町内を散歩していて、電信柱にテープが巻いてあるのに気づきました。
青いテープが安政南海地震(1854年)の潮位
黄色が昭和南海地震(1946年)の潮位です。
安政の頃はしっかりした堤防もなかったので、こんなに潮位が高いのでしょうか。
地震の大きさはマグニチュード8くらいでそんな差はないようですので。
(何でそんな昔の地震の規模が分るの??)
今は昭和南海地震の時にはなかった高い堤防が港を囲むように二重にありますし
テトラポットも積み上げられています。
近い将来来るといわれている南海地震の津波に備えているのですが・・・。
さて・・・・・大丈夫??
町内には、この様に津波の時に逃げる場所が所々作られています。
しかし、階段が急なため、お年寄りには上るのがキツイと思われます。
この急な階段はお年寄りのことを考えて作られてはいません。
ゆるい坂道にするには土地も予算もないとのことなのです。
お年よりは津波で助かるには足腰を鍛えておく必要があります。
そのために町では足腰を鍛えるためにウォーキングが流行っています。
また町が主催する健康教室などもあります。
日頃から足腰鍛えて津波の時に備えるのですね~~。
きびし~~~
康暦の碑
康安元年(1361年)の康安の大地震大津波により命を失った多数の人を
供養するために
地震から20年後の康暦二年(1380年)に作られたもの。
太平記によると
この地震で地が割け池になり千七百軒の家が底に沈んだと言います。
今はその池は埋め立てられ小学校と中学校になっています。
青いテープが安政南海地震(1854年)の潮位
黄色が昭和南海地震(1946年)の潮位です。
安政の頃はしっかりした堤防もなかったので、こんなに潮位が高いのでしょうか。
地震の大きさはマグニチュード8くらいでそんな差はないようですので。
(何でそんな昔の地震の規模が分るの??)
今は昭和南海地震の時にはなかった高い堤防が港を囲むように二重にありますし
テトラポットも積み上げられています。
近い将来来るといわれている南海地震の津波に備えているのですが・・・。
さて・・・・・大丈夫??
町内には、この様に津波の時に逃げる場所が所々作られています。
しかし、階段が急なため、お年寄りには上るのがキツイと思われます。
この急な階段はお年寄りのことを考えて作られてはいません。
ゆるい坂道にするには土地も予算もないとのことなのです。
お年よりは津波で助かるには足腰を鍛えておく必要があります。
そのために町では足腰を鍛えるためにウォーキングが流行っています。
また町が主催する健康教室などもあります。
日頃から足腰鍛えて津波の時に備えるのですね~~。
きびし~~~
康暦の碑
康安元年(1361年)の康安の大地震大津波により命を失った多数の人を
供養するために
地震から20年後の康暦二年(1380年)に作られたもの。
太平記によると
この地震で地が割け池になり千七百軒の家が底に沈んだと言います。
今はその池は埋め立てられ小学校と中学校になっています。