12月21日(水)
大山街道を歩く5回目、鶴間から海老名まで歩きました。
朝9時に鶴間駅に集合した時は曇りで寒かったのですが
午後からは晴れてお天気も良くなりました。
大山街道⑤鶴間から海老名
鶴見駅から旧国道246号を進みます。
やがて泉の森公園の看板がありました。
大山街道からは一旦はずれて泉の森公園へ寄りました。
泉の森公園は下草のアズマネザサが刈られて手入れがされて
気持ちの良い公園でした。
池や古墳などもある公園で、また今度ゆっくり歩きに来てみたいと思いました。
再び旧国道に戻り、大和斎場入り口で右の道に入ります。
国道246号は横断歩道が無く、回り道をして横断します。
それからは3キロほど、まっすぐに歩きます。
パブコの工場を過ぎた辺りの大きな欅のある動物病院のわきの細い道を上がると
富士塚跡の庚申塔があります。
富士塚との事で期待して行きましたが、「跡」なので富士塚は無く
ただチョコンと庚申塔が残されていただけでした。
再び元の道に戻り、少し行くと
渡辺崋山ゆかりの道の看板があります。
その脇道を入ります。
大山街道からそれて、お銀様のお墓への道を進みます。
さて、渡辺崋山とは誰なのか?
江戸時代後期の武士、画家。
三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士であり、のち家老となった人です。
渡辺崋山は江戸から大山街道を下り、お銀様を探す旅に出ました。
お銀様とは藩主三宅友康の子、友信を生んだ侍女です。
渡辺崋山は友信の実母を訪ねる旅に出たのでした。
渡辺崋山は「遊相日記」にその旅を綴っています。
って、書きましたが説明を聞いて、は~、そうですか
とは思うものの、イマイチ渡辺崋山を知らなかったので感動は薄いのでした
旧国道246号を横断し、なおも進むと、山道に入ります。
ここが、東海古道の残された山道です。
地蔵堂を経て、お銀様の墓に行きます。
お銀様の墓から引き返して再び旧国道246号の望地の交差点まで戻ります。
ここから坂を上る道に入ります。
旧246号沿いの昔の道をたどるのであっち行きこっち行き・・な感じです。
東国分の交差点に逆川の碑がありました。
大化の改新の頃に造られた最古の運河の跡だそうです。
目久尻川を堰き止めて、低い方から高い方に水を流していたので
逆川と呼ばれていたのだそうです。
逆川の碑から右の道の方を進みます。
やがて、相模国分寺跡に着きます。
相模国分寺跡から、少し進むと、大きな欅の木があります。
神奈川県の天然記念物に指定されている欅です。
樹齢は560年以上との事。
何でも昔はこの辺りは海で
漁師が舟をつなぐ杭から芽が出て枝が茂った
という伝説が残っているそうです。
大欅の横の道を入ると、現在の国分寺にたどり着きます。
高いビルの横に薄ら見えるのが、大山です。
国分寺から再び旧国道246号に戻り、そのまま海老名駅前まで歩きます。
海老名駅前のショッピングセンターの庭の中には
かつてあったと言う相模国分寺の七重の塔の三分の一のモニュメントがあります。
次回は海老名から愛甲吉田まで歩きます。
大山も近くなりました。