで歩きました。
それでも長く苦しい道のりでした。
なので、私たちの様にブツ切お遍路ではなくて、通しでお遍路をまわっている方たちは
何て凄いんだろうと思っています。
佐喜浜から、ずっと海岸線を歩きます。
ひたすら歩きます。
夫婦岩が見えてきました。
夫婦岩は、もしかして立ち入り禁止らしく
入り口はガードレールでキッチリ仕切られていて、入れなくなっていました。
んだけど、自己責任で侵入させていただきました。
ごめんなさい~。
ディズニーランドの作り物の岩みたいですが
本物です。
今にも崩れそうな感じもします。
地震か台風かで危険な状態になってるので、入れなくしているのでしょうか。
どうもそんな感じです。
昔は駐車場もトイレもあった様な記憶があります。
夫婦岩にお別れして
さらにさらに、同じ様な海岸線を歩きます。
椎名の町筋に咲いていた普賢象
室戸岬に近づくと、こんな風な高い塀のある家が多く見られました。
台風の風よけなのだと思います。
何て言っても室戸岬は台風銀座ですので。
石垣の塀の向こうに家があります。
コンクリートの高い塀に開けられたドアの向こうがお家です。
多少の津波なら大丈夫みたいな感じします。
白いお大師様が見えてきました。
室戸岬の先っぽに近づいて来た様です。
御蔵洞
青年空海が悟りを開いた所と聞いています。
連れ合いは中に入って行きましたが
私は洞窟は苦手なので外で待ちます。
ここから、いよいよ最御崎寺への道です。
遠かったです。
室戸岬へは何度か来たことがありましたが、歩いてきたのは勿論初めてです。
自動車では簡単でも人の足でとなると、本当に遠かったです。
自動車の能力は凄いです。
それを今まで自分の能力と勘違いしていたように思います。
人は自動車を得て行動範囲が格段に広がりましたが
自動車の力を借りなければ、こんなにも無力で小さいものだと感じました。
反対に、人の足でも一歩一歩進めばたどり着くんだと言う事もわかりました。
お大師様はちょっぴり意地悪なんですよ~。
物を惜しんで嘘をつく人が大嫌いみたいです。
特に水を惜しんで旅人に与えない人の井戸は度々涸らせています。
そういう話が多く残っています。
くわずいも
土地の者がイモを洗っていて、弘法大師がイモを乞うと
「これは食えないイモだ」と言って与えなかった。
それ以来、本当に食べられなくなったと伝えられているのだそうです。
疲れ切って最御崎寺の山門前で座り込む連れ合い
自分達より年上と思われる方々に登り道で次々と追い越されて
わが身の軟弱さを知る
それにしても、お遍路さんなのに何故赤シャツ着てきたのか意味不明
最御崎寺を参拝して、室戸スカイラインを通って山をおります。
室戸の町が見渡せます。
最御崎寺から約6km
本当にくたくたになりながら歩きました。
物も言わずただただ歩きました。
25番札所 津照寺
急な階段をのぼります。
もう、疲れ切っています。
津照寺ちかくのバス停で30分ほどバスを待ちました。
座ってしまうと、もう一歩も歩きたくない気持ちでした。
やがてバスが来て、この日歩いた道を逆に走ります。
バスでも30分以上の距離をこの日は歩いたのでした。
よく歩いたな~~~~と自分でも感心しました。
が、これからは1日30km以上は平均で歩く事を目指したいと思います。
そうじゃないと、このお遍路は結願までに5年くらいかかってしまいます。
「発心の道場」徳島県を過ぎ、「修行の道場」高知県を歩いていく事になります。
徳島県だけは歩きで、あとは自動車でまわろうか・・・・
と思う時もありますが、出来るところまでは頑張ってみるつもりでいます。