ゴミ拾いに挑戦してて、休み中だったけど再開しました

いつの間にか浜がゴミの山に。自分自身の健康のためにもゴミ拾いを始めました。引っ越し先から戻ってきてゴミ拾い再開しました。

冬の桜

2011-12-28 12:02:17 | Weblog

12月21日
大山街道を歩く会で、相模国分寺跡を訪ねた時、桜を見つけました。
冬に咲く桜だから冬桜でよいのでしょうか?
品種は分かりません。
が、ソメイヨシノの狂い咲きではない様です。


金堂跡の道の向こう側に咲いていました。





花はちらほら。












こちらは、海老名からの帰りに、藤が丘に寄り道して見たヒマラヤザクラ。
花がたくさん咲いていました。
蕾もまだまだ残っていました。
ヒマラヤ桜は花が長いです。








大山街道⑤鶴間から海老名

2011-12-28 12:02:01 | 大山街道

12月21日(水)
大山街道を歩く5回目、鶴間から海老名まで歩きました。
朝9時に鶴間駅に集合した時は曇りで寒かったのですが
午後からは晴れてお天気も良くなりました。


大山街道⑤鶴間から海老名


鶴見駅から旧国道246号を進みます。
やがて泉の森公園の看板がありました。
大山街道からは一旦はずれて泉の森公園へ寄りました。





泉の森公園は下草のアズマネザサが刈られて手入れがされて
気持ちの良い公園でした。
池や古墳などもある公園で、また今度ゆっくり歩きに来てみたいと思いました。


再び旧国道に戻り、大和斎場入り口で右の道に入ります。
国道246号は横断歩道が無く、回り道をして横断します。

それからは3キロほど、まっすぐに歩きます。
パブコの工場を過ぎた辺りの大きな欅のある動物病院のわきの細い道を上がると
富士塚跡の庚申塔があります。
富士塚との事で期待して行きましたが、「跡」なので富士塚は無く
ただチョコンと庚申塔が残されていただけでした。

再び元の道に戻り、少し行くと
渡辺崋山ゆかりの道の看板があります。
その脇道を入ります。
大山街道からそれて、お銀様のお墓への道を進みます。

さて、渡辺崋山とは誰なのか?
江戸時代後期の武士、画家。
三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士であり、のち家老となった人です。
渡辺崋山は江戸から大山街道を下り、お銀様を探す旅に出ました。
お銀様とは藩主三宅友康の子、友信を生んだ侍女です。
渡辺崋山は友信の実母を訪ねる旅に出たのでした。
渡辺崋山は「遊相日記」にその旅を綴っています。
って、書きましたが説明を聞いて、は~、そうですか
とは思うものの、イマイチ渡辺崋山を知らなかったので感動は薄いのでした


旧国道246号を横断し、なおも進むと、山道に入ります。
ここが、東海古道の残された山道です。




地蔵堂を経て、お銀様の墓に行きます。

お銀様の墓から引き返して再び旧国道246号の望地の交差点まで戻ります。
ここから坂を上る道に入ります。
旧246号沿いの昔の道をたどるのであっち行きこっち行き・・な感じです。

東国分の交差点に逆川の碑がありました。
大化の改新の頃に造られた最古の運河の跡だそうです。
目久尻川を堰き止めて、低い方から高い方に水を流していたので
逆川と呼ばれていたのだそうです。

逆川の碑から右の道の方を進みます。
やがて、相模国分寺跡に着きます。

相模国分寺跡から、少し進むと、大きな欅の木があります。
神奈川県の天然記念物に指定されている欅です。
樹齢は560年以上との事。
何でも昔はこの辺りは海で漁師が舟をつなぐ杭から芽が出て枝が茂った
という伝説が残っているそうです。





大欅の横の道を入ると、現在の国分寺にたどり着きます。

高いビルの横に薄ら見えるのが、大山です。





国分寺から再び旧国道246号に戻り、そのまま海老名駅前まで歩きます。
海老名駅前のショッピングセンターの庭の中には
かつてあったと言う相模国分寺の七重の塔の三分の一のモニュメントがあります。


次回は海老名から愛甲吉田まで歩きます。
大山も近くなりました。


イチョウの剪定

2011-12-17 23:44:43 | Weblog
12月11日
用事のついでに神宮外苑の銀杏並木を見てきました。
大山街道を歩く一回目で赤坂御門から用賀まで歩いた時も感じましたが
今年のイチョウはちょっと剪定し過ぎなのではないかと思いました。

先が細すぎる




とがり過ぎですよね





と、思ってネットで見てみたら、神宮外苑のイチョウの剪定は4年に一度とのことで
今年はその4年に一度の剪定の年だったのでした。
4年に一回なので、この様に強い剪定をするのですね。


場所は変わって、ご近所のイチョウの街路樹。
今、剪定中です。

今がいちばん黄葉のきれいな時なんですが・・・。
ご近所の方々は落ち葉の片付けが大変なので、もしかしたら嬉しい事かもです。





丸坊主になっていきます。




ここの街路樹の剪定も何年かに一度のもので、予算も順番も決まっているのでしょうが
何だか黄葉の時期なのに勿体ないなぁ無粋だなぁ
と、正直感じてしまいます。
しかし、まあ・・無責任な一市民の思いです。

川崎の青い空

2011-12-17 23:10:56 | 工場見学
11月25日
川崎市川崎区の鈴木町の味の素の工場見学に行きました。



工場に行く前に川崎河港水門を見に行きました。
大正末期に着工され、昭和3年に完成した水門で国登録有形文化財になっています。
当初、幅員33~40メートルの大運河ができる計画でしたが
戦局の悪化で計画は廃止されました。
この大きな水門だけが残ったのですね。

丸いモコモコしたものは川崎の梨や桃、ぶどうをあしらった装飾で大正時代らしさを表していると思います。




水門にいたアキアカネ




水門から多摩川をのぞむ
画面奥の方が六郷橋です。

空が青いです。
その昔、川崎の空は灰色の煙で覆われていて、青い空など見えなかった
とは、よく聞く話ですが
今はこの通り、青空です。

かつて日本の重化学工業の拠点だった川崎の工場地帯は
製造の主力工場の多くを海外や地方に移転し
今では多くが研究開発拠点となっています。

現在ある工場でも黒い煙を出している工場など見た事もなく
今では随分環境に配慮された工場になっている様です。
NOX、SOX、VOCなどの有害物質をなるべく出さない様にしています。
かつての公害の町、川崎から環境都市川崎へと変貌したのだそうです。





その後、味の素の工場見学へ


味の素 川崎工場見学のご案内



工場内は写真撮影禁止ですので、見学コースの入り口だけ。




味の素資料展示室




ここは写真OKとの事で、一番興味深かったのはこれです。
大正11年8月3日付けの東京朝日新聞


誓って天下に声明す
味の素は断じて蛇を原料とせず



味の素は蛇を原料にしているとの悪い噂がたっていたのですね。





日本の味の素はサトウキビを原料としているそうです。


ところで、味の素が蛇を原料にしているという噂話は実は私でも知っていました。
面白い話として、姑から聞いたり私の祖母から聞いたりしていたのだと思います。
勿論、大嘘なのはわかっていましたが
それが大正時代から言われていた事とは驚きです。
しかも、それは新聞に否定する意見記事を載せなくてはならない程の
酷い中傷として世間に広まっていたのですね。


ヒマラヤ桜

2011-12-16 23:19:01 | Weblog
11月16日に大山街道を歩く3回目で藤が丘地区センターに立ち寄った時には
本当にこれから桜が咲くんだろうかと思うほど固い花芽でした。
昨日、12月15日
そろそろヒマラヤ桜が咲いていると思い見てきました。

咲いていました。
日の当たる側の枝の方は花が開いていましたが
全体的にはまだまだ蕾が多かったです。
去年藤が丘地区センターに見に来た時はすでに散りかけでした。
なので、蕾を見るのは初めてです。











ヒマラヤと聞くと寒い所の様に思いますが
ヒマラヤ桜のふるさとネパールは一年を通じて温暖な気候なのだそうです。
その標高1200メートルから2000メートルの温暖な地帯にはこの秋咲きのヒマラヤ桜が、
標高3000~4000メートルの降雪地帯には春咲きの、ヒマラヤ緋桜とヒマラヤ高嶺桜
があります。

詳しくはこちら↓

サクラの来た道


去年のヒマラヤ桜の記事↓

冬の桜 ヒマラヤザクラ ご近所偏

秩父の夜祭に行く

2011-12-15 22:23:14 | Weblog
12月3日
前から一度は行きたかった秩父の夜祭に行くことができました。
溝の口発のバスツアーでした。
溝の口をお昼前に出発します。
3時ころには現地に到着する予定でした・・・・・

前日の天気予報では嵐になるかもしれない・・と言われてもいましたが
朝はまだ雨が残っていたものの次第に雨はやんでいきました。


高速を下りて、秩父に近づいてきました。
時おり晴れ間ものぞき、祭りへの期待も高まりました。





景色を楽しみながらも、早く着かないかな~~
とわくわくしていたのですが・・・・




バスが・・・・・
バスの群れが・・・・・・・・
観光バスの列が続きちっとも先に進みません。
ええ、バスばっかりです。
目的地は同じでしょう・・・。
私の参加したツアー会社だけでも250台以上のバスがこの日秩父の夜祭に行ったそうです。







と言うわけで、駐車場に着いた頃には日はとっぷりと暮れていたのでした。
添乗員さんの案内で、とりあえず秩父まつり会館へ。
とりあえずトイレに行こう!
と思ったらビックリ
トイレの列に・・・20人・・30人・・もっと???並んでいたのです。
待ち時間が長かったです~。


その後も、どこに行ってもこのトイレ待ちの列は長々とありました。
スーパーのトイレも、ブックオフのトイレにまで長い列ができていていました。
道の駅のトイレではお決まりの様に、男子トイレに昔のお嬢様方の列も出現していました。



秩父まつり会館に展示されている笠鉾と屋台




ああ、華やかぁ~

                                            


しかし、秩父まつり会館の外に出て実物を見ると・・・
あんな遠い所

     




やっとこさ近くに寄って通り過ぎる後姿を・・




あららら・・・

                 

あらあら・・・

                                  


と言う様な感じでしか見られませんでした。
人の波でした~。
でも、まあこんなものでしょう。

桟敷席を確保してあるツアーにすれば良かったかもです。
でも納得です。
秩父夜祭はとにかく人出がすごい。
花火もすごい。
けれど、秩父の夜祭のポスターなどの写真の様に
花火と笠鉾や屋台が一緒に見られるのはかなり難しい。
御旅所に入れる桟敷券を買わないと見られないらしい。

今年の人出は26万5000人だそうです。
ど~~りで人が多いと思いました。


バスがとまっている駐車場に帰ると、はてさて自分の乗ってきたバスがどこにいるのか分かりません。
関東中の観光バスが集合したみたいなバスの数です。
やっと見つけて席に座ったら、どっと疲れが出ました
6時間ほど外を歩き回っていましたので。

秩父を出発後、どこだかのサービスエリアで2時間ほど休憩。
バスの中で仮眠をとります。
って、仮眠なんてできませんでしたが

朝5時に溝の口に到着。
一番の電車に乗って帰宅後、やっとこさ布団で眠れる幸せを感じたのでした


宅地から畑に

2011-12-15 12:38:45 | Weblog
竹藪や林が切り開かれて宅地になりマンションが建つのは
そう珍しい事ではありません。
ご近所でもよく目にします。
最近でも、ご近所では鳥のねぐらだった藪が切り開かれました。
マンションになるようです。



しかし、ここは
宅地だった所が、畑になっていました。
とても珍しい事です。




どんな理由があるのはかわかりません。
このまま畑のまままのか、一時的に畑になっているのかはわかりません。

しゃくし菜らしき菜っ葉が育っています。


大山街道④ 青葉台から鶴間

2011-12-15 12:38:21 | 大山街道
11月30日
大山街道を歩くの4回目 青葉台から鶴間まで歩きました。
この日は気温が上がり、暑いくらいでした。
何と19度にまで上がったのでした。
厚着をしていった私は次々に上着を脱いでいく事になりました。
春霞の様に空がかすんで、この日は大山を見ることはありませんでした。


大山街道④



朝、9時に青葉駅に集合。
駅前のイチョウが綺麗に色づいていました。





青葉台駅から国道246号方面に向かって南下します。
国道の手前で脇道に入ります。
片町交差点までは、だいたいはこの246号に沿った脇道を歩くことになります。


片町交差点を渡って、すぐに右に入る道があります。
これが大山街道で長津田の町まで続いています。


長津田駅の南口入り口交差点を左に曲がると大林寺です。
大山街道をはずれて大林寺に寄ります。
長津田には「長津田十景」と言うものがあり
その一番目がこの大林寺の「大林晩鐘」です。
だいりんばんしょうって何?
夕暮れ時の大林寺の鐘の音って事で良いのでしょうか。


夕暮れ時じゃないですけど大林寺の鐘




最近ではコウテイダリアがあちこちのお家の庭で普通に見られるようになりました。

この大林寺でも        

大山街道に戻り、大石神社に向かいます。
大石神社から旧道に入り、長津田の交差点で国道246号に出ました。
そこから馬の背の道を通るとすずかけ台の駅が見えました。
高台の尾根道になっていますので遠くまで見通すことができました。


馬の背にいたアキアカネ





また国道246に戻り町田市辻交差点から少し行った所で左の道に入ります。
ここらへんは町田市と横浜市の境が複雑になっているらしく
歩いていても住所の表示が町田市になったり横浜市になったりでした。


圓成寺で一休み。





目黒交差点で国道246号を渡り境川を渡って
観音寺に行きます。
大きな銀杏の木は樹齢400年ほどだそうです。





下鶴間ふるさと館の入り口の写真
昔の下鶴間宿の様子
大山街道の宿場町はこんな感じだったのですね~。





旧国道246号を通って鶴間駅へ到着
した頃にはすっかり疲れていました
大山まではまだまだ長い道のりですが、到達できるのか・・・心配です。
他の参加者の皆さんは平気でどんどん歩いていますから。
私はついて歩くのが精一杯です。
歩き始めは元気なのですが行程も中ごろを過ぎるとくたくた。
でも

大山街道③ 鷺沼から青葉台

2011-12-15 12:37:52 | 大山街道
大山街道を歩く
三回目は鷺沼から青葉台まででした。
11月16日 水曜日 とっても良いお天気でした。

・・・と書いてからもう一月になります。
またまた更新をさぼっていました。
最近では出かけても、出かけるだけで精いっぱいで
あ~~、やれやれちょっと休もう・・・みたいな感じで一か月。

休みすぎでした


大山街道③


9時半に鷺沼駅集合

みずほ銀行の横の道から坂道を下りていきます。
この坂を八幡坂と言いますが、今は八幡さんはありません。
八幡坂が国道246号との交差する所に阿弥陀堂があります。

246号を渡って右に少し行った所に馬頭観音があります。
ここから上り坂となります。
阿弥陀堂から桜公園のあたりまで斜めに大山街道が走っていたのですが
区画整理で元の道筋はなくなってしまったとのことです。
馬頭観音もこの昔の道筋に沿って桜公園のあたりにあったとの事でした。

さくら公園のあたりは峠になっていて標高が一番高くなっています。
峠を越えると横浜市になります。
川崎市側は住宅地、道を挟んで横浜市側はみかん畑になっていて一目で市境がわかりました。

うとう坂、血流れ坂と下り坂になります。




血流れ坂のあたりから、遠くに大山が見えました。
赤い矢印の左は大山、右は分かりにくいのですが富士山です。





                    
                  (地下鉄なのに↓)
坂を下ると、広い道路を渡り、横浜市営地下鉄の鉄橋の下!!!を通り
不動の滝へ。
以前も来たことがあるのですが、その時よりも滝の水が少なくなっている気がしました。
ちょぼちょぼと水が流れ落ちています。

早淵川を渡り、川のほとりの庚申堂へ。
ここは荏田宿の下宿だった所です。


大山街道からは外れて、真福寺へ行きました。
真福寺は昔は荏田の上宿にあったのだそうです。


真福寺の大カヤ




荏田宿を過ぎ、荏田駅に着きます。
荏田駅からはしばらく線路沿いに進みます。
そして地蔵堂方面に向かう右の道を行きます。
地蔵堂を抜けて、大山街道からはずれて、市が尾遺跡公園に寄りました。


横穴古墳群は生田緑地の中にもあります。
もしかしたら同じような物かも知れませんが、中に入る事が出来る様には整備されていません。
なので、このように横穴古墳を見ることができたのは初めてです。
中に入れちゃいます。
何基もあります。
すごいです。






市が尾遺跡公園の高台から大山を見ることができました。
まだまだ遠いです。




再び大山街道に戻ります。
猿田坂を下ります。

坂を下りた畑の生垣にムベの実がたくさんが実っていました。




谷本川を渡り、柿の木台、藤が丘ゴルフ場横の坂道を上ります。
藤が丘地区センターで休憩しました。
藤が丘地区センターにはヒマラヤ桜があります。
ヒマラヤ桜は11月から12月に花を咲かせます。
そろそろ花が咲いているかなと期待しましたが、まだまだの様でした。


青葉台駅に着いた時にはもう、くたくたになりました。


11月の中ごろ
まだ紅葉が始まった頃でした。