川崎市宮前区には夜になると歩き回るというおばけ灯篭があります。
おばけ灯篭と聞いて、ただ単にでかい灯篭かと想像しましたが
夜な夜な歩き回るとは
これがその、おばけ灯篭ですっ
川崎市宮前区の青少年の家の敷地内にあります。
そばの看板にはおばけ灯篭の由来が書かれています。
この灯篭は元々は、日本陸軍東部62部隊の将校集会所の庭にありました。
(現在の東京都港区六本木にあった)
1942年に現在の宮崎台の青少年の家のあたりに部隊は移されました。
その時に灯篭もと一緒に移されました。
しかし、当時この灯篭は六本木あたりに出歩くという噂があったため
移転の際に動かない様にと、灯篭の足を切ったとも埋めたとも言われています。
と言う様な事が書かれています。
歩き回る灯篭というのは凄いです。
誰が見たのでしょうか?
そして六本木という土地のイメージで言うと
何だか酔っぱらって遊びまわっている愉快なおばけ灯篭みたいに思えます。
が、六本木はかつて軍隊の町だったのです。
明治時代から兵隊の暮らす町として発展していきました。
そんな軍隊の町でなぜ灯篭が歩き回っていたのか・・・・
ネットで検索して見てみると、大灯篭が真夜中に歩いて、帰って来なかった戦場の兵士を呼んでいる
と言う様な記述がありました。
愉快そうに思えた歩く灯篭もそんな悲しみを伝えるものだったのですね。
おばけ灯篭と聞いて、ただ単にでかい灯篭かと想像しましたが
夜な夜な歩き回るとは
これがその、おばけ灯篭ですっ
川崎市宮前区の青少年の家の敷地内にあります。
そばの看板にはおばけ灯篭の由来が書かれています。
この灯篭は元々は、日本陸軍東部62部隊の将校集会所の庭にありました。
(現在の東京都港区六本木にあった)
1942年に現在の宮崎台の青少年の家のあたりに部隊は移されました。
その時に灯篭もと一緒に移されました。
しかし、当時この灯篭は六本木あたりに出歩くという噂があったため
移転の際に動かない様にと、灯篭の足を切ったとも埋めたとも言われています。
と言う様な事が書かれています。
歩き回る灯篭というのは凄いです。
誰が見たのでしょうか?
そして六本木という土地のイメージで言うと
何だか酔っぱらって遊びまわっている愉快なおばけ灯篭みたいに思えます。
が、六本木はかつて軍隊の町だったのです。
明治時代から兵隊の暮らす町として発展していきました。
そんな軍隊の町でなぜ灯篭が歩き回っていたのか・・・・
ネットで検索して見てみると、大灯篭が真夜中に歩いて、帰って来なかった戦場の兵士を呼んでいる
と言う様な記述がありました。
愉快そうに思えた歩く灯篭もそんな悲しみを伝えるものだったのですね。